第1話


 年明けから早いものでひと月が経ったある日。

 まだ寒さの残る季節ではあるが、窓辺は暖かく気持ちの良い午後のティータイムに、国王であるシャーロットは自身の妻であるティルスディアの元を訪れていた。

 2人でお茶を飲みながら世間話や最近の仕事の話などをしている間に、その話題は出てきた。

「温泉、ですか?」

 ティルスディアはきょとりとする。

「遅くなったが、新婚旅行も兼ねてな」

 ティルスディアはそう言えば、と思う。

 シャーロットが即位して3年が経つ。先王が崩御して、葬儀関連が終わってからすぐに即位。

 ティルスディアの正体であるサファルティアも王弟として様々な行事に参加したり、成人してすぐだったこと、シャーロットの即位にあわせて側妃となるための準備など様々なことに追われていた。

 ティルスディアが側妃として王宮入りした後も、シャーロットは即位後の雑務に追われ、ティルスディアも王宮の管理や、側妃としての仕事、女性として過ごすうえでの教養や作法の勉強などもあって、互いに多忙を極め日々の生活に慣れるのに精いっぱいで、夜の営みはあれど、旅行に行く暇なんてなかった。

 今まで気にしたことはなかったけれど、王弟と側妃の二重生活を始めて3年も経ち、今ではある程度サファルティアとティルスディアの切り替えができるようになり、シャーロット自身も国王として地盤が安定し始めた。

 国民もティルスディアについては概ね好意的で、旅行に行くにはちょうどいいかもしれない。

 それに、シャーロットと旅行に行くなんて何年ぶりだろうか。

 子供の頃は両親たちと共に何度かキャロー領に避暑に行ったりもしたが、今思えばあれも王家の務めの一環だったのかもしれない。今はサファルティアの領地ではあるが、当時のキャロー領は王家の預かりだったため、家族旅行という名の視察も兼ねていたのだろう。

 今回の旅行は純粋な夫婦の時間となる。

 もちろんシャーロットは国王だから、多少ばかり仕事はするのかもしれないが、公的に認められる旅行だと考えれば、弾みそうになる心を必死に落ち着かせてティルスディアは微笑む。

「素敵ですね。温泉というと、サマギルム島でしょうか」

「ああ、父上たちの新婚旅行もサマギルム島だったというしな。観光地としても有名だから治安も悪くない」

「確かに、それなら安心ですね」

 シャーロットと旅行に行けるのが嬉しくて仕方ないという、ティルスディアの表情が、シャーロットには何より愛おしい。この場で押し倒さなかった自分を誰か褒めてほしい。

(実は子作りに効能があるというのは黙っておこう……)

 言えばティルスディアは傷つく。どうしたってシャーロットとティルスディアの間に子供は生まれないのは、2人がよくわかっていることだ。

 ただ、純粋にティルスディアに温泉を楽しんでもらいたい。

 日頃王弟と側妃としての二重生活で苦労させている自覚があるだけに、ティルスディアが喜んでくれるならそれでよかった。

「喜んでくれたなら何よりだ」

「ふふ、わたくしは陛下といっしょであれば何でも嬉しいですよ」

 それは本心だ。

 シャーロットと一緒にいる為に、周りを偽り、側妃としてシャーロットのそばに侍り、彼を独占する。側妃なのは、そこに多少なりとも罪悪感があるからだが、それでも、彼の隣を許される優越感がないといえば嘘になる。

 サファルティアのままであれば、それはどうしたって難しいとわかっているからこそ、今の環境は決して嫌なものではない。

 これ以上を望んでは、きっと罰が当たる。

「ティル。あまり可愛いこと言わないでくれ」

「可愛い、ですか?」

 シャーロットが心底困るという顔をして、ティルスディアの頬を撫でる。

 化粧している感触に僅かばかり、心が痛んだ。

(化粧なんてしなくても、サフィの美しさが損なわれることはないが、これも意地なのだろうな……)

 サファルティアは決して童顔でも、女顔でも無いが、中性的で整った顔立ちだ。化粧など公的な場を除けば本来必要はない。

 手だって、筋張った男の手だ。

 数年前は剣ダコがあった手も、ずいぶんほっそりしている。

 ティルスディアでいることを強要したかったわけではないが、サファルティアを手放さないための苦肉の策だ。王弟として、シャーロットを支えたいというサファルティアの矜持を奪ってでも、シャーロットはサファルティアにそばにいて欲しかった。

「ああ、ティルは可愛いよ。その瞳にずっと私を映して、出来れば正妃になって欲しい」

「それは嫌です」

 バッサリと断るティルスディアにガンと頭を殴られた気分になる。

 いつもの事だが、正妃に関してはティルスディアは決して頷かない。

「でも、温泉は楽しみです。サマギルム島の温泉は子作りに良いと聞きますし、混浴もありますから」

 シャーロットは気遣って言わなかったが、ティルスディアはちゃんと知っていたようだ。

 サファルティアは、シャーロットには劣るものの、剣術も勉学も優秀な方だ。気質としては文官寄りだから知っていても不思議では無いのだが。

「私と一緒に入ってくれるのか?」

「陛下以外の殿方と入ってもよろしいのですか?」

「それは困る。ティルの肌を私以外が見るなんて、嫉妬でその男を殺したくなる」

「良かったです。わたくしも、陛下以外の方とご一緒は嫌ですから」

 ティルスディアの頬を撫でる手に、すりっと擦り寄る。

 チラリとシャーロットを見る目は、女の顔ではなく、獲物を逃がさないというオスの顔をしている。

 女性として振る舞いながらも、心から女になっているわけではない。その本質はサファルティアであると思うと、ギャップにゾクゾクとした何かが這い上がる。

 サファルティア自身は意図しているわけではないだろうが、その表情は先程までの無邪気なご令嬢では無く、妖艶で色欲を唆る。

 シャーロットは頭を抱えるようにため息を吐く。

「やはり取り止めようか……」

「何故です?」

「そんな顔したお前を誰にも見せたくない」

 切実なシャーロットの言葉にティルスディアはコロコロと笑う。

「何を仰るかと思えば。ふふっ、でも、嬉しいです。温泉、楽しみですね」

 ティルスディアが楽しみにしているのであれば、シャーロットが内心どんなに葛藤をしていても、行く以外の選択肢は無い。

 それに、企画した身としてはやはり嬉しい。

「ああ、そうだな」

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