終章


 アリアロス・マーシャルの処刑が行われてから早いもので数か月。

 大陸の南西にあり、比較的温暖な国であるシャルスリア王国にも冬がやってくる。

 サファルティアの治める北のキャロー領であれば、そろそろ雪が積もるだろう。

 社交シーズンも終わり、主だった貴族たちは自領に引き上げ、冬支度をする頃だというのに、シャーロットは山積みにされた紹介状や推薦状に頭を抱えていた。

 中には肖像画も一緒に送られてきており、見れば確かに美しい女性だが、だいぶ脚色されているだろうことは想像に難くない。

 皆、シャーロットの正妃候補にと送り付けられてきたものだ。

「ティルが恋しい……」

「陛下、馬鹿な事言ってないで仕事してください。はいこれ、来年の予算案です」

 紹介状や推薦状を押しのけて、エイヒャル・アドリーがこれまた分厚い資料を渡してくる。

 冬の間でも政治は回さなくてはならない。特にこの時期は翌年の税収や法整備、国土整備に軍部の強化、予算組みなど、やることは山のようにある。

 今年も地域によって収穫の差はあれど、安定した税収だ。いくつかの領地に補助は必要そうだが、国庫に大打撃を与えるほどでもない。

 シャーロットはそれらの書類に目を通して、サインして、不備があれば却下して……と機械的に作業することで嫁選びという現実から目を逸らす。

「……そういえば、例の法案。また教会が却下したようですね」

「ああ。神の教えに背くだとか何とか言っていたな。愛の女神が聞いて呆れる」

「まあ、婚姻も経済活動を促すきっかけにはなりますが、今無理して推し進める必要は無いのでは? それとも、陛下は世継ぎを作る気はないと?」

「そういうわけじゃない。……大事なものを失いたくないだけだ」

「ティルスディア様と何かあったのですか?」

「何もないから困っている」

 シャーロットに正妃はいないが、側妃がいる。

 シャーロット王の寵妃であるティルスディア・キャローとは、周囲が認める程相思相愛。であれば、彼女をさっさと王妃にしてしまえばいいという声は多い。

 しかし、肝心のティルスディアは何度シャーロットが説得しても、それに応じることはない。

 2人の間にいまだ子どもがいないことも、貴族たちが娘や親族の年頃の姫を押し売りしてくる原因ではあるのだが、それ以外は至って順調な夫婦生活だ。

 ティルスディアは側妃でありながら、今は空位の王妃の仕事も請け負っているためとても多忙だ。

 それ以外にも多忙な理由はいろいろあるのだが、彼女の抱える秘密こそが、この法案の鍵となっている。

「……そういえば、サファルティア殿下はこのことを知っているのですか?」

「何故サファルティアが出てくる……」

「いえ、本来であれば現在宰相の最有力候補は第二王子のサファルティア殿下ですから。優秀なお方ですし、何か案がないのかと思いましてね」

 シャーロットの弟であるサファルティアは、幼い頃から優秀で、勤勉で真面目で誠実な青年に育った。しかし、その才能故に体調を崩し、いまだ病気療養中として離宮に引きこもっている。自領の管理は行き届いているので生きてはいるのだろうが、この数年。その姿をみた数は片手で数える程度だ。

 サファルティアが元気であれば、彼を公爵に据え、宰相を任せることも出来ただろうし、シャーロットの絶対的な味方となる。

 そう思ったのだが……。

「サファルティアはこの案については私に丸投げしたぞ」

 正確にはエイヒャルと同じく、今無理してやる必要は無いと言われたのだが、シャーロットとしては出来るだけ早めに推し進めたい。せめて2年以内には成立させたいというのが本音であり、そこまでが限界だと感じているからだ。

「陛下の無茶振りはいつものことですが、あまりサファルティア殿下に心労をかけてはいけませんよ」

「お前はどっちの味方だ!」

「無論、シャーロット陛下ですよ」

 ニコニコと笑うエイヒャル。アドリー領の領主は食えない男だと言われるが、こういう時に実感する。

 シャーロットは不貞腐れたように再び書類に目を通し始めた。




 夜、仕事が終わりティルスディアの部屋を訪えば、美貌の淑女がシャーロットを出迎える。

「お帰りなさいませ、シャーロット陛下」

 アルトの落ち着いた甘い声に、艷やかな長い黒髪。深い碧の瞳に、柔らかな弧を描く唇。優雅な立ち居振る舞いは、深窓の姫君そのものだ。

「ただいま、ティルスディア」

 互いに微笑み合い、扉が締まれば夫婦の時間だ。

「まだ仕事していたのか?」

「ええ、まぁ」

「仕事熱心なのはいいが、ほどほどにな」

 ティルスディアはちらりとシャーロットを見る。

「そうですね。わたくしもそうしたいと思います」

 言いながらティルスディアは詰まれた紙の束をシャーロットの前にドンと置く。

「ティ、ティル?」

 紙の山は、全てシャーロットに宛てた正妃候補の娘の紹介状や推薦状だ。

 側妃であるティルスディアにその気がないのであれば、自分から進言しろということなのだろう。ティルスディアとてそうしなければならないことはわかっている。

 でも――。

「わたくしはやはり正妃には向かないと思うのです」

 そもそも、ティルスディア・キャローという女性は、本来存在しない。

 ティルスディアの正体は、第二王子、サファルティア・フェリエール。シャーロットの唯一の弟で、今ではたった一人の家族だ。

 兄弟と言っても血の繋がりはなく、本来であれば親戚程度の関係。

 それを知っているのもまた、今はシャーロットと当事者であるサファルティアだけ。

 秘密を共有する2人は、相思相愛の仲である。

 だが国の法律では同性婚は認められておらず、シャーロットは煩わしい嫁選びから逃れ、かつ愛するサファルティアとの派閥争いを起こすことを避けるために、本人同意の元サファルティアを側妃に封じた。

「陛下のことはお慕いしておりますが、子どもは産めませんから……」

 切なげな表情のティルスディアを見れば、シャーロットの胸も締め付けられる。

 どうやって慰めようか考えていると、ティルスディアは徐に紹介状を一枚摘まみ上げると、シャーロットに向ってにっこり微笑み、それを破り捨てた。

 ビリビリと豪快な音を立て、次々と破り捨てていくティルスディア。

 途中からめんどくさくなったのか、御令嬢では到底無理な枚数をまとめて破り始める。

 呆気にとられるシャーロットに、最後の一枚を紙くずにしたティルスディアはポツリと呟く。

「こんなことすべきじゃないと、わかってはいるんです」

 その声は、女性らしいアルトの声ではなくそれよりも少し低いテノールの声。

「でも、わた……僕は、あなたが好きですから、もうしばらく結婚しないでほしいと……思ってしまう……」

 どう頑張ってもサファルティアは女性にはなれないし、子どもも産めない。

 王に世継ぎは必要だとわかっていても、時々、そんな未来を想像して嫉妬で狂いそうになる。

「サフィ……」

 シャーロットに抱き締められると、嬉しいのに切なくて、サファルティアも控えめに抱き締め返す。

 すると、優しく包み込むようだった腕の力がぎゅっと息苦しいくらいになった。

「陛下……? んぅっ!?」

 不思議に思って顔を上げれば唇を塞がれる。無理やり口をこじ開けられ、舌をねじ込まれ、口の中を蹂躙する。

「ん、ふ……はっ……ンンッ!」

 唾液を流し込まれ、反射的に飲み込むと、甘いような苦いような味がして身体が熱くなる。飲みきれなかった唾液が顎を伝って滴る。

 ゾクゾクとした快感にサファルティアは腰が抜け、シャーロットに凭れ掛かる。

 身長差はあるものの、平均的な男子の体格を持つサファルティアに寄りかかられてもふらつくこともなく、むしろ逃がさないとばかりにますます強く抱きしめる。

「そんなに不安なら、正妃になることをさっさと受け入れればいいものを……」

「い、や、です」

「この頑固者め。何が結婚してほしくない、だ。お前は私を甘く見すぎている。そもそもサフィ以外を娶る気はないと以前から言っているはずだが?」

 シャーロットはティルスディアの右耳を飾る青い耳飾りを撫でる。

 以前、お忍びデートでシャーロットに強請ったお揃いの耳飾り。シャーロットの左耳にも同じものがあるのを見て、サファルティアはいっそう胸がしめつけられる。

「っ、それは……」

 サファルティアとてわかっている。けれど、シャーロットの立場を思えば甘えてばかりもいられない。

 そんなサファルティアの考えなどお見通しとばかりに、シャーロットはボソリと呟く。

「……躾が足りなかったか」

「はい?」

 今「躾」と言ったか? とサファルティアが疑問に思う前に、シャーロットに抱えられ寝室に連行される。

 広い室内とはいえ、寝室までシャーロットの歩幅なら10歩もいらない。あっという間にベッドに転がされたサファルティアは恐る恐るシャーロットを見上げる。

「私の可愛いサフィ。二度と不安にならないようたっぷり愛してやろう」

「え、っと……」

 明らかに怒っているシャーロットの瞳は、深い海の底のように仄暗い碧を映している。部屋が暗いせいだろうか。などと現実逃避しながらも、サファルティアはその瞳の奥に確かな熱と、何処か狂気を帯びた色に暗い歓びを見出す。

 見惚れていたのは僅かな時間。

「え、あ、ちょ……シャーリー! 待って、あんっ!」

 ドレスを脱がされ、素肌が晒されると手や唇で愛撫される。堪らず甘い声を上げれば、シャーロットはニヤリと笑う。

「私から離れられないよう、その身体にしっかり教え込んでやる」

「ひっ……!」

 こういう時のシャーロットは、サファルティアがいくら泣いて懇願しても、気絶しようが達していようが容赦なく責め立ててくる。下手すると3日はベッドから出られない。

 先程までの不安や心許なさは、もう無い。

 あるのはこの後の快楽地獄への恐怖だけだ。

「さあ、今夜はどれだけ耐えられるかな」

「や、無理……ひぁんっ! あ、あぁっ!!」

 サファルティアの身体を知り尽くしたシャーロットに、あれよあれよと言うまもなく溶かされる。それが嫌ではなく、サファルティアもまた愛おしく思っている。



 翌朝、大いに機嫌を損ねたティルスディアの機嫌を取ろうと、シャーロットが慌てふためく姿が王宮内で見かけられた。

 シャルスリア王国は、今日も平和だ。

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