第37話 ボタンの掛け違えは勘違い

「分かった。これは僕が上に掛け合っておくから、仕様書の修正を始めて」


 オフィス内にレイトの声が響く。

 その声を耳にした黄島は興味なさそうな雰囲気を出しつつそちらに視線を送った。


「『フィッシャーキング』また仕様変更かぁ……」


 あくびを噛み殺しつつそうつぶやく黄島、だが実際には明日は我が身と思っている。

 新規開発ではこれまでにない新しい機能を盛り込もうとすることが多いのだが、実際には開発期間や技術的な問題、そして法律上の問題などから仕様変更を余儀なくされるということが多々ある。


 そして優秀な人材を集めた『フィッシャーキング』のプロジェクトにおいても同じことが起きていた。

 特に原作のアニメ化に合わせてのリリースとなるため、開発期間はかなりタイトであることは明白であったが、ゲームの仕様がまとまってきたことでより顕著になってきていたのだった。


「江ノ島さん、修正の方向性は分かっているよね」


 レイトが担当者に念を押す。


「もちろん。簡略化しつつ後の改修を念頭に置いた拡張性の維持ですよね」


 担当者も手慣れたもので、即座にレイトへと回答する。


「お願いします。あと大村さん、予測を立ててほしいんだけど……」

「仕様を修正しなかった場合と、した場合のユーザー動向ですか?」

「はい。できますか?」

「正直な話、リリース前のもので予測を立てるのは難しいですが、近しい内容のデータ取り寄せて検証してみます」


 レイトは頭を下げる。

 ゲーム自体が世に出ていないのに、客の動向を予測するという無理難題を突きつけているのは礼と自身も自覚しており、自然と頭を下げていた。


「ありがとうございます。あ、紗倉さん、データベースDBは手が空くと思うから……」


 ひっきりなしに指示を出しては、他の担当パートの要望を聞く。

 レイト自身も抱える仕事があるのだが、現場を回すのが最優先と動き回っていた。


「コノハはできる?」


 ふと黄島は横のデスクに座るコノハに聞いてみる。

 コノハはこれからディレクターとして自分たちを引っ張っていくのだから、気になるところだった。

 もちろん引っ張っていくだけがディレクターのやり方ではないが、少なくともコノハの場合に求められるのはこのタイプだろう。

 本人はどう思っているかは知らないが、世間からはあのとして見られる以上、同じような動きを求められるだろう。


「……」

「聞いてるの?……って、んんっ!?」


 返事のないコノハの方を向いた黄島は、コノハの姿を見て思わず驚きの声を上げる。


 それは猫背になりながら、ノートPCの画面を睨むように半眼で見つめ、高速でキータッチするコノハの姿だった。

 物書きの誇張表現としてよく使われる姿勢だが、リアルにそれをやられるとさすがに驚く。

 しかも、その内容は普段サボっていて溜まった日報なら尚更だ。


「ちょっと、コノハ!」


 黄島は改めて、少し強めに呼び掛ける。


「ほえ?」


 その声でようやく我に返ったのか、妙に脱力した声が返ってきた。


「『ほえ』じゃないわよ、まったく」


 少しあきれたような口ぶりで話し始めた黄島だが、完全にタイミングを逸してしまい、先ほどの話題を振るのは止めた。

 デスクに常備しているカゴからアメ玉を1つ取り出し「ほい!」とコノハに投げる。


「おっとと」


 ゆるい放物線を描きながらも確実に額へとめがけて飛んでくるアメをコノハは慌ててキャッチする。

 キャッチしたアメをコノハは改めて見つめる。

 それはソーダアメ。

 シュワシュワとした感じが刺激的なヤツだった。


 コノハがそのアメを無造作に口へと運ぶのを見て、黄島はニッコリと笑う。


「そう言えばコノハ、ユウヤ君はどおしたの?」


 コノハの相棒が見当たらないことから、尋ねてみた。


白雀スズナ先生ちゃんの契約手続きで、総務へ付き添ってる」


 アメを器用に歯と頬の間に挟みつつコノハが答える。


「あ〜なるほど〜」


 スズナの事を思い出しながら黄島はうなずく。

 昨日、諸々の条件面が揃ったので、スズナは非常勤の契約社員としてワグテイルに入社することになった。

 そこで受け入れ側としてユウヤが立ち会っているのだ。

 本来なら課長の五嶋の仕事なのだが、万年在宅の五嶋がこのためだけに出社することは無いか……。


「しっかし、さっきはなんでカリカリしていたのさ?」

「カリカリしていた?」


 先ほどのコノハの状況について黄島が尋ねる。

 しかしコノハ自身には自覚がなく、腕を組みつつ首を傾げた。


「集中してるっていうより、焦ってるみたいな」


 そう続ける黄島の言葉にコノハは手を軽く叩き、何か思いついた様な表情になる。


「焦ってはいたね、企画の骨子を固めるのにソロソロ、ライターが必要だから」

「あんたが、あらすじ書くんじゃダメなの?」


 そう言いながら黄島は、改めてコノハの方に椅子を向けると、デスクの上のスティッククッキーを手に取り口にくわえる。

 黄島は以前、かなりのヘビースモーカーだった。

 デスクの上のお菓子類も、喫煙を抑えるために用意していたのが常態化した結果であり、細い物をくわえる癖も残っている。

 もっとも今は、タバコ類はすっぱり止めているのだが。


「初めだけだからいいけど、後々のことを考えると、やっぱりメインライターに書いてもらうのがいいんだよね~」


 口元でクッキーを動かす黄島を見ながらコノハが答える。


「でもレイトさんに任せる訳にはいかないからねぇ」


 黄島は腕を組みつつ頭をひねる。

 彼女にとっても、参入したプロジェクトの問題は自分事だ。

 できるなら手伝いたいのだが、生憎と物書きの知り合いは少ない。


「う〜ん、そこなのよね……」


 コノハも同じように首を傾げるのを見て黄島はウンウンとうなずく。


「……違和感があるんだよ。この前のスズナちゃんとの話と、今の状態に何か行き違いがあるんじゃないかなと」


 唐突にそう言うコノハに、思わず黄島はポカンと口をあける。

 どうやら、まだコノハは諦めていないことに驚いたからだ。

 諦めが悪い事自体は決して悪いことではない。

 現に黄島が今の立場にいるのは、様々なしがらみの中で諦めなかったから以外に無い。

 だが、行き過ぎれば執着となる。

 そうなれば、無理筋であろうと突っ込んでいく可能性がある。

 特にコノハは情熱と理性がせめぎ合っているタイプであり、どちらかといえば情熱が表に出やすい。

 故に情熱と執着を履き違えることが有れば、その先は大惨事だ。


「ちょっと冷静になりなよ」


 コノハの肩に手を置き黄島が諭すように言う。

 しかし、その手にコノハは優しく自分の手を重ねる。


「ありがとう黄島ちゃん。わたしは冷静だよ」


 そう言いながら微笑む。

 その表情は穏やかそうにみえるが、よく見れば興奮しているのか頬が紅潮している。


(何考えてるか分からないけど、ヤバい!)


 黄島の頭の中で警鐘が鳴り響いていた。

 何か別の話題で黄をそらそうと考えるが、いいネタが思いつかない。

 黄島の欠点の一つとして、このような緊急時にテンパる所がある。

 普段はチャラチャラしているように見えていて、仕事をそつなくこなし、人間関係も円満な彼女だが、慌てると普段からは考えられないミスをする。

 ちょうど……。


「きゃっ!?」


 オフィス内に黄島の悲鳴が響く。

 めいめいに活動していた他の社員が、何事かとこちらへ視線を向ける。

 そこには尻もちをついた黄島の姿。


「イタタタ……」


 腰をさすりながら立ち上がった黄島。

 そこでオフィス内の視線が自分に集中している事に気が付く。


「あっ!ハハハ、こ、これは座り直そうとして滑っちゃって……」


 慌ててごまかし笑いをする。

 そして余裕ありそうに見せようとデスクに片手をついたその時、手の下に有った書類束で手が滑った。


 激しい転倒音と舞い上がる書類。


 周囲は完全にあっけにとられていた。


「なに、やってるんですか……?」


 皆が一様に対応に困っている中、最初に声をかけたのはちょうどオフィスに戻ってきたユウヤだった。


「コノハならともかく、黄島さんがトラブルの中心なんて珍しい……」


 黄島に手を差し伸べながら、ボソっと辛辣な一言。


「何をっ!今回はカンケー無いわよ」


 しかし声を上げたのはコノハ。

 そのコノハを横目で見ながら、ユウヤは苦笑する。


「一応、自覚は有るみたいだな。とりあえず床の書類拾ってくれよ」


 あくまで穏やかにそう告げると、ユウヤは黄島が手を握った事を確認し、一気に引き起こす。


「い、いや〜、助かったよ…」


 照れくさそうに苦笑いしながら立ち上がりつつ黄島はユウヤに礼を述べた。

 それに対し、ユウヤは「お互い様ですよ」とだけ告げて、コノハの書類拾いを手伝い始めた。


「念の為、そこで休んでくださいね」


 それを見て黄島は自分も手伝おうとするが、ユウヤは有無を言わさない強めの語調で釘を刺した。

 普段の彼とは違うその勢いに黄島は慌ててうなずくと座り直した。


「ちょっと、言葉強くない?黄島ちゃんも年上とは言え女の子だよ」


 コソリとコノハが小声でユウヤに言う。

 それに対しユウヤはすぐに答えなかった。


「……」


 その態度に一瞬、ムスッとした表情を浮かべたコノハだが、書類を拾う作業に没頭した。

 黄島のデスクには思った以上に紙の資料が置かれていたので、そのほとんどを拾い集めるにはそれなりに時間がかかった。


「多分、コレで全てだと思いますが、念の為に確認して下さい」


 それぞれに書類をデスクに置くとユウヤは黄島にそう言う。


「あと、腰の痛みが引かないなら、早めに整形外科に行ってください」


 さらにそう付け加えると、大きく息をついて自席に座った。


「で、さっきの話、どうなのよ?」


 そんなユウヤの背後からコノハが首を前に突き出しながら問い詰める。

 その表情から先ほど無視されたことで不機嫌なことが分かる。


「昔、ちょっとした似たようなトラブルが有ってな、同じ事を繰り返したくないだけだよ」


 少し遠い目をするユウヤに、コノハはユウヤの過去に何があるのだと感じ、それ以上の追求は止めた。

 本人が話したくなれば、そのうち話すだろう。

 自分たちはどれだけ仲良くても、仕事の相棒であって恋人とかでは無いのだから。


 そう思うとコノハは、思考を切り替える。

 すると黄島が転ぶ前の事を思い出す。


「あっ!そうだった!!」


 自分の背後でコノハが叫ぶものだから、ユウヤも驚き席から落ちそうになる。

 そんなユウヤの両肩をコノハはガシッと掴み、椅子を180°回転させ、ユウヤを自分の方へ向ける。


「ユウヤ、スズナちゃんは?」


 椅子のサイドに付けられた肘掛けに両手を置き、前かがみになったコノハが睨み上げるようにユウヤを見つめる。


「っ…!?」


 その迫力に思わずユウヤはたじろぐ。


「今日は帰らせた。PCの準備も終わってないし」


 だがすぐに気を取り直したユウヤは、やや早口で返す。


「な〜んだ……」


 それを聞いたコノハはため息をつきつつ立ち上がり、大仰に両手を広げた。


「スズナに用事があるなら初めに言っておいてくれればよかったじゃないか」


 その態度を見たユウヤが少し口を尖らせ気味に言う。


「うん。まぁ用事があるって訳じゃなくて、スズナちゃんがいたら話が早く終わるってだけ」

「話が早く終る?」


 コノハの言葉の意図が掴めずユウヤは思わず聞き返した。


「確認したいことがあったのよ」


 コノハは自分のデスク上のPCを操作し、一つのファイルを呼び出す。

 それは先日、黒瀬から渡された『エアリアル・レブ』に関する社内通達のメール。

 ユウヤとコノハはこのメールの内容を散々確認した。

 その結果、エアリアル・レブ連載開始当初、確かにレイトと小豆の二人で原案、脚本を担当してたのは間違いなかった。

 そして、エアリアル・レブの脚本から降りる事になったのが二人の婚約破棄の時期と重なっていることまでは確認できていた。

 もっとも、それが分かったところで、レイトが関わっている以上、ライターについては別の人を探す方向で考えていたが、コノハは何か違和感を感じていたのだろうか……?


「まさか、レイトさんを口説き落とす手段があるとか言わないよな?」


 見当がつかないユウヤは、あえて冗談めかしにそう言う。


「そんな訳ないでしょ、わたしだってお兄ちゃんを引き込むのは不可能よ」

「じゃあ、なんなんだよ?」


 コノハは面白くない冗談だとユウヤを睨見つけるが、本当に困った顔のユウヤを見て「しょうがないなぁ」とまた小さくため息をついた。

 その態度にユウヤは喉元まで反論が出そうになったが、必死の思いで飲み込む。

 コノハは終始、相手は自分と同等かそれ以上の考えを持っていると考えている節があり、それが外れると落胆してしまう性格だった。

 それが態度に出てしまうのが、彼女の交流関係が狭い一因でもあった。

 それをユウヤは、最近理解し始めており無用なツッコミなどは控えるようにしている。


「この前、スズナちゃんが来た時だけど……」


 いつになく真剣な眼差しで切り出した話しは、ユウヤにとっては世間話に聞こえた。

 だがその事を顔に出さないようにしながら、首をコクコクと振り、話の続きを促す。


「ロビーで話していた時に、お兄ちゃんが来たじゃない。その時のスズナちゃんの反応覚えてる?」


 そう言われてユウヤは先日の事を思い出す。

 契約することが決まり、スズナを送るためにコノハとロビーに向かった時……。

 いつもの様に言い合いを始めたユウヤとコノハ。

 そこにどこからかやってきたレイトが割って入ってきたのだったが……。


「あっ!!」


 ユウヤもコノハの言葉の意味に気が付き声を上げた。


「あの時、スズナはレイトさんに会ったのに反応が薄かった……」

「そう、もし鼎アズキ先生と会ったならそれなりの反応をしていたはず」


 2人の意見がカッチリとかかみ合った感覚。


「「鼎アズキは小豆おずさんだ!」」


 パーン


 見事なハモリで声を上げた2人は思わずハイタッチを交わす。


「そうと決まれば早速、カナエお姉ちゃんのとこに行くよ!」


 コノハはそういうが早いか立ち上がる。


「お姉ちゃん?」


 思わず怪訝な声を上げるユウヤに、コノハは「あっ!」と小さく声をもらした。


「い、いや、以前カナエさんがお兄ちゃんと婚約していた頃、『お姉ちゃん』って呼んでいたから……」

「ああ、なるほど」


 少し冷めた目でコノハを見ながら納得するユウヤだが、すぐに少し意地の悪い笑みを浮かべ立ち上がる。


「じゃあ、小豆に会いに行きますか!」


 そう言うが早いか駆け足でオフィスから立ち去っていった。


「くぉら〜!あんたまでお姉ちゃん呼びするな〜!!」


 そう叫びながらコノハがユウヤの後を追いかけて走り出す。


「ほっっんと、元気なことで……」


 そんなやり取りを見ていた黄島がヤレヤレとため息をついた。

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