第20話 出会いのポートフォリオ
日が陰りつつある午後。
スズナは目の前のビルを見上げていた。
「はぁ〜、やっぱり大きいなぁ〜」
どこか呑気な声を上げる彼女の姿は暗めの色を基調とするブラウスとスカートに茶色いブーツ、頭には服装とは逆に白いベレー帽。
肩からは大きなカバンを1つ掛けており、デザイン系の学生のように見えた。
「やっぱり、ここで仕事してるんだからお兄ちゃんはすごいんだなぁ」
そんな独り言をつぶやき、「よしっ!」と気合いを入れた彼女は目の前のビル。
すなわち株式会社ワグテイルの本社へと足を踏み入れた。
だが中に入ってすぐにスズナは戸惑うことになる。
元々企業に勤めた経験のない彼女にとって、企業ビルのエントランスは未知の空間であった。
人の往来が多く、以前見たドラマの事を思い出し受付を探すが、なかなか見つけられなかった。
(こんなことなら、お兄ちゃんに来てもらうほうが良いかな?)
不意にユウヤの事を思い出し、助けてもらおうかと考えた。
しかし、今日の案件は彼とは関係ないので、 万が一迷惑をかけたら申し訳ない。
「どうかされました?」
思考の堂々めぐりをしていると、突然後ろから声をかけられた。
慌てて振り返るとそこには女性が立っていた。
自分が少しヒールの高いブーツを履いているとは言え、相手は自分より頭1つ分は低く、どこかあどけなさが残る顔立ちに自分より年下の少女かと思ったが、場所が場所なだけにその可能性は低いだろう。
だが、目の前の女性は勝ち気そうな瞳を好奇心に輝かせている。
それはスズナに子供のように感じさせていた。
「え、ええと、ワグテイルプロジェクトの上原さんと面会のお約束がありまして」
しどろもどろになりながら答えるスズナに、眼の前の女性は笑いかけた。
「ああ、うちの部署にご用でしたかぁ」
女性はそう言うが早いか、スズナの手を取り歩き始める。
「あの、ど、どこに?」
スズナの前でややクセのあるセミロングヘアが揺れている。
「案内しますよ、わたしもオフィスへ戻るところだったんで」
しっかりと手を握ったまま、弾んだ声が返ってきた。
やや強引だけど悪い人ではなさそうだ。
スズナはそう思い、彼女の後を引っ張られながらついて行った。
たまたま総務部へ用事があった帰り道、エントランスでコノハは見慣れないタイプの人物を見かけた。
地味めな服装だが、頭には真っ白なベレー帽。
お硬い他部署の人ではない、だが
キョロキョロと周囲を見回している様子からも、来訪者であることが分かる。
普段なら他の人が声を掛けるだろうと素通りするところだが、彼女が気になった。
恐らく、広い意味では自分と似たタイプの人間。
性格的に一般社会に溶け込めない人だと直感的に感じとっていた。
自分でそう思って悲しい気持ちになる。
せめて兄の半分でも社交性があったらとは思うが、無い物ねだりだ。
ともかく、コノハは彼女に声をかけることにした。
「案内しますよ、わたしもオフィスへ戻るところだったんで」
話を聞けば、彼女は企画一課の上原に用事があるらしい。
コノハは相手の返事も聞かずに彼女の手を引き案内することにした。
「ここがゲーム開発事業部のオフィス」
部署の入り口まで案内したコノハは、彼女にそう告げる。
「あ、ありがとうございます……」
彼女は顔を赤くし、消え去りそうな声でお礼を言う。
それを見て思わず満面の笑みでうなずくコノハ。
「じゃあ、上原さん呼んできますから」
コノハはそれだけ告げると、1人オフィスの扉の中へと入っていった。
そのまま一課のエリアまで行き見回す。
いつもの様に難しい顔をしている上原を見つける。
「上原さん、お客さんだよ」
「えっ?」
上原のそばまで行き来客を告げる。
集中していたのか、それまでコノハの存在に気が付かなかった上原が変な声をあげる。
そのままコノハの方を見る。
細く切れ長な目にとおった鼻立ちにストレートロングな髪の彼女だが、目の下にクマがあり、髪もやや乱れていた。
そんな上原は、一瞬何を言われたか分からない状態だったが、程なく予定を思い出したのか無言で走り去っていった。
「むー……」
そんな上原をジト目で見送ったコノハだが、一方で仕方ないとの思いもあった。
そもそも部署内でコノハが浮いているのも、上原とのいさかいが原因だった。
それ以来、上原はコノハのことを避けており、コノハも必要には関わろうとはしていない。
ただ業務連絡については、ちゃんと挨拶ぐらいはして欲しいと思った。
もっともコノハも来客の名前を聞き忘れていたので、そこをツッコまれていたらまた問題が発生していたかもしれないのだが。
「ま、いっか」
コノハはそうつぶやいて席へと戻ろうとした時、上原の締め忘れたPCのモニターが視界に入った。
そこには恐らく上原がチェックしていたゲーム内イラストカードの原画であろう。
PCを開きっぱなしってセキュリティ的にどうなの?とは思うがそのイラストから目が離せなくなる。
その絵はラフにしても荒いタッチで描かれており迷いが有るのか複数の線が描かれている。
それらから制作者のキャリアの浅さはコノハの目からも明らかだった。
だが、その中に何かコノハには引っかかる物があった。
それは自分の表現したいものを求める必死にあがき続ける様なもの。
例えるなら湖上にたたずむ白鳥が水面下では必死に足を漕いでいるような感じ。
恐らく最終的には綺麗なイラストに仕上がるだろうが、それまでに納得いくまで努力を惜しまない姿勢を想像させた。
コノハは思わず、細かくイラストを確認したいと手を伸ばしかけるが、他人のPCである以上、勝手に触るわけには行かない。
仕方なく、イラストファイルのファイル名を見る。
そこには『イラストカード_白雀_ラフ』と書かれていた。
少なくとも上原が担当するゲームに『白雀』と言う名前のキャラクターは登場していない。
ならば制作者の名前である可能性が高い。
『白雀』という名前は聞き慣れないので、恐らくペンネームだろうが、イラスト投稿サイトなどにはその名で登録されているだろうから後で調べておこう。
そう決めると足早に上原の席から立ち去った。
(はぁ〜、私ってホント最悪……。)
上原との打ち合わせが終わったスズナは、彼女の見送りを部署の入り口までで辞退し、廊下を歩いていた。
打ち合わせの結果はダメ出しのオンパレード。
構図に始まり、技法に至るまで細々と指摘された。
彼女の指摘は正確であり、自分のミスは明らかだった。
(上原さんは元々デザイナー出身って話しだから、指摘をしっかり守ってスキルアップしないと。)
そう考え、次回提出までにしっかりと直そうと意欲を持つことで、落ち込みつつある気持ちを奮い立たせた。
引っ込み思案のため誤解されがちだが、スズナの性格は極めてポジティブである。
ただ会話やチャットでの感情表現が苦手なため、どもっているように見えてしまうだけだった。
とは言え、今日の打ち合わせは少し疲れた。
上原は決して悪い人ではないのだが、話をする時の
内容は全て納得できるのだが、その語気の強さが少しだけ心に刺さる。
元々感じていた事だが、今回直接会って改めて感じた。
そんな事もあってユウヤに事前に上原の人となりを確認したかったのだが、肝心な時に帰りが遅く捕まえられない。
休日も朝早くに出かけてしまうので結果は同じだった。
(帰ったらお兄ちゃんに文句のメッセージ送ってやるかな。)
そんなことを考えながら歩いていると、開けた場所が目に入る。
そこには円形のテーブルを囲むソファや、窓に沿って並ぶ椅子たち。
奥にはコーヒーやジュースの自販機も有る。
どうやら休憩ルームらしい。
そしてよく見れば、
『カフェエリア
下記の時間帯は外部の方も使用できます。
15:00 〜 18:00』
と書かれたボードが出ていた。
スマホで時間を確認すると17時を少し過ぎたくらいだ。
30分くらい休憩していこうと、スズナは財布を取り出し自販機へと足早に駆け寄った。
カップの紅茶を購入し、何やら談笑しているスーツ姿の人たちを避けながら窓際の席へと移動する。
椅子に座り足元にカバンを置くと、紅茶に口をつける。
温かい紅茶が喉を通るのを感じると、全身がほぐれるような感じがした。
どうやら自分でも思っていた以上に緊張していたらしい。
(このまま上手くいくかな?上原さんはまだ付き合ってくれるみたいだけど……)
ふと上原が見せてくれた、他の人のラフ画像を思い出す。
どれも名前のとおったイラストレーターによるもので、中には完成画稿と思える程の物もあった。
恐らく上原は、叱咤のつもりでこれらを見せてくれたのだろうが、まだまだ自分の技量が未熟と思っているスズナは戸惑っていた。
本当に商業ベースに自分のイラストを載せて良いのか不安を覚えていた。
そんな気持ちが次第に気分を落ち込ませていくのか、再び身体が緊張してきた。
「あれ!もしかして
「きゃっ!??」
不意に後ろから声をかけられた。
驚きで飛び上がりそうになるのを必死にこらえたが、声だけは漏れてしまった。
この会社でスズナを知っているのはユウヤと上原のみだ。
声も女性のものである以上、上原だと思うがそうすると問いかけが不自然だった。
ならば誰だろう?
恐る恐る振り向く。
そこには上原とは異なり、白いブラウスに紺のタイトスカートを身に着ける女性が立っていた。
質素なビジネススタイルだが、わずかにシルバーフレームの眼鏡と首に巻かれたシックな色合いのスカーフが特徴的だ。
そして長くストレートな髪は上原と同じだが、彼女と比べて憂いと言うかおっとりとした印象を受ける顔立ち。
まじまじと見つめていたスズナは、ふとその顔にスズナは思い当たる人物を思い出す。
ここにいるとは到底思えないのだが、思わずその名前を口にした。
「アズキ先生!?」
先生と呼ばれた女性は困った表情を浮かべると、右手人差し指を自分の口に当てるのだった。
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