第二章

第33話 シリアスな空気から始まっているような……そうでもないような


 闇の帳が降りた部屋。青白い炎が揺らぎながら部屋を僅かに照らすが、それは全貌を露わにする程の光量には満たず、暗闇の中に人魂が浮かんでいるようなおどろおどろしいものになっている。


 そんな底冷えした空気に満ちたその場所に、四人の人影があった。


 その一つは、玉座という言葉が相応しい、大きな紫色の腰掛けに座っている。


「来なさい、可愛い我が子達」


「「「は、お母様」」」


 お母様と呼ばれた腰掛けている女の容姿は、伸びに伸びて床に広がる黒髪と、豊満な身体を薄くとも質の良さが見て取れる紫色の生地で包んでいるのが特徴だろう。顔もまた紫色の布で隠されており、見ることは叶わない。しかし纏う雰囲気には若々しさが満ちており、およそ母という言葉の似合わぬ者である。


 我が子たちと呼ばれた母の前に跪いている三人もまた、黒髪に豊満な身体であり、一様に首元で短く切りそろえた髪と、厚手の黒装束、素顔を晒して紫の瞳が見えていること以外は母と呼ばれた者に似通っている。顔をよく見れば僅かに違いがあるために三つ子では無いと分かるが、それ以外に差異は見当たらない。


「白の一族が救われました」


 母と呼ばれた女が言う。


「白穢しの子達は皆旅立ちました」


 心痛を示すその声色は、正しく子を失った母のようだ。


「あのおぞましい儀式をもうしなくても良い。それは素晴らしい事ですが、それでも白穢しの子達も役目に準じただけです。たとえ世界に忌み嫌われる者たちであれ、母なる私だけは悼みます」


「「「は、お母様」」」


 子と呼ばれた者たちは、顔を伏せて母の痛みに同調を示す。言葉も動きもズレがなく、同調した機械のような見事なシンクロである。


「白の一族が救われたということは、宙葉そらばの雫は魔王として目を覚まします。試練が始まるのです」


 魔王が目を覚ます。それを避けられぬ運命と疑いもなく断定し、母と呼ばれた女は厳かなる雰囲気で子らにその言葉を与えた。


「――夜狩りの子達、試練に備えなさい。一人でも多く夜の種子を狩るのです」


「「「――は、お母様。そのお話は五度目となります」」」


 子らのその言葉の後に沈黙が降りる。


 ヒリついていた空気は、途端にどこか間抜けな雰囲気に変わってしまった。


「……あら? もうそんなにお話ししたかしら」


「お母様、もう救った者への予言を渡しにアイツを送り込んだではないですか」


 子の一人が少々呆れを隠すことを失敗しながら、母に指摘する。


「あら〜。ご飯を食べてなくてぼんやりしてたのかしら。お昼ご飯はなにかしら?」


「お母様、朝ご飯を食べたばかりでございます。お母様」


「あら〜」


 母の反応に小さく息を吐く三人。どうやら彼らにとってこういったやり取りは珍しくもないようだ。


 弛緩した空気の中、小声で今日もいつも通りで良さそうだと子供たちが話していると、母が何かを思い出したように手をぽんっと合わせる。


「あら、そうだわ。予言が変わったの」


「「「!?」」」


 しかしその発言はいつも通りからは逸脱したものであり、子供たちの様子は激変する。大きく目を見開き、母に驚愕の視線を向け、その視線によって説明を求めた。


「帝国に堕ちる夜。その依代が姿を変えたわ」


「お、お母様の予言が変わった……!?」


「今までこんなことは……一度だってなかったのに」


 子供たちは酷く取り乱した様子を見せる。母の言葉に絶対的な信頼があるのだろう。予言――つまり未来を示す言葉に変化が訪れたということは、母の力が届かぬ何か特別な要因が生まれたことを意味する。


 絶対的信頼を得ていた母の予言の変化。それにより、表面で見えるもの以上に子らの精神は乱れる。


「夜はカタチを変えました。それでも……それでも、夜が生まれる未来だけは変わりません。ごめんなさい、愛しい我が子達。本当に、ごめんなさい……」


 しかし、その母の謝罪を聞いた子らは瞬時に先程までと同じ雰囲気に切り替えてみせた。


「「「お母様の責任ではございません。我らの魂は人の世のために」」」


「……ありがとう」


 敬虔なる信徒が神の前に傅くように、子供たちは母へと頭を下げ、覚悟を示す言葉を吐く。


 母に謝らせてはならない。それだけは許してはならないのだという子らの想い。その想いに触れた母は、静かに感謝を返す。


 人の世のために魂を捧げた黒の一族。その絆の一旦が発露した場面であった。


「そう……だから、ニュイ・・・という子を殺さなくてもよくなったわ。忘れないでね我が子達」


「「「は、お母様」」」


 ……

 …………

 ………………


 先程の重々しい場所とは違い、小さな生活感溢れる掘っ建て小屋に子供たちはいた。カップに注いだスープを飲みながらテーブルを囲み、先の会話を整理してこれからの指針を決めていたのだ。


 予言に変化が訪れた以上、今までのような活動の仕方では問題が起きるかもしれない。即座に命を奪うのではなく、捕獲も視野に入れるべきでは無いのか? などと大変な物騒な会話が続いたのだが、あるタイミングで一人が気がついた。


「……? あれ、アイツってもう予言を持っていったんだよな」


「ええ、森前街に向かっているはずよ」


「それがどうしたんだ?」


「――ニュイって子は殺さなくてもいいって、知らなくね?」


「「あ……」」


 二人の顔から血の気が引く。このままでは殺さなくて良い者を殺害することになる、と気がついてしまったのだ。


 悠長に話をしている場合では無い、と三人は見事な速度で出発の準備を整え始める。


「あら〜美味しそうなスープね。身体が温まりそう。私の分はあるかしら。私も一杯頂きたいわ」


 そこに髪を雑に紐で縛った母が来た。あまりにも長い髪のために、後ろで団子を作ってなお肩から前に流れている。もう完全に若奥様のような雰囲気である。


 そんな母の前に子供たちはバタバタと集まり、しゃがみこんで頭を下げた。


「「「お母様! 夜狩りは出撃致します!」」」


「あら、いってらっしゃい。晩御飯には帰ってくるのよ」


「「「それは無理ですお母様!」」」


   §


 アンタール辺境の森前街、その一つ。ツバメたちが住む東七番森前街とは違い、酷く荒廃した雰囲気を持つこの街は、表を歩く人間が少なく寂れている。


 ナニカの爪痕が残る家々に、時折転がっている死体。放置され、泥と混じって固まった雪とゴミが外観と共に衛生面を著しく悪化させていた。


 街を守る警戒門は、その身に刻まれた魔法陣にヒビを入れたまま放置され、門としての役割を失って久しいために、この街には門番すらいない。もはやここは街としてまともに機能していないだろう。


 直近の十年間、魔物の被害が他の森前街に比べて多かったこの街は、じわりじわりと人の流出が相次いだ。


 街を守る戦力が減り、被害が増え、人が減る。人手が削れ、街を修繕をする余裕を失い、街の守りが崩れて、被害が更に増える。被害が増えれば当然、人が減る。そんな負のループに入ってしまった結果、ここまで荒れ果てた。


 今や荒くれ者と、逃げ遅れた弱者の巣窟である。


「おわぁあああ!?」


 そんな街中で男が一人、空中でぐるりと回転してから背中から地面に叩きつけられた。受け身を取ることが叶わなかった男は、その衝撃で肺から息を吹き出して悶絶する。


 投げられた男は、その身が荒くれ者であると見せつけるような格好をしており、その呻き声には怒りが滲んでいた。


 その近くに立つ影は三つ。


「……ねぇ、バカ。ボクたちの目的地って凄く治安が良いところって話だったよね?」


 ゴシックロリータの服装にフードを被った子供と見紛う背丈の小さな少女が、男を見事に投げ飛ばした者に向かってトゲトゲしく言う。


「おう! 女子供が一人でいても拐われねえって話だな!」


 黒髪に紫の瞳。少女とは真反対に背が大きく、胸と臀もデカい黒装束の大女が、投げ飛ばした男の顎を蹴り飛ばしてから答える。


 少々マヌケな声を上げて、男は気絶した。


 それを少女は呆れたように見届けてから言う。


「街に入って五分で輩に絡まれたんだけど、この街って治安が良いわけ? ボクの治安に対する価値基準が常識から逸脱してるだけで、世間的にはここは治安が良いの?」


「戦場よか治安はいいんじゃねぇか?」


「比較対象がバカすぎるでしょ」


 死と鮮血、怨嗟と悲鳴が入り交じる戦場に比べれば、なるほど確かにこの世の大半は治安が良いと言えるだろう。だが、少女はバカの理論と一蹴する。


 大女もまた、無理のある答えだと分かっていたのか、肩を竦めた。


「まあ、お母様も良い歳だからな。ボケちまってるし、予言の一つや二つ外れたりもすんだろ」


「まず自分のミスを疑え。そして迷ったことを認めろ、このバカ。あと、びっくりするぐらい敬意がない発言をするんじゃないわよ。聞いてるこっちが気を使うじゃない」


 そんな少々トゲのある会話をしている横から、なんとも気まずそうに一人の女性が二人に話しかける。


「あの……助けてくれてありがとうございました」


 どこにでも居そうな町娘、といった容貌の彼女は丁寧に頭を下げながら感謝を伝えた。


 その言葉に大女が首を傾げる。


「……ん? 助けたっけか?」


「助けたんじゃない? この人に絡んでる輩に肩をぶつけて叩きのめしたんだし。やり方が物騒すぎてむしろバカの方が輩っぽいけどさ」


「はい、助けられたと思います」


「そうか? そうなのか?」


「は、はい。私は助かっています。こうして無事でいます」


 助けた方は自覚なく、助けられた方が貴方たちが自分を助けたのだと説得する少々奇妙な会話である。


「ん〜。単に邪魔だったからぶっ飛ばしただけなんだがなぁ」


「言い分が悪人のそれじゃない」


「そりゃ俺の歩いてるところにいるのが悪いだろ。道を開けてりゃ殴らなかったぞ?」


「王様か? この世の道は俺のもの理論か?」


 大女の態度は気恥しさを隠すものではなく、純粋に好き勝手やって感謝されることに違和感を感じているものだ。


 そんな恩人の姿に、町娘は『あ、なんか思ってたのと違う反応だ』と困惑した。


「わぁ……本当にこういう人いるんだ……」


「助けられた側に引かれてんじゃん」


「でも俺様も……ありかも……」


「いやありなのかよ。貴方、ちょっと考え直した方が良いわよ?」


 困惑した結果、不思議な方向に答えを出してしまった町娘に、少女が努めて冷静にツッコミをする。


 少女は大女とそれなりに付き合いがあるため、大女が大変困った人間だと把握している。よって少女のそれは親切心から来た忠告であった。ぽうっと惚けている町娘には聞こえなかったようだが。


 大女は向けられた感謝への整理がついたのか、捻っていた首を戻して町娘に向き合う。


「おう、んじゃ助けられた恩返しに教えてくれ。ここはどこだ?」


 目下のところ、異質な二人組が最も必要とする情報を確認することを選んだ大女。町娘は恩返しに単なる情報を求められたことに、戸惑いつつ答える。


「ここはどこ……? 街の名前なら、西四番森前街ですが……」


「「……………………」」


 知らずにこんな荒れ果てた街に来たのか? とでも言いたげな口調であったが、無論、二人組は知らなかった。


 押し黙った二人と『え、本当で知らずに来たのこの人たち?』と無言になる町娘。なんとも気まずい空気がこの場を支配した。


 やがて再起動した少女が、大女に問う。


「西の四番……ねぇ、ボクの記憶が間違ってないなら、東から西に向かって進んで来たよね? 東七番が目的地よね?」


「おう! そのはずだな!」


 大女は快活に答えた。


「通り! 過ぎてる! じゃんか! バカ!」


「はっはっは! 大分過ぎてるな!」


 ぬがぁ〜! と叫ぶ少女と、笑う大女。そんな二人をマジか、と見つめる町娘。


 つまり、二人は少々方向音痴であった。


「しゃーねぇ、なぁアンタ。恩返しついでに飯を奢ってくれたりしないか?」


「タカるなよ、って言いたいけど、ボクもまともな食事をしばらくとってないのよね……食事処に案内してもらうだけでも良いから、少し付き合ってもらっていい?」


「は、はい。もちろんです。まともなご飯屋さんは一つしかありませんが、そこで良ければきちんと奢らせてもらいますよ!」


 過ぎたことは仕方ないと切り替えて大女が要求し、少女も申し訳なさそうに乗っかる。町娘もまともな恩返しの要求に、どこかほっとした様子で笑って答えた。


「悪いわね……」


「おお、ありがてぇ。にしてもお前さん、いい女だな。ちと抱いてみてもいいか?」


「えっ」


 大女から脈絡も何も無い、唐突な誘いが町娘を襲う。そして瞬時にゴスロリ少女の腰の入った鋭いローキックが、大女のスネに見事に突き刺さった。


「ごっお……ぅ」


「バカの言うことは気にしないで? 早速案内してもらっていい?」


「は、はぁ……わかりました」


 にっこり、と仮面のような笑顔を貼り付ける少女に、町娘は恐れつつも二人を案内する。


 彼女たちがツバメたちと出会うのは、もう少々時間がかかりそうであった。

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