第26話
やはり穏香に対する隼人の態度は、どこかよそよそしくなっていた。
化学室の掃除をすることもなくなり、このところ密会デートもご無沙汰となっている。穏香は放課後もケイタイで連絡をとろうとするが、応答が帰ってくることはほとんどなかった。アプリやメールを駆使しようが無駄だった。
そもそも、隼人がケイタイを身につけている様子もないのだ。学校で彼を捕まえて問いつめが、たまたまだと言い訳をする。休みの日に会おうとしても、きまって忙しいと断った。その理由を訊ねても、家業の手伝いをしなければならないと、しらじらしいことを言う。このままでは自然と疎遠になってしまうと、焦りの感情が強くなっていた。
夏休みも近くなったある日の昼食時だった。
教室の後ろで友香子と修二、田原がパンを食べながら雑談していて、たまたまそこを通りかかった穏香が、とくに考えもなく言ってしまった。
「十文字君はいないのね」
「綾瀬、ひょっとしてヤツのことが気になるの」
友香子がひやかしで言う。もちろん、穏香にその気があるなどとは微塵も思っていない。
「それはないかな。ただいつも一緒にいるから」
穏香は、ウソをつくのが苦にならなくなっていた。
「どっかで寝てるんじゃないのかな。だってあいつ、アッチのほうで体力使ってそうだから」
田原が下衆っぽく、意味ありげなニタリ顔であった。
「ちょっとう、アッチのほうってなによ」
「アッチはアッチだよ。アダルトのアッチってことだ」
「それ、ひょっとして、エッチなことをなんとかってことか」
「そういうことだ」
「ええーっ、うっそだろう」
友香子は、座っていた椅子から転げ落ちそうになった。
「アイツにかぎって、そんなうらやましいことはあり得ないだろう。なに言ってんだよ田原」
これには修二も大いに異議を唱えた。隼人が女性とそのような不謹慎な関係になるはずはないと、友香子と共に千の理由を口にした。
「ところが、俺は見たんだよ」田原は自信満々だった。
ドキッとしたのは穏香だ。彼との情事を知られてしまったと、一瞬頭の中が真っ白になった。
「なにを見たんだよ」
「あいつがラブホに入るのを、見ちゃったんだ」
一夜の契りを交わしたのは、隼人の自室でラブホテルではない。だとすると、隼人は穏香以外の別の女性と情事をするために、そこへ行ったということになる。
「ちょっと、それどういうことよ」
もちろん、そんなことは絶対に許容できるはずがない。穏香は田原を殴るような勢いで迫った。
「なんで綾瀬さんが怒ってるの」
修二が不思議そうな顔をした。
「え。だ、だって私はフェローだから、クラスの男子がそんないかがわしい所にいったなんて、放っておけないじゃないの」
正論であるが、そこに穏香自身の本音は微塵もなかった。
「それにしても、あの十文字が誰とラブホに行ったんだよ。まさかうちのクラスの女子とやったのか」
後半部分の指摘はある意味当たっていたが、場所が正解ではなかった。
「いんや、大人の女性だよ。それがスッゲー美人でさ。芸能人みたいに派手な感じだったよ」
「橋の下のメス犬ならまだしも、あのムサ男がそんな美人とナニできるわけないって。やっぱさあ、見間違えたんだよ、田原は」
友香子は本気にしていない すでに隼人とフィジカルな関係をもってしまたフェローは、橋の下のメス犬と同等であると見なされてしまった。
「ウソじゃないって。女の方から十文字の抱きついたり、腕を組んでたりしてたんだって」
「ますますあり得ないわ」
「おい、本人がきたぞ」
隼人が教室へ戻ってきた。修二たちを見つけると、いつものように近づいてきた。
「よう十文字、どこにいってたんだよ」
「はは、ちょっとトイレへ」
隼人は、なぜここに穏香がいるのか訝しく思った。
「そういえばさあ、この前十文字を見たよ」
友香子は、カマをかけてみるつもりだった。
「え、そうか」
「なんかさあ、芸能人みたいな美人な大人の女性と、すんごい仲良さそうに腕を組んでたっけ」
「うっ」
隼人の表情がひきつっていた。あきらかに知られたくはない事実だったようだ。
「ええーっと、たぶんパン屋の奥さんかな。ほら、パンの耳をくれるんだよ。いいひとでさあ、ただちょっと、しつこいんだよね。ははは」
そのうろたえた反応から、パン屋のおばちゃんではないと、その場にいる全員が確信していた。
「あ、そうだ。先生に呼ばれているんだった」
それもウソだとバレていたが、隼人は愛想笑いしながら教室を出て行った。
友香子と修二、田原は、あやしいあやしいとニタニタ笑いながら言っていた。他人のゴシップほど美味いものはない。
三人とは違い、穏香の心情には黒い靄がかかっていた。自分の付き合っている男が他の女、しかも大人の女性と肉体関係をもっている可能性が高くなった。いや、おそらくそうしているだろうとの確信を、いまの隼人の態度で得ていた。
ただ、隼人に浮気などあり得ないだろうとの思いもまだあった。あの朴訥として飾り気のない男に、複数の女を掛け持ちするような器量があるのか、大いに疑問だった。
生真面目な性格の学級フェローは、考えたことを確かめずにはいられない。まして好きになってしまった男のことである。徹底的に調べなければ気がすまないのだった
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます