第36話 兄上のこと許せますか?
兄上のこと許せますか?
開け放たれた寝室の窓から、美しい夏のさざめきの空気が漂っていた。
眠そうな小鳥のさえずり、気まぐれなそよ風、
宴の後なので、城内の遠くから話し声や笑い声が聞こえてくる。
シリは窓辺に立ち、月光に揺らめくロク湖を眺めていた。
そっとグユウが後ろに立っていた。
「シリ・・・」ためらいがちにグユウが声をかける。
(この口調、兄上のことを話すのね)
グユウはゼンシのことを話す時、いつも言いにくそうに声をかける。
今朝のことがあったのだから余計に言いにくいだろう。
見上げたグユウの顔は夫というより領主の顔だった。
「いろいろあると思うがワスト領はゼンシ様に協力する」
「ありがとうございます」
シリは力強く頷く。
「ミンスタ領とワスト領の仲を取り持つこと。それが私の仕事です」
グユウは黙って頷いた。
「秋にはゼンシ様と一緒にミヤビまで行く。国王の挨拶に同行するつもりだ」
「わかりました」
「昨夜はその件についてゼンシ様と話し合った」
シリは俯いて話を聞く。
「ゼンシ様は素晴らしい領主だ」
「領主としては素晴らしい人です」
(でも、1人の男としては・・・)
ワスト領の未来について大切な話なのに。
グユウの前でゼンシの話をすることが辛くなってきた。
シリの心は再び乱れた。
朝のゼンシの口づけを思い出し、無意識に唇を強く拭いた。
そっと後ろからグユウが抱きしめてきた。
「グユウさん・・・?」
回された腕の力が強まる。
「どうしたのですか?」
「もし、シリがあのまま命を絶っていたら」
頭の上で掠れたグユウの声が聞こえた。
その声は悲しみに満ちていた。
「・・・そう思ったら気が気じゃなかった」
シリは何も言えず押し黙っている。
「シリがいるだけで良い。何もいらない」
グユウの絞り出すような声を聞くと胸が苦しくなった。
「オレはシリの過去のことは気にしない」
グユウが呟く。
「・・・私は気にします」
シリは唾を飲んだ。
「兄上は衝動的に私を抱いただけです。気に入れば家臣の妹、子供の乳母に手を出していました。私に対しても、そんな感じだったのでしょう」
「それはない。結婚の話を聞いた時から・・・
ゼンシ様はシリのことを大切にしていると感じていた」
シリは思わずグユウの腕を振り払った。
「グユウさんは何でそんなに落ち着いているのですか?」
一度、口にした疑問は止まらない。
「私のことが好きなら・・・兄上のこと憎くないのですか?腹を立てないのですか?」
思わず声を荒げる。
「一緒にミヤビへ同行することも平気なんですか?」
グユウが過去のことを気にしないのは有難い。
むしろ、グユウが怒りミンスタ領と戦が始まる方が問題だ。
けれど、全てを知った上でどうして平気な顔をしているのだろうか。
「もちろん、面白くはない」
グユウは淡々と話す。
「嫁入り前にゼンシ様が行なったことは・・・憤りを感じている」
それでもグユウの瞳は静かに凪いでいる。
「だったら・・・なぜ?」
グユウはズボンのポケットから羊皮紙を取り出した。
「ジムの記録だ」
シリは頷く。
「この記録は・・・衝撃的なものだった」
「・・・そうだと思います」
「そして、オレはこれが・・・シリからの恋文のようにも感じた」
「えっっ」
シリは絶句した。
ゼンシとの会話の内容がグユウへの恋文?
グユウは少し照れながら話す。
「この記録を読む限り、オレはシリに相当好かれているらしい」
慌てて、シリは記録を読んでみた。
(・・・確かにそう思えるかもしれない)
シリの発言はグユウへの想いを語っていることが多い。
(恥ずかしい・・・)
自分の発言を客観的にみると顔から火が出るような心境になった。
「シリが今、オレを好いているのなら何も問題はない」
グユウが背中を丸めてシリの顔を覗き込もうとしてくる。
(見ないでほしい)
シリは赤くなった顔を背けた。
「シリ」
優しい声でグユウは呟いた。
見えない力に引き寄せられるようにシリはゆっくりとふりむいた。
照れている場合ではない。
(口下手なグユウさんが頑張って話をしてくれた・・・)
優しいこの人に気持ちを伝えなくては。
シリは潤んだ瞳でグユウを見つめながら、震える低い声で何かを言った。
2人の手と唇は出会った。
シリとグユウの思い出の貯えの中にもう一つ鮮やかな忘れがたい瞬間が加わった。
ーーーーーーーー
同じレーク城内ではゼンシを好まない家臣たちが集まっていた。
そこにはグユウの父 マサキもいた。
グユウがゼンシと共にミヤビに行くことに対して不満を訴えていた。
「グユウ様はシリ様に骨抜きにされている」
「確かにあの美しいご様子なら・・・」
賛同して頷いてしまう家臣達が数人いた。
その状況にマサキの家臣オーエンが吠えた。
「シリ様はミンスタ領とつながっている。ミヤビにゼンシと行くようにそそのかしたに違いない」
領境の宿でゼンシを殺すように忠告したのは、オーエンだった。
「もう少し、様子を見よう」
マサキは家臣達に伝えていた。
ワスト領を保つためには、どのように方向を進むべきか。
誰もが手探りだった。
ゼンシが国王に挨拶に行く。
大きく時代が変わり始めた時だった。
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