第30話 兄と口づけとナイフ
兄と口づけとナイフ
淡い光を浴びたロク湖の上に1つだけ去りやらぬ星が冷たく光っていた。
早朝にも関わらず、シリの部屋はろうそくが灯されていた。
ゼンシに会うために、シリは着替えていた。
東側の部屋でゼンシは待機している。
急がなくては。
ゼンシは待つことが嫌いだ。
ゼンシ好みの濃い青色のドレス、髪は結わずに流したままにした。
エマは黙々と髪にブラシをかけてくれる。
シリは青ざめた顔で真っ直ぐに前を見つめている。
「エマ、帯を取って欲しいの。ええ。その銀色のものを」
シリのほっそりしたウエストに飾り帯を巻く。
「お腹に・・・」
エマは遠慮がちに聞いた。
「ええ。お腹に巻いて欲しいの」
シリはキッパリと言い放った。
支度が整った。
「行ってきます」
シリはエマに告げた。
ゼンシの元へ歩むシリは、戦に向かうような瞳をしていた。
エマは不安げな顔で見送った。
東側の部屋についた。
ノックをするとゼンシの声が聞こえた。
「入れ」
「兄上 おはようございます」
「よく眠れたか」
「えぇ」
シリは嘘をついた。
本当は碌に眠れなかった。
ゼンシに勧められるままシリは慎重に浅く椅子に座った。
今朝のゼンシはいつもの瞳だ。
(邪な心がない)
シリはそう判断した。
「わしが思ったとおりグユウは良い男だ」
グユウを褒められて悪い気はしない。
シリの緊張は少しほぐれた。
「この前、領境でグユウに逢った時のことだ。
夜遅くにワスト領の家臣たちが“今こそゼンシを殺めろ“とグユウにけしかけていた」
ゼンシの発言にシリは凍りつく。
(そんなことがあったの・・・ワスト領の家臣たちが・・・)
ゼンシは淡々と話す。
「ワスト領は元々独立心が強い。
シリが嫁に来たとしても同盟に納得しない家臣達はいるだろう。
丸腰で家臣が少ない、なおかつ寝ている時に殺せの提案は当然だ。
わしを殺せばミンスタ領も手に入る」
「・・・そうですね」
「だが、グユウは“シリの義兄なのだ 殺さない“と家臣を押し切った。
目の前にチャンスがあっただろうに」
「兄上、その話はどこから」
「スパイから聞いた。ワスト領の宿の天井に数人配置していた」
シリは黙って頷く。
「それに・・・」
ゼンシはにニヤリと笑う。
「これもスパイから聞いた。接待のつもりで女を配置した。3日通い詰めたが“妻に嘘はつきたくない“と何もせず返していたらしい」
シリは頬が赤くなり、椅子に座っていられなくなった。
窓辺に立ち、ロク湖が徐々に明るい色に変化するのをぼんやりと見ていた。
ゼンシから聞いたグユウの振る舞いに胸が熱くなった。
「誠実な男よ。わしは良い義弟を手に入れた」
「グユウさんは優しい人です」
ロク湖を見つめながらシリは呟いた。
「兄上もご存知の通り、私は馬や戦術が好きなんです。
そんな自分は妃に相応しくないと思っていました。
結婚してグユウさんが“そのままで良い“と話してくれたので、今は思うままに好きな事を楽しめています」
シリは振り向いてゼンシを見つめた。
「兄上のお陰です。グユウさんと結婚できて私は幸せなんです」
そう告げた瞬間、ゼンシの表情がサッと変わった。
まるでスイッチが入ったかのような豹変ぶりだった。
数分前まで領主の顔だったゼンシが獲物を捕らえるような目をした男の顔になった。
(あ・・・!危険だ)
・・・と思った瞬間、ゼンシに抱きしめられていた。
「兄上・・・」
シリの声は硬くなる。
ゼンシは腕の力を強めた。
「兄上、何をされているのですか」
もう一度質問をした。
「シリ・・・」
ゼンシが掠れた声を出す。
抗議の声を上げようとした瞬間、掬い上げるように唇が奪われた。
シリが焦ってゼンシの胸元を押し返したが中断するどころか、
角度を変えて繰り返された。
まるで貪るような口づけだった
口づけに夢中だったゼンシは首に冷たいものを感じた。
ナイフだ。
シリがゼンシの首にナイフを当てている。
ゼンシがそっと目を開けると、ゾクっとするほど美しい青色の瞳が見えた。
一瞬、ゼンシは息を止め唇を少し離した。
「お前にわしは殺せない」
ゼンシはそっと囁きながら、シリのおでこに口づけをする。
そのまま、愛撫するようにシリの背中をさする。
「ええ。兄上を殺すなんて愚かなことはしません」
シリの声は低く滑らかだった。
「女の私の力で兄上の首を切るのは無理です」
「あぁ。そうだ。ナイフを離すんだ」
ゼンシはシリの下半身に手を添えてきた。
「離しません!」
絶叫してシリが後ろに下がる。
耳の下に垂直にナイフを当てる。
「このナイフで私の首を切るんです」
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