ルイス・レグ・クラージュの英雄願望

本間ロロ

英雄譚のはじまり

第1話 僕と英雄

探索者クエスター


 それは僕が子供のころに憧れていた職業だった。


 その中でも特に攻略組と呼ばれる者たちは迷宮ダンジョンの最前線で徘徊する未知のモンスターやギミック、時折発生する試練イベントを乗り越え、まだ誰にも踏み荒らされていない未踏の新天地フロンティアを切り開く英雄たちである。


 父も祖父母も、その【探索者】だった。


 数百を超えるモンスターの群れ、【怪物の行進モンスターパレード】を潜り抜けた話、


 一生遊んで暮らせるほどの価値がある固有ユニーク級アイテムすら越える、伝説レジェンド級のお宝を手に入れた話、


 当時、未討伐だった階層守護者ゲートキーパー【黒龍】と死闘を繰り広げた話、


 片田舎へ隠居した祖父に預けられた僕は、そんな冒険譚を子守歌に育った。そのせいもあってか。父もそうであったように、僕が【探索者】に憧憬を抱くのは当然の結果とも言えた。


 しかし現実は非情だ。


 初めて一〇〇層突破の偉業を残して五体満足に引退した祖父に対して、父は仲間と共に黒龍に挑んだ後その姿を見た者はいない……つまりはそういうこと、なんだろう。


 それを切っ掛けに、僕は【探索者】になることを諦めた。


 危険な仕事で死ぬぐらいなら、安全に生きよう。


 子供の夢なんてものは簡単に移ろうもので、それまで毎日のように祖父に修行をせがんでいた僕であったが、その日を境に頻度は減っていった。


 それでも大迷宮に対する興味だけはなぜだか捨てきれなかった。そこで選んだ次の夢が職人裏方である。


 僕自身が英雄になれないならば、英雄を支える人間になろう。そう決意したのだ。


 けれど人の夢はいつだって儚く散っていくものだ。理想と現実には大小さまざまな乖離《ギャップ》が付きまとう。


 それを理解したのは職人だった母と祖母に鍛えられること三年、一端の職人と認められた僕が憧れの大迷宮のある都市【グロリア】へやってきてすぐだった。









 男女問わず、血の気の多い探索者が集まる戦場、闘技場《コロッセオ》。


 旧文明製の高性能シミュレーターのおかげで命の危険を排した、遊び感覚の決闘行える人気のアミューズメント施設だ。


 頻繁に行われる賭け試合では毎回大金が飛び交い、人気の探索者や迷宮には潜らず闘技場専門で戦う剣闘士グラディエーターが出場すればそれだけで億越えの賞金ファイトマネーが発生したりするらしい。


 確かにここで王者と呼ばれるほどの猛者なら【英雄】と呼ばれてもおかしくはないだろう。


 ただし、それが僕の頭の中にある英雄像と一致するかは別だが。


 さてそんな闘技場は収容人数四万人を誇るドーム屋根を備えたスタジアム、中央にはシミュレーターを立体映像で選手プレイヤーの戦いをリアルタイムで投影する設備などがある。


 ただ闘技場はそういった興行目的でしか使われない施設、というではない。興行が行なわれていない時間は訓練施設として開放されていたり、とある大規模クランでは毎年使用料を支払って入団試験を行っていたりもする。


 そういうわけで金さえあれば部外者でも利用でき貸し切りも結構気軽に――金額は気軽じゃないが――できる。今日も開放された展開式ドーム屋根の下ではあるクランが貸切って探索者が訓練しているところであった。


 本来であれば関係者以外立ち入り禁止の観客席から僕は探索者の様子をぼーっと眺めていた。


「ご機嫌斜めか? ルイ坊」

「……別にそんなことありませんよ」


 話しかけられて、隣を向く。直後、太陽を直視してしまったかのような眩しさに襲われ、思わず手で視界を遮った。


 目を細めながら指の隙間から覗き見たのは、局地的――主に頭頂部で太陽の光を受ける筋肉隆々の大男であった。


 彼は鏡のように磨かれたスキンヘッドを隠すように帽子を被り直し、眩しそうにしている僕を見て豪快に笑った。


「せっかく面白い場所に連れてきてやったってのに辛気臭せえ顔してんな」

「何のイベントもしてないコロッセオに連れてこられても……ですけど? あとジャックさんは迷惑なんで晴れの日は頭を隠してください。眩しいです」

「ガハハハッ、帽子じゃ俺の日輪が如きカリスマは隠せまいよ」


 このスキンヘッドの大男はジャック・フューラーさん。


 祖父の伝手で紹介された、この迷宮都市で【猟師ハンター】――ある程度の階層まで進んだら上層への探索は行わず、資源リソース回収が目的で迷宮に入る探索者の総称――が数多く在籍する最大手クラン【太陽同盟ユニオンサンズ】のリーダーをしているヒューマン種だ。


 最前線の攻略には参加していないが、迷宮都市で産出される資源の何割かはこのクランからと言っても過言では無く、その性質上探索者クランというよりは商会に近い。都市外に限って言えば、その知名度は最前線の攻略をするトップクランを上回る場合があるほどだ。


 本来なら、このグロリアでも上から数えた方が早い重要人物で、小さい頃の付き合いがなければ僕如きが話しかけるのも躊躇われる天上人だ。


「確かにジャックさんは太陽みたいな人ですよ」

「主に視界に入った時の暑苦しさがですね。社長、二回りほどしぼんでいただけませんか」

「……無茶を言うなよ」


 僕が心の中で思っていたことをジャックさんの後ろに控えていた秘書の女性キャロルさんが口にする。


 キリっとした目付きが少し怖いけど、それ以上に子供が泣き出しそうな強面のジャックさんに正面からはっきり文句の言えちゃう頼れる兎人の獣人さんだ。


 僕自身もこの人にはとてもお世話になっており、とてもじゃないが頭の上がらない相手である。


 それは僕がジャックさんから仕事をもらうことになった迷宮都市暮らし二日目のこと。


 探索者との伝手がまったくない僕にジャックさんは【太陽同盟】の装備の整備メンテナンス業務の一部――本格的な修理が必要な損傷は工房送りであるが、損傷状態の確認であったり、パーツの交換で済むなどの軽微な不具合なら術式職人でも対応できる――を預けてくれることになったわけだが……あの人のクランはとんでもなく大きいことが頭から抜け落ちていた。


 送られてきたのは大量、いや膨大な数の確認待ちの装備たち。僕の仕事は初日から徹夜で始まった。


 もちろんジャックさんが僕を馬車馬のように働かせようとしたわけではない。契約内容の確認忘れ――僕の勘違いとジャックさんの説明不足だった。


 そうとも知らず、数日。


 整備の終わった分だけでも届けようと僕が持ち込んだ依頼品の量に、専属の職人を連れて確認しに来たキャロルさんは驚き、そしてちゃんと説明しなかったジャック《社長》さんに呆れながら一から丁寧に僕の仕事を説明してくれた。


 もしキャロルさんが目の隈に気付いてくれなかったら、しばらくは徹夜漬けで仕事をしていたかもしれない。駆け出しの僕に仕事をくれるのは純粋にありがたいし、こちらにも非があるから文句は言えないけど。


 そんなわけで今回も不安に思ったキャロルさんが同行してくれたのである。


 そしてなぜか僕だけがここに連れてこられた理由を知らないようだ。


 キャロルさんは「先方に確認を取ってきます」とどこかに移動し、ジャックさんはそこでようやく僕をここに連れてきた理由を話し出した。


「コロッセオに来たのはお前さんのを売り込むためだ」


 ジャックさんの目がキョロキョロ動く。


 これは決して彼が突然おかしくなったわけではなく、視界内にあるUIユーザーインターフェースを操作しているのだ。


 首の後ろにあるBMI――ブレインマシンインターフェースと呼ばれる脳波とマナを介して人間と機械を接続する装置のことで、人類に遠隔による機械の操作や術式コードと呼ばれる超常の力を行使させることを可能にする。


 僕も使わない日がないほどに活用していて、グロリアの現代人には欠かせない機械だ。


 操作を終えたジャックさんは「施錠ロックは解除しておいたからな」と言って長さ数センチメートルの細長い機械を渡す。


「それを売るのはあくまでルナ坊だ、【太陽同盟うち】じゃない。自分で持っとけ」


 手渡されたのは術式駆動装置コードドライブという探索者や軍人が使う装備である。


 中には術式が収納されており、これにはジャックさんに試してもらっていたある術式が入っていたはずだ。


 返ってきたコードドライブを僕はBMIを操作して中身を確かめる。うん、渡したときのままだ。


「ジャックさんには合いませんでした?」

「俺が“攻略組”だったなら全力で欲しいと思っていた。だが残念ながら“猟師”の俺じゃ宝の持ち腐れになるだけだ。それなら相応しい相手の手に渡った方がいい」

「相応しい相手?」


 オウム返しする僕にジャックさんはニヤリとする。


「いずれ英雄と呼ばれるであろう探索者だ。要するにおまえと同じ将来有望な、探索者だ」

「英雄……」


 少しだけうんざりした気持ちが乗った僕の声にジャックさんは苦笑いしている。


 グロリアで生活するようになって、二度目の


 グロリアの中心にそびえ立つ塔は【(天上へ至る扉セラフゲート)】とも呼ばれる大迷宮であり、その頂点を最後まで目指す探索者は少ない。多くの探索者は『レベル上げ』の途中でモンスターに殺されるか、運良く生き残った者も生計を立てるため猟師へと脱落ドロップアウトするためである。


 厳しい生存競争の中、振るい落とされず生き残った者だけが最前線の攻略者になれるわけだ。


 さらに言ってしまうと、その一握りの探索者ですら“英雄”と呼ばれるまでの人間はそうはいない。なぜなら過去の“英雄”が成し遂げた一〇〇層突破という偉業イメージが彼と並ぶには大きすぎる壁だからだ。


 偉大な祖父を超える【探索者】は未だ現れず、というわけだ。


 そもそもこの都市にそれを越えようとする人間がどれだけいるだろうか。


 装備の修理を請け負った探索者だったり、酒場で呑んだくれている人たちの会話だったりを耳にしたけど、ここの探索者は強くなることや大迷宮を攻略することよりもモンスターを狩ってそれを売り払ったお金でどうやって豪遊するか――そんな人間ばかりである。


 ときおり気分転換にグロリアを散策しつつ良さげな探索者を探していたが、純粋なまでに上を目指す人にはひとりも出会わなかった。


 祖父たちの英雄譚を聞いて心躍らせた幼き僕のような熱は誰からも感じられなかった。


 人は現実の中で生きなければならない。理想を抱いて一緒に沈んで行くほど酔狂な探索者はいないということなのだろう。


 そのことを理解した僕はどこか息苦しさを感じるようになっていた。


 そのはずだった――


「お前の爺様みたいな大英雄がそこらに居て堪るかよ。だが、あいつはそこらの探索者とは格が違う。俺はあいつならいつか【黒龍殺し】を成し遂げるんじゃないかと思ってる」


 ジャックさんの初めて見る熱い眼差しに僕の心臓がドクンと脈打つ。


 僕はその眼を良く知っていた。


「その人ってどんな――」

「俺に聞くより、まずは自分の眼で確かめてみろよ」


 そう言うとジャックさんはスタジアムの中心をあごで指し示す。


「……女の子?」


 そこに居たのはそう年の変わらないように『見える』少女だった。

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