寝不足の日

第6話


……————


「日下さん、また欠伸。昨日ちゃんと寝た?」



洋の指摘に、途中の欠伸も無理矢理噛み殺した。



「え〜、また夜更かし!?何!?勉強のしすぎ!?」


「……うぅん、大丈夫」



天音にも心配されてはいけないと、欠伸を誤魔化すように鼻から深く息を吸った。


放課後の生徒会室。


生徒会長もおらず、二年生だけで残っている仕事をやっつけている。



「まだ水曜なのに大丈夫!?平日ど真ん中!!花寿美、死んじゃうよ!!」


「寝不足ぐらいで死なないわ」



天音の大袈裟な表現に花寿美は冷静に言いつつも、少し笑った。



「あ、そうだ!!」



天音は本当に良い事を思い付いたように明るい表情にした後、洋に向かってニヤついた。



「もう体育祭も終わったことだし、しばらくは雑務だけじゃん?今日の分の仕事は私一人で大丈夫だから、錨くん…花寿美のこと家まで送ってあげなよ!!」



天音は洋に向かって軽い目配せをして笑ってみせる。



洋は一瞬何のことかわからずに首を傾げて天音を見つめ返したが、天音が気を利かせようとしている意図を読み取り、驚きの声を上げた。


洋と違い、花寿美は意味がわからないまま二人を見ていた。



「花寿美も『中途半端な時に仕事する方が効率悪い』ってよく言うじゃん?」


「でも……」


「これでもっと体調崩されて学校休むレベルで本当に具合悪くなられちゃ私だって困るしさ!!ね?」


「……じゃあお願いしようかな?」



花寿美の返事に納得した天音は嬉しそうに何度も深く頷いてから花寿美と洋の背中を押して生徒会室を追い出した。



「わ……、天音」


「じゃあね〜」



指だけでヒラヒラと挨拶をした天音はすぐに扉を閉めた。



自分達の意思ではなく無理矢理廊下で追い出された二人は顔を見合わせた。


すると洋が先に「ふふっ」と短く笑った。



「…………なんか天音がゴメンね。あの子、一年生の時からああした強引な所があって。根は良い子なのはわかるんだけど」


「うん、俺にもわかるよ」



洋な柔らかな笑顔に花寿美は少しホッとした。



「じゃあ、帰ろうか」


「あ……錨くん。別にちょっと眠いってだけで熱もないし一人で帰れるから。錨くんも仕事残ってたんじゃないの?」


「……でもせっかくだから送らせて?」



花寿美の顔を覗き込んで「駄目?」と確認をしてくる。


心配してもらう必要はないが、一緒に帰らない理由も特にないので花寿美は了承した。



「初めは少しでも早く学校に慣れたいと思って入ったけど、こんなに忙しいとは思わなかったな」



校門をくぐりながら、洋は伸びをして小さな愚痴をこぼす。


だけどその笑顔にはどこか充実も感じているのだろう。


「そうかな。生徒会ってこんなものじゃないかな。錨くんの前の学校では先生が中心になって運営を仕切ってたの?」


「夏休み明けには文化祭だけど、その準備も俺らがするんだよね?」


「夏休み明け……どころか、夏休みに泊まりがけで準備があるよ。去年もそうだったから」


「うわ、本当に?」



そう言いながら洋は笑った。



「でも楽しそう」



花寿美も頷いた。



「……こうして日下さんと二人っきりって初めてだったかも」



あともう少しで『花一堂』まで着く頃に洋が呟くように言った。


気付けば日が落ち始めている。



洋にそう言われて花寿美も気付いた。



洋が二年生からの転入生だったとはいえ、生徒会で一緒に活動していたのにこうして二人になる機会は無かった。



たわいもない話で、学校のことや共通の友人やこれからある文化祭の話。


普通の『人間』の高校生活の話。



ほんの少しの間だけ、気が紛れた。



「送ってくれてありがとう錨くん、私もたくさん話せて楽しかった」



素直な気持ちでお礼を言えた。


こんな風に『相手』に言えることが理想的だ。



「…………日下さん」


「ん?」


「せっかくだからもう少し一緒に話がしたいんだけど、駄目かな?」



ちょっぴり遠慮がちに笑う洋に花寿美はどうしようかと悩んだ。


確かに滅多になかった機会なのだからもう少し話すぐらい構わないと思い、頷いた。


この前、宗鱗が訪れた時に持ってきてくれた手土産のお菓子がまだ残っているはずだと花寿美は考えながら歩を進める。



だけど閉まっているお店の戸と休業の旨が記されている札を見て、槐が出掛けていることを花寿美はようやく思い出した。



槐がいないなら、家に招くのはまた機会にしてもらおうと洋に断ろうとした。


しかしふと、お店の中を見た。


その様子に少しだけ思いとどまった。



ガラス窓越しのお店の中は電気が着いていなくて暗い。


商品には軽くカバーを掛けられているから、色彩もいつもの賑やかさが半減。





『お嬢』





もし、いつか槐がいなくなればきっとこんな光景が当たり前になる。



それはいつか慣れていかないといけない光景。


だから、槐がいない日常が当たり前で、こうして友人を招く日がくるかもしれないということ。



「……日下さん?」


「……うぅん、何でもない」



花寿美は裏口から洋を入れた。



「日下さん、この前の伯父さん……だっけ?……今日はいないの?」


「うん、用事あるみたいで」



客間に通して、洋にお茶を出す。


しかし槐も朝から出掛けていったようだから、直に帰ってくるだろうと思った。



自宅にいるせいか、花寿美は堪えていた欠伸をした。



「あ、ごめん!!日下さん、疲れてるのに!!そのために早めに帰ってきたのに」


「……うぅん、大丈夫」



悪夢をよく見る花寿美にとって、ひどい寝不足じゃなくとも欠伸はちょっとした慢性的なものになっている。


表情筋が弱い上に欠伸が多くては、一緒にいる人に不快な気持ちさせないかと少しだけ焦る。



誰かといるのは嫌いじゃないが、色々と気を付けないといけないことが多くて疲れてしまう。


洋と話すことは楽しかった。


嘘じゃない。


だけどあの力の無い笑顔を思い出す。



「このお茶飲んだらすぐに帰るから!!」



洋も花寿美に気を遣うようにそう言う。


疲れが溜まっているのは事実だけど、先ほどまで平気だった急激に睡魔が襲ってきている。



洋が帰ったら自分の部屋に戻り、すぐさまベッドに体を沈めよう。



そう考えた。



青藍の生地と淡い白、優しい匂い。


槐の帰りを待つ。

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