#05
カランビットナイフが牙を向いた。女は枕の下から音もなくするり、華麗に刃物を抜いて侵入者の頸動脈に当てる。シャロンは侵入者の姿を見て驚くことなく、くすり、微笑を浮かべた。太陽の光で逆光になっている侵入者の首筋から微かに血の香りがしてくる。カランビットナイフが的確に侵入者の頸動脈を捉えていた。
「
侵入者はシャロンのカランビットナイフが自身の喉元を削ごうとしているのにどこ吹く風だ。女の額にちゅぅ、ッと口付けを落とし、低く凛々しい声でそう告げる。
シャロンの首にもまたナイフが添えられていた。カランビットナイフとはまた一味違うダガーナイフを愛用する男は、ふ、ッと小さく笑うとその武器を下ろした。男はシャロンの素肌を一目見て、恍惚とした表情をひとつ浮かべ、女の寝るベッドから降りる。男の長く伸ばした黒髪が揺れる。
「てめぇ、俺じゃなかったら死んでる」
「そんなことないわ。貴方が私の首を切る前に私がしていた」
男の一本に括ったポニーテールがゆらゆらと揺れるのを馬の尻尾のようだとシャロンは思っており、内心で男のことをケルピーと呼んでいた。イギリスのスコットランド民話に登場する馬の姿をした幻獣であり悪魔のことを意味するケルピー。若い美男の姿で女性を誘惑し、水中に引き摺り込んで食うとも云われており、美麗な男には打って付けだとシャロンは考えていた。
ナイフに男の血液が付着しているのを太陽の光に晒し確認したシャロンは眉間に皺を寄せる。人差し指で男の血を拭い、その指を舐め取る。
「フランスまで来たの? 坊や」
「……それが俺の仕事だからな」
男の名をジョンという。アメリカのありふれた名だ。シャロンはそれが本名だとは信じていなかった。
すらりとした長身のジョンは女性のように長く伸ばした髪の毛を振り、シャロンから離れていく。中性的な顔付きだが乱暴な言葉を吐くジョンはその容姿端麗でミステリアスな顔を存分に利用していた。奥二重だがこぼれ落ちそうなほどのオリーブ色の目玉がシャロンに向く。薄く可憐なピンク色の唇を一舐めし、ロココ調に揃えられた赤色のソファの上に置かれていた上質なシルクのガウンを手にシャロンに近寄っていく。
「やっぱり貴方は言葉遣いを変えるべきよ。アンニュイな顔が台無し、相反しているわ。チグハグよ」
「俺の心配より服を着ろ」
「……隅々まで知っているくせに」
「あぁ、だからだ」
ジョンは紳士的にシャロンの肩に紺色のガウンを掛ける。シャロンの白い肌を飾る濃い色は女の妖艶さをより引き立たせ、ジョンの欲情を誘う。女の蠱惑的なピンク色の乳首は隠れない。シャロンはわざと隠さずジョンに見せつけていた。
「ギルはどうした?」
「……私たちはセット売りじゃないのよ」
「俺たちにとっちゃぁ、セット売りなんだよ。ギルも捕まえれば金額が跳ね上がる」
男、ジョンはバウンティハンターだった。
ギルというサイコパス人間の話が出たことと、あまつさえ、そいつとセット売りだという新事実に深い溜め息を吐いたシャロン。
カランビットナイフを鞘に収めた後、サイドテーブルに置いておいたシガレットケースを取り、煙草に火を灯した。舐め取ったジョンの血の味のする口の中に煙草の苦いフレーバーが絡まり合う。
寝室には巨大な窓が設えてあり、エッフェル塔が一望できる。女は煙草を咥え、ベッドから出ることなくその窓を見つめた。太陽の位置を確認し、約1時間程度寝たことを確認した。それからシルクのガウンに腕を通す。ようやくシャロンの豊満な胸が隠された。シャロンが咥える煙草から蛇のように漂う紫煙。乳白色のそれが太陽の光に晒されていた。
ジョンはまるで聖母マリアを彷彿とさせるその憂いを帯びたシャロンの姿に背筋を震わせた。
「昨晩はギルと一緒だっただろう?」
「男の嫉妬は醜いわよ」
「マフィアの幹部がひとり忽然と消えたって噂だ」
「あら。誰の仕業かしら」
ジョンは腕を組みながら煙草を咥えるシャロンを見つめる。
シャロンは男のオリーブ色の瞳が好きだった。女がどこにいても必ず見つけ出す捕食者の瞳を男は携えているからだ。実際、バウンティハンターとしてジョンはシャロンを地の果てまで追いかけている。
ジョンは昨晩、シャロンがなにをしていたのかを知っていた。ギルが人を解体し、トイレに細切れの遺体を流したことも憶測ではあるが知っている。惚けるシャロンに喉奥でくつり、笑うジョン。男は女がどんな仕事をし、誰を殺していてもそれを咎めることはない。そもそも咎めるほどの道徳観念など持ち合わせていない。ジョンも裏社会の人間だ。
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