#03
「ギルはどうした?」
「あの獣は夜行性よ。それに普段から行動をともにしているわけじゃないわ。相棒でもあるまいし」
「そうだった。忘れていたよ。君は常にひとりだ」
「可哀想だと言いたいのかしら?」
「美しく強い者は孤独とともにいる。それが世の常さ」
シャロンは男の名を知らない。男は語らず、シャロンは訊かない。それが彼らの均衡の取れた関係だった。だが、名を知らずとも両者は異性。女と男は互いに腹の内を探り合い、夜をともにしたこともある。
「それにしても、シャロン、こんな場所で呑気にコーヒーなんて飲んでいて大丈夫なのか? 君の首には懸賞金がかかっているだろ」
「北北東、450ヤードにいい狙撃場所があるわね。風速3メートル、狩には適しているわ」
シャロンはまるで他人事のようにソーサーに乗っていたチョコレートを摘む。
狙撃に適しているテラス席のそこで煙草とコーヒーを嗜む女に男はやれやれ、と頭を抱える。男は大袈裟な態度を取ったが最初から心配する気など毛ほどもなかった。シャロンに限って易々と撃たれるなどとは思っていないからだ。だが、この女の首に懸賞金がかかっているのは確かであった。バウンティハンターがシャロンの尻を付け回しているというのは界隈では有名な話だった。女の懸賞金は跳ね上がり、国をひとつ傾かせられるだけの金額がぶら下がっている。
「君はどのくらい撃てるんだったかな?」
「TAC-50の50口径で3800ヤード」
「……もちろん、ひとりだろ?」
「いいえ。孤独がそばにいたわ」
シャロンは先ほどの男の言葉を捩って言葉を返す。
おおよそ4kmにいる対象物に弾丸をぶち込めると聞いた男は、やはり女が賞金稼ぎに殺されるという有り得ない思考を捨て去った。
男は皮肉混じりに言葉を返すシャロンを心底愛した瞬間があった。シャロンに似合うブラックダイヤモンドを購入し、求婚までした。女が希少なダイヤごときで靡くとは男も思わなかったが、それでも精一杯の愛を証明した。この明日を保障されない世界で。
「……今晩、空いているかい?」
「それは空けろ、という命令かしら?」
「懇願だよ」
「なら空いていないわ」
求婚も今のようにやんわりとだが、しなやかに逞しく一蹴されてしまった。シャロンは美貌と雄々しさを兼ね備えていた。男はふ、っと小さく自らを嘲弄して笑う。
男はこれ以上シャロンを口説き落とせないと悟ったのか、店員を呼びシャロンの分と合わせた会計をスマートに済ます。
男もまたエージェントだった。ターゲットに近付くためにここ数ヶ月はパリにいる。
「君の気が向いたら電話をくれ」
「番号が変わっていないなら」
「あぁ、変わっていないさ」
この世界で同じ番号を使い続けるということは、それだけ腕が確かだということだった。訓練を受けた者は自らの身が危険に晒されたときは痕跡を消す。電話番号はその最たる物だ。同じ番号を使い続けられるというのは箔がつくのと同義だった。
男はシャロンの頬に口付けをひとつ落とし、姿を消した。
その後に姿を現した店員は男が残していった小銭をシャロンに渡す。シャロンはチップにでもして、と言おうとしたが、店員がわざと床に小銭を落としたことを見逃さなかった。シャロンの可憐な足元に転がる小銭。あらあら、そう思いながら女はくすりと笑う。店員は小銭を拾う動作をしながら、シャロンの脚にひとつキスを落とす。シャロンにとってそれは取るに足らないことだった。
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