銀雪の恋

安曇愁

いつもの朝

目覚まし時計は、朝の6時半に鳴る。



今朝もいつもの様に鳴り響いている。

起床してから会社へたどり着くまでのスケジュールはすでに決まっている。



小江戸川越から勤務する池袋まで30分。

疲れるような距離と時間ではない。

こんな平凡な毎日でも楽しみはある。



やはり今朝も居る。

彼女は東武東上線、反対側の森林公園行きのホームに決まって現れる。



長い髪で面立ちは涼しげの長身スレンダー美人である。



男達の視線を感じるのだろう。

時折、髪をかきあげて手櫛をする仕草は、



反対側のホームの男達の視線を一斉に浴びる。

彼女が電車へ乗り込み、ホームから消えると、

急行池袋行きが修一を迎えに来てくれる。



岸本修一が勤務する会社は都内の池袋に本社を構えているが、元々は埼玉県を中心に近年、急成長を成し遂げた製造会社である。



これといった主要製品はないが、あらゆる業種/業界が必要とするものを製品にしてしまう技術者の集団で、東証一部上場を1年前に果たした。



修一は、様々なセンサーの開発設計を担当する課長である。



名刺には

開発設計11課長 岸本修一と記されている。



実家の岸本家は、信州の大規模な代々続くりんご園農家であったが、父親の代に加工品の成功により、地元では資産家として岸本家は知られている。



兄が後継者であるが、修一にもそれなりの財産分与がすでに約束されている。



彼は、生まれながらにしてお金に困った事がない裕福な家庭に育ったボンボンである。



今朝も会社に着いて自分の机に陣取ると、数名の部下を前に、



「伝達事項は特に有りません。」



これだけ言うと、部屋の片隅に仕切られている喫煙所へと入り込む。



「最近、本数が増えたな。」

そう呟くと、今日の仕事をイメージする。



会社での仕事は、常に新しい事を考案して追求する技術者としての立場と、管理者としての部下の育成であるが、管理責任はいつも付きまとう。



幸いにも彼は、優秀な部下に恵まれたために滅多にトラブル等は発生しない。



仕事が終わるのは午後の5時。



さすがに直ぐには帰れずに適当にパソコンを眺めているが、午後7時には電車に乗る。



季節はもうすぐ師走。



朝晩の冷え込みが厳しくなり、電車に乗っていると、コートやダウンジャケットが車内を余計に息苦しくする。



ジーッジー・・・



修一は、スマホの振動に気付いてメールを確認した。

修ちゃん、お疲れ様。改札出口で待ってるね。

修一には今、付き合っている彼女が居る。



牧春菜。



彼女は、川越駅前にあるデパートの化粧品売り場に勤めている。

彼女の仕事着である黒のスーツは、女を妖艶に美しく魅せる。



大人の女・・・外見は魅力的な女性である。



川越へ電車が着くと改札出口で春菜は、いつもの様に待っていた。

「修ちゃん、これから横浜へドライブ行かない。夜景が見たいな!運転は私がするから。」



いつもの春菜の誘惑である。



しかし、明日は早起きして今シーズンの初滑りを、信州峰の丸高原スキー場で楽しむ予定である。



「春菜、今日はちょっと疲れているからごめんな。また電話するから。」



「それなら修ちゃんの部屋へ行きたいな。」



そんな彼女の甘え声としぐさは、修一の心を今は乱すものではない。

春菜は修一よりひとつ年上であるが、見た目はすこぶる若い。



彼女とは、友人の紹介で知り合って1年前から付き合っている。

大人の関係ではあるが、いつも一緒に居たいと思った事はない。



部屋へ招かないのは春菜だからではない。

修一にとって自分の部屋は、ひとりになれる世界である。



誰にも邪魔されないお城でもある。

修一は、春菜から逃げるように家路を急いだ。



修一の故郷。

信州安曇野。



長野県では、比較的雪の少ない地域ではあるが、

そこから北へ30Kmほど行けば、北アルプスを背にした大スキー場エリアが広がる。



修一は地元の高校を卒業すると都内の大学へ進学し、卒業すると今の会社の池袋本社勤務となった。

都内には住みたくなかった修一は、兼ねてから住みたい街があった。



埼玉の川越。



川越には、好きで好きでたまらないものがあった。

蔵づくりの町並み。

伝統のある寺社仏閣。

そしてお祭りである。



また、彼のもうひとつの趣味であるロードバイクにも最適な街でもある。



ロードを走るにはもってこいの入間川、荒川のサイクリングコースが整備されていて、ヒルクライムという峠を走り繋げる奥武蔵(越生/ときかわ等)が近い事である。



早いもので、あれから10年。

スキーの脚前はプロ並みである。

幼い頃より父親の趣味の影響で、白馬へはシーズンになると毎週のように通った。



スキー学校で鍛えられ、高校2年の時にはプロスキー協会のインストラクターを取得した。

大学でもスキーサークルに所属して、スキー場でインストラクターを経験した事もある。



俗に言うスキー馬鹿である。

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