第37話 私のせい

 もともと、私の顔は世間に認知されていない。芸能人とは違い、サイン会などで顔出しをするくらいで、それ以外にメディアに顔出しする機会はなかった。それが今回は幸いした。


 出版社の裏口から出た私は、こっそりと駅に向かって歩き出す。ちらりと出版社の正面をのぞいてみると、いまだに人だかりがあるが、先ほどより少し減っているように見えた。


 いったいどれくらいの人がREONAさんの思い人を私だと思っているのだろうか。


 こっそりとうつむくように駅まで歩いて電車に乗って帰宅した私は、マンションの自分の部屋に入ると、すぐに靴を脱いでベッドにダイブする。電車の中では念のため、カバンに入れていたマスクをつけてやり過ごした。電車内で私に声をかけてくる人はいなかった。


 出版社にまで押しかけていた野次馬たちは、私の自宅まではやってこなかった。マンションに入るまでは気が気でなく、周囲を警戒していたが、それらしい人はいなかった。


 いや、いたかもしれない。マンション前に何人か住民以外の人間がたむろしていた。もしかしたら、私を出待ちしていた可能性もある。とはいえ、当の本人がマンション前を通ったのに誰も気にするそぶりを見せなかった。


 私はそんなに存在感が薄いのだろうか。部屋に入って始めて彼らが野次馬かもしれないと思ったが、部屋に入ってしまえばこちらの物だ。ドアさえ開けなければどうにかなる。



 ベッドに転がりながら、スマホで今日の神永夫妻のニュースを探してみると、すぐに見つかった。ネットのトップニュースに取り上げられていた。


「声優の神永浩二(43)、離婚を発表。元アニソン歌手REONA(41)との夫婦生活に終止符。離婚理由は、REONA側に好きな相手ができたとのこと」


 記事のタイトルを見ただけで何のことか察してしまい、記事を読むことなくスマホの電源を切ってスマホをベッドに投げ捨てる。いったい、彼らは何を考えているのだろうか。離婚したいのなら、もっとましな理由を思いつかなかったのか。そもそも、あの男の不倫が理由が離婚理由でよかったではないか。


 これでは、私に大いに被害が出ること間違いなしである。そして、私が話題に上れば、最悪の場合、柚子にも被害が及ぶ。


「柚子だけじゃなくて、翔琉君にも被害が及ぶかも」


 まったく、子供のことを考えていない、自分勝手な両親である。



「まずは、REONAさんに電話しないと」


 投げ捨てたスマホを仕方なく拾い上げ、REONAさんに真実を問いただすことにした。とはいえ、彼女は今、話題沸騰中の人物となっている。電話に出るかわからないが、とりあえず彼女の電話番号をタップする。


『御用の方は、メッセージをお入れください。ピーという発信音の後……』


 留守電になってしまった。やはり、彼女に電話はかからなかった。わかっていたことだが、本人から直接言葉を聞きたかった。


「もしもし」


 次に私が電話したのは、翔琉君だった。翔琉君なら、自分の両親について何か話してくれるかもしれない。翔琉君の電話番号をタップする。今日が平日で、翔琉君が学生だということをすっかり忘れていた。


『先生、よかった。僕から連絡しようかと悩んでいたんですよ』


「翔琉君。電話に出てくれて助かったよ。君の両親のことだけど、ああ、今電話しても大丈夫だった?」


『平気です。少し、場所を移動するので待っていてください』


 しかし、時刻が十二時を過ぎたところだったので、昼休みに入っていたのだろう。翔琉君は私の電話にすぐに出てくれた。翔琉君の息遣いが電話越しに聞こえる。


『人気のないトイレに来ました。まさか、僕の両親があんなことを言うとは思いませんでした』


 翔琉君が今回の離婚騒動に至るまでの経緯について説明してくれる。


『母さんですけど、実は先生に会ってから、様子がおかしくなりました。おかしいと言っても、特に生活に支障が出るほどでもないんですけど、家事の合間にぼうっとしていたり、普段やらないようなミスをしたり、注意力が散漫になっているのが目に見えてきました』


「REONAさんが、私に会って」


『それに加えて、父さんの方もなんだかおかしい様子になってきました。母さんがおかしくなってしばらくしてから、ですね。なんていうか、普段あんまり怒鳴ったりしないんですけど、急に怒鳴りだして、我に返ったりで、情緒不安定になっていきました』


 軽い口調で話しているが、自分の両親がおかしくなっていく様子を見て、なんとも思わないのだろうか。しかも、そのおかしくなった原因だと思える人物と普通に電話越しとはいえ、会話している。しかし、そもそもそんな女の小説のファンであり、実際に会ってもいるので、おかしいのは両親だけではないのだろう。


 結構重たい話に、私の心が悲鳴を上げる。私のせいで、一つの家庭を崩壊させてしまったと言われているような気がしてならない。


『別に両親がおかしくなったことは、先生が気にすることではないですよ。両親が離婚に至ったことも気に病むことはありません。むしろ、先生のおかげで、彼らは離婚の決心がついたと思います」


 電話口から、私の反応がないことを気にしたのか、翔琉君が心配そうにスマホ越しに話す声が聞こえる。そんなことを言われても、素直に頷くことはできない。私のせいで、両親は知らないが、翔琉君や柚子に迷惑がかかるかもしれないのだ。


「でも、REONAさんたちは離婚することになったけど、それで迷惑を被った翔琉君はどうなの?翔琉君の両親が離婚したのは私のせいで、その子供が世間の晒し物になりそうなことに、自分自身が許せない」


『僕の心配をしてくれるなんて、先生は優しいですね。母さんが好きになるはずだ。そして僕も……』


 ピンポンパンポーン。


『一年二組、神永翔琉君。至急、職員室に来てください。繰り返します。一年二組、神永翔琉君。至急、職員室に……』


『すみません。呼び出しがありました。また、この話は後でしましょう』


 何やら、急用が入ったらしい。翔琉君が何か大事なことを言いかけていたが、それが何かわからないまま、彼との電話は終了となった。


 


 



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