第11話 光に触れ side:紫貴(2)

 飛行機に乗り、寝るかと考えていたとき、な匂いがした。

 殺気があるわけではない。見知った顔があるわけでもない。テロや暗殺を起こしそうな顔つきのやつもいない。

 ただ『嫌なことが起きている人間』の匂いがした。


(こんなところで、拷問・・があるわけない。なんだ……?)


 匂いの出処をよく探る。

 それは、通路を挟んだ窓際席の方からした『ため息』だった。疲労からこぼれるものではないそれは、明らかに『意図したため息』だった。

 窓際席を眺めると、男と女が座っているようだ。

 男の方は日本が言うところの中流サラリーマンといった雰囲気で、女の方は俺の席からだとよく見えない。


(痴情のもつれか?)


 ため息をついているのは女だ。カップルが喧嘩でもしたのかと考えたが、すぐにこの二人が乗ってきたタイミングは別々だったことを思い出す。それに知り合いなら会話ぐらいするはずだ。しかし、彼らはこれまで何の言葉も交わしていない。


(……じゃあ、何だ?)


 まじまじと、彼らを眺める。


(アァ、『これ』か……)


 男の足が女の足にベッタリと引っ付いていた。


(気色悪い)


 キャビン・アテンダントの呼び出しボタンを押し、早く来いと思いながら、体を向けてまじまじと彼らを見る。男はこちらの視線に気が付き、姿勢を正した。が、それでも男は女の足を触り続ける。

 一方で、被害にあっている女は……。


(……なぜ、その顔までして声を上げない?)


 その女は今にも男をくびり殺しそうな顔をしていた。なのに彼女は何も言わず、ため息だけつく。


(凶器で脅されてるわけでもなし、そんな顔をするなら叫べばいいものを……)


 やってきたキャビン・アテンダントに『あの性犯罪者が不愉快だからすぐに下ろせ。警察を呼べ』と言うと、キャビン・アテンダントは状況を確認してから『すでに離陸体制に入っているため下ろせない。着陸後の対応になる』などとよくわからないことを言ってきた。何もせずに収めようという意思を感じた。


(……そういえば、日本は性犯罪が多い国だったな。『空気を読む』……だったか。他人の時間を取ることに怯える性質の小市民たち……稼ぎやすい国だ)


 被害を受けている彼女も『空気を読む』ということをしているのだろう。しかし、このあと十三時間、そんな顔でため息をつき続ける女が近くにいるのは『俺が』嫌だった。


「俺の視界に……俺の国に入れるなと、言っている」


 そこでキャビンアテンダントは、ようやく俺がVIPだと気が付いたようだが、それでも『下ろすことはできないのでスタッフの席で管理する』と言い出した。それほどまでに離陸の時間が押すのが嫌なのだろう。


(掃き溜めのような国だな)


 俺はなるべく怖く見える顔をした。


「あのゴミが俺の国に入るなら、始末の仕方は俺が決める。そしてゴミを出したこの機体、……この会社も俺が始末をつけることになる。残念だ。いい会社だった。株の売却の日取りを決めよう」


 男は無事下ろされた。

 キャビン・アテンダントに、キャンセルで一席空いたのでファーストに移るかと聞かれた。


(それは俺ではなく、この女に言うべきだろう。ファーストなら安全も担保されるだろうし……)


 そう思い、彼女を見た。


(何だ、その顔)


 彼女は、キョトン、としていた。

 さっきまでの恐ろしい形相が思い出せなくなるぐらい、彼女は不思議そうに連れ去られた男を見送っている。丸くなった目、ツンとした鼻先、キュと閉じられた唇。幼さの残った顔立ちの彼女は、ちんまりと座っていた。

 どこにでもいる、小市民だ。きっとこんな席を買うのも無理をするような、普通の女。


(何が起きたかわかってないのか? なんて……間抜けな……、……)


 なのに、……俺は彼女から目が離せない。

 気がついたらキャビンアテンダントに『移らない』と返していて、気がついたら体の向きを変えてまでして彼女を見ていた。


(……なんで俺は彼女を見てるんだ……)


 彼女は俺の視線に気がついたのか、こちらを向いた。

 キョトンとしていた顔が俺を見て、怪訝そうに細められる。


(胸がムカムカする……)


 乾いた唇を舐めて、口を開く。


「……ああ言うのは、助けを求めていいんだよ。特に長距離移動はね、隣がやばいときついから。折角いい席なんだから、楽しんで」


 彼女はパチパチと瞬きをした。それから、フっと俺から目をそらした。その横顔にはっとする。


(俺は、何を言ってるんだ……くだらない……)


 姿勢を直し、早く寝よう、と目を閉じる。ざわざわと耳の奥が騒ぐ。その感覚が酷く気持ち悪い。奥歯を噛み締めて、眠気を呼ぼうとしていると――


「助けてくれて、ありがとうございました」


 ――鈴を転がすような、愛らしい声だった。


 目を開けて、彼女を見る。彼女はまっすぐに俺を見ていた。ゾワゾワと耳から脊髄を抜けて足元ま寒気が走る。


「ウン」


 結局、俺は間が抜けた返事をした。

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