第7話 月の道行き(3)
「Midori,come my room!(みどり、私の部屋来て!)」
「No,mine!(駄目、私の!)」
「Don't pull my arms! I'll listen in turn!(腕を引っ張らないで! 順番!)」
女性の園はトラブルだらけだ。しかもこの家はネットは通じないから、翻訳アプリは全く使えない。片っ端から『What's this?』と聞きまくって、十日。
「|Do you understand what we're saying?《私達の話が聞き取れるようになってきた?》」
「……|thank you for your help.《お陰様で》」
なんとか女性たちの話にはついていけるようになっていた。この家の女性たちは英語とはいえ、難しい単語は使わないでくれてる。『言葉はコミュニケーションツールだから、その場にいる人間全員がわかる言語で話す』という、百々目さんの教えに従っているからだ。
(そういえば紫貴と百々目さんも私の前では日本語で会話してくれた。そういうことなのかな……)
ちなみに百々目さんは私がミコさんと話している間に一人帰っていた。しかも彼が来ない限り、私はこの家から出られないらしい。その暴挙には怒りで打ち震えたが、この家はネットが通じないのでどうしようもなかった。
(事前に説明してくれたらいいのに……冷蔵庫の中でトマトが腐る! いや、あの人のことだから始末してくれそうだけど……もう、本当にいや! あのおっさん!)
そんな風に半ば強制で始まったこの家の滞在は、しかし得るものが多い。語学力もそうだが、美術、音楽、古典文学、家事その他諸々、とにかく生きているだけで学びがあるのだ。それは悔しいことに助かってはいる。
「I learned about how to ride the bus,and train, how to get a visa,how to have a barney and make up,first aid method,cowgirl...Luke's Gospel Chapter 7…(本当に色々学んだわ、バスや電車の乗り方にビザの取り方、喧嘩の仕方に仲直り、応急処置と騎乗位に……ルカの福音書七章……)」
この家に入るためのスパイ映画のようなエレベーターに描かれているのは、ルカの福音書七章に記されるキリストと罪深い女。とある家に訪問したキリストのもとに一人の女がやってきて、涙でキリストの足を洗い、髪でその足を拭い、香油を塗った。それを見た家の主人は、預言者ならばその女が罪深い女とわかるはずなのに、と呟く。キリストはその男に負債者の例えを使ってこう諭す。
『二人の負債者がいる。どちらの負債も許されたとしたら、果たしてどちらの負債者がより金貸しに感謝するだろう? 多くの負債を持っていたものだ。多くを許されたものはより多く愛する。……あなたは私がこの家に来てから足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙でぬぐってくれた。あなたは私にキスをしてくれなかったが、彼女は私の足にキスをしてくれた。この人は多くを許されたから、私を多く愛しているのだ。……この人の罪はもう許された、だからこの人は私を多く愛している』
モチーフの意味を知らなければ意味が半減するという百々目さんの言葉は、こうしてモチーフを知ったからこそ理解ができる。そして彼がこの絵をここに置く理由もまた、そうだ。
この家にいる女性たちは皆傷ついている。世間的には普通ではない、でも彼女たちにとっては普通の、とても残酷な環境で生き残ったサバイバーたちだ。彼女達はこの家で傷を癒やし、私のように学び、そしてミコさんのように外に出るものもいれば、ファット・ママと呼ばれるこの家の代表女性のように残るものもいる。いずれにしろ彼女達はこの家で過去を精算し、自分の足で立ち、自分の道を決めていく。
(……私にとってはムカつくおっさんだけど、ここの人たちからしたらキリストよね、百々目さんは)
「What's next,Miko?( 次は何、ミコ?)」
「What do you want?(何がいい?)」
私はその絵をミコさんと見ながら、「I want to go home…(そろそろ帰りたいわ…)」と呟くと、彼女はクスッと笑った。
「Okay, I'll call Yu. (オッケー、優を呼ぶ)」
「What!? Can you call him!?(は!? 呼べるの!?)」
「Uh-oh.」
「
そしたらすぐに迎えに来たおっさんの脛を出会い頭に蹴ってしまったが、私は悪くなかったと言えるだろう。
「What's a XXXX! ……ククッ、アハハッ!」
おっさんは私の渾身の攻撃をゲラゲラと笑った。それから彼はまた女達にハグをし始めたので、それが終わるのを待っていると、ミコさんがやってきて私を抱きしめてくれた。
「Well Done,Midori.(よくやったわ、ミドリ)」
「……センキュー……」
ミコさんが耳元で、小さな声で話し始める。
『あの銀髪とどうするにしろ、優に気をつけて。あなたのこと、ここに連れてくるぐらいは気に入ってたのに、今のあなたは自信をつけてさらに桃子に似ちゃったわ。あいつが本気になったら、あなた、落とされちゃうわよ』
その日本語に何もこう考えずに私は叫んでいた。
「
私の叫びに彼女はゲラゲラ笑った。彼女は他の女性たちにも説明したので、結局女性はみんなゲラゲラ笑った。最後に聞いたおっさんもゲラゲラ笑って、私と同じことを叫んだ。
「|Why do I have to like this ugly bitch?《なんでこんなブス好きにならなきゃいけねえのよ》」
「
そんなスラングを最後に、私はその不思議の家の滞在を終えることになったのだった。
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