第1話 岩下真帆

 私の前世は、日本のどこにでもいるただの女子高生だった。

 朝はいつも遅刻しないぐらいの時間に家を出て、放課後は友達とお喋りするのが日課。

 特別な才能もなく、でも平凡な毎日を精一杯生きていた。


 ある日、いつものように学校へ登校するために電車に乗った。

 ドア横を確保できてラッキーってなって、親友からラインがきた。

 担任で歴史教師の、あだ名は狐の先生が結婚するらしいという衝撃の内容を目にする。

 マジ? って思いつつ、降りる駅に着いてドアが開く。


 歩こうとしてホームに出ようとした瞬間、背中に衝撃が走った。


 周りの乗客の悲鳴が耳に入るも、すぐに何も聞こえなくなっていく。

 痛いと思ったのも束の間、熱いと思い、さらにすぐに寒いという感覚に襲われる。

 身体に力が入らなくなり崩れ落ち、虚ろな目から見えたのは私から出る赤い液体。

 刃物を持った黒いシルエットが私を見ている姿。


 私は何も出来ずに、死んだ。


 死んだのだが……


 意識がはっきりして周りを見渡すと、何もない真っ白い空間。


 もしかして、天国ってとこかな?

 と思いつつも、どっちに行けばいいかわからないのでオロオロしていると、土下座している女の子が視界に入ってきた。


「えっと……どちら様ですか?」


 恐る恐る、問いかける。


「申し訳ございません! 魔王様!」


 は? 魔王?


「よもや勇者が、転生してまで魔王様を狙うとは! おのれ勇者め! まさか覚醒前の魔王様を殺す暴挙を犯すとは!」


 顔を上げず、土下座したままの少女は、真っ黒いドレスに長い銀髪。


 年齢は小学校5年生くらいかな?

 小さい身体を小刻みに震わせていた。


「ちょっ! ちょっと待って! 魔王? どういうこと?」


「魔王様は魔王様です。魂が魔王様なのです」


「そこのところを、もうちょっと詳しく説明してくれないかな?」


「えっと……私のこともわかりませんか?」


 涙声で顔をあげる少女。


 うおっ! 可愛い!

 めっちゃ抱きつきたくなるぞ!


「えっと……ごめん。わからないけど、抱きついていい?」


「はあ……構いませんが?」


 それじゃ遠慮なく。


 おお! 温かい。小さな体なのに不思議と力強さを感じる。

 一生抱きついていても飽きないぞ。


「どうです? 魔王様、何か思い出しましたか?」


 縋るように見てくる少女。

 う~ん、罪悪感が込み上げてくるぞ。


「いや、魔王じゃないって。……ごめん。覚えているのは岩下真帆として送った人生。……はっ⁉ 私って死んだってことなんだよね⁉」


 ちょっと現実味のない光景に忘れていたけど、ここに私がいるのは刺されて殺されたからだよね。


 まずは現状確認しないと。


「はい。死にました。御臨終でございます」


「う~ん、享年16……はあ、彼氏もできずに……キスも経験せずに死んじゃったのか。あはは……はあ。おのれ犯人、なんの恨みがあって私を殺したんだよおおおおおおおお!」


 これが叫ばずにいられるかああああああああ。


「私は何も悪いことしないで、16年間一生懸命生きてたのにいいいいいいいいい」


「え? 悪いことしなかったんですか? 魔王様なのに?」


 不思議そうに私を覗く少女。


「そりゃあ普通の家に産まれて、普通に赤ん坊から高校生やってたって。って! だから魔王じゃないって」


 魔王ってなんだ?

 悪いけど、私はカンニングすら一回もしたことないぞ。


「……貴女様は紛れもなく魔王様です。岩下真帆だった前の人生、大地の9割を支配し、人間どもを支配した大魔王様だったんですよ!」


 フンスと鼻息荒くして、少女が叫ぶ。


「いや、まったく記憶にないし。ていうか、そろそろあなたのことが知りたいなあ。って思ってるんだけど」


 私がそう言うと、少女は姿勢を正して見つめてくる。


「死んでも思い出せないとは。……でも私の名前を聞けば思い出すはずです。大魔王リーシャ様の側近中の側近、大魔導師アンゼリカでございます。……どうです? 思い出しましたか?」


「ごめん、まったく」


「……そう……ですか」


 そうがっかりしないでくれ!

 私が悪いみたいじゃないか!


 アンゼリカちゃんは長い銀髪に金色の瞳を持つ小柄な少女。

 大魔導師と名乗るにもかかわらず、表情は幼く、時折見せる慌てた様子が愛らしいなあ。


「封じられ、転生して岩下真帆となる前に、もしかしたら魔王様は何か記憶封印の術を使用したのでしょうか?」


「疑問形で質問されても私もわかんないよ~」


「ちょっと失礼します」


 アンゼリカちゃんの身体が淡く光っていく。


 おお! これ、魔法ってやつ⁉

 少女で大魔導師ってなんの冗談かと思ったけど、なんか凄い展開きたぞ。


 淡い光が私を包む。


「な、なんと⁉ 魔王様! あなたはなんてことを⁉」


 驚愕するアンゼリカちゃん。


「え? なに? そんなヤバいの?」


「ヤバいのなんのって。……魔王様は、こう願って岩下真帆となったのです」


 ゴクリと唾を飲む、私とアンゼリカちゃん。


『ファーストキスした人と、結婚して子供産んで、一生幸せに暮らして一緒のお墓に入りたいなあ、キャー恥ずかしい』


「はい?」


「私が言ったのではなく魔王様が願ったのです! つまりあなたの願いなのです!」


 なんかアンゼリカちゃんの顔が真っ赤になっているけど、可愛いなあ。


 うんうん、女子なら誰だってそう思うよねえ。

 好きな人と一生仲睦まじく生涯を共に過ごすって。

 いやあ、魔王だった私なんて記憶にないけど私と変わらないじゃん。

 アンゼリカちゃんもきっと同じことを考えていたんだねえ。

 うんうん。


「まったく! 魔王様ったら! 要はそんな乙女脳の人生を一度送らないと、魔王に戻る気は更々ないということですね……はあ」


 あ、あれ?

 アンゼリカちゃん? 酷くない?

 乙女脳って……いや、ため息吐かれても私は悪くないと思うぞ。


「つまり、私はそんな人生を送れるまで、転生を繰り返すってこと?」


「平たく言うと、そうですね。……ただ、これは結構危ないですね。もし、あなたが大好きになった人に、ファーストキスを捧げるとしましょう」


「うんうん」


「キスの直後、相手が『お前なんぞ誰が愛すものか! フハハハ』なんて笑ったら、どうなりますか?」


「そんなの……」


 アンゼリカちゃん、とんでもない妄想してくるなあ。

 それは……さすがに泣くと思うぞ。


「は⁉ 誰です!」


 突如後方へ振り向き、アンゼリカちゃんが光の球を投げつけた!


『フハハハ、良いことを聞いた。魔王、次の人生で貴様のファーストキスを奪ってやろう。直後にこっぴどく捨てれば貴様は魔王として覚醒する。その時、今度こそ転生させずに始末してやろうではないか!』


 変声器が使われているかのような、エコーがかかった叫び声。


「え? なに……今のって……」


 声の聞こえた場所まで行って、立ち竦むアンゼリカちゃんに追いついて声をかけた。


「厄介ですね。……今の声の主は勇者です。勇者は魔王様であるあなたの宿敵。前世でも、そして岩下真帆としての人生でもあなたを殺害した張本人です」


「え? どういうこと?」


「勇者もまた転生を繰り返しているのです。岩下真帆を殺害した直後、勇者の転生体も自害しています。目的は明白です。魔王様の転生直前のこの場所を確認し、次の人生でまた魔王様を狙うためです」


 おお、全然話についていけん。


 いや、ちょっと待て。

 私を殺した直後に犯人自殺⁉

 ……痴情のもつれの無理心中みたいに報道されてたらどうしよう。


 顔の血の気が引いていく。

 ママにお姉ちゃんにパパが、そいつとの関係はなんだったんだ! って思ってたらどうしよう。

 葬式で、クラスメイトたちが『岩下さんて遊んでたらしいよ』なんて噂してたらどうしよう……


 そんなことを思っていると……


 ん? 私の身体が光っていくぞ。


「時間が……魔王様! 次の人生ではファーストキスを狙う者にお気をつけください! 絶対に勇者の転生体には奪われないでくださ~い!」


「ちょっ⁉ アンゼリカちゃん! もっと聞きたいこといっぱいあるんだけど⁉ うわっ! ダメ! もう少し待って……」


 そんな私の願いも虚しく私の意識は途切れ、虚無と漆黒と無音の中で自我のない存在へと、私はなったのであった。


 ***


「魔王様……お気をつけて」


 1人取り残されたアンゼリカは、ポツンと呟くのであった。


 ***


『女子高生電車内殺人事件


 被害者 岩下真帆

 年齢 16歳 高校1年生

 交際経験 無し

 家庭環境 良

 友人関係 普通

 特技 動物にすぐ懐かれる

 夜遊び 1度も目撃無し』


 犯人はその場で自殺しており、警察は無理心中として捜査を終了させた。

 

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