我鳴、怪キ物譚
ろいひ
キ物
積み重なる汚れたビルのはざまを駆けていた。
なぜ
おそらく脚があるからだ。何より追う影があるからだ。
影は二つ。
一つは長身痩躯の黒衣の男。凄絶な色香をまとう顔は
もう一つは少年。特徴に乏しくぱっとしない容姿だが、少女のように整った顔をしている。つぶらな眼はぼんやりとして生気に欠けた。
卓は裏道から表通りに出る。居並ぶ屋台と通行人、立ち食いをする人々で
大半の人は卓を避けたが、卓にはね飛ばされる者も出た。粥屋の前で粥をすすっていた男が、泡を吹いて店先でのびる。
「チェン! リャン! このイカれども‼︎」
客の様に粥屋の店主が怒声をあげた。卓を追う男は足を止める。
「お前らの物追いで客がこのザマだ! 商売の邪魔だ! どうしてくれる!」
叫ぶ店主に、男──チェン──は艶やかな笑みを見せる。
「お客様の懐をまさぐりなよ。きっと財布があるからさ。財布を盗ったら
チェンの言に店主は目を輝かせた。そそくさと泡を吹く客を物色し始める。
白けた目でその様を見届け、チェンは卓追いに戻る。
ここは
うすぼけたビルが縦横無尽に積み重なる、巨大な無法都市。
この街では物は
◼︎──────
物は黙々。限界がくれば物言わず壊れる。対して生物は「壊れる前に疲労を感じる」という防御機能がある。
「諦める?」
息があがりはじめた養父にリャンは尋ねた。チェンは首を横に振る。
「総
「でも、あいつ速いよ」
卓は速度を落とさず駆け続け、人の親子と距離を空け始めていた。
「『走る』のは卓の用途じゃないのだけどなぁ」
ぼやくとチェンは、卓追いから外れ適当なビルに入った。ややすると、木製の椅子を担いで戻って来る。
「どうしたの、それ」
「拝借したよ」
「持ち主は?」
「寝てもらった」
チェンはリャンが担ぐ鉄の
「お前だけなら追いつけるだろう? 卓の『用途』はわかっているね?」
「うん」
頷くとリャンは椅子を頭の上に抱え、息を整え小さく跳ねた。次いで、
奇異な生まれのリャンは自身を『物』と認識している。それが故か物の扱いにひいでた。特に自身の肉体という『物』の扱いに長け、必要に応じて身体能力を高めることが出来た。
「さて──」
遠くなる卓とリャンを見ながらチェンは思案する。養子だけを働かせるほど腐ってはいない。
現在地を確認し、頭の中に付近の地図を描く。
デタラメに違法建築物が密集する
とりあえず、あの卓は幅があった。なので極端な峡路は通れないだろう。よって逃走経路も多少は絞れる。
容姿以外は凡庸なチェンだが、無法の街で生き延びる程度の
チェンは少し離れた鉄階段の上──歯科を見上げた。
あの歯科の壁を
メスは肉を切るためにある。ドリルは削るためにある。入れ歯は噛むためにあり、歯科標本も噛む構造を持っている。
──歯科の道具がキ物化してないといいなぁ──
心底思いながらチェンは歯科に入り、院内を突っ切った。
◼︎──────
キ物は動く。そして物としての『用途』を満たそうとする。
箪笥のキ物は収容しようとする。洗濯機のキ物は洗おうとする。刃物のキ物は斬ろうとする。
そして、『用途』を満たせばキ物は落ち着く。動きが
チェンが椅子を持ち出したのもこのためだ。
卓には椅子が付き物だ。そして椅子に座った人間が卓に着き、仕事・食事・娯楽・休養に使うのが卓の『用途』だ。
卓のキ物に追いつき抑えこむと、リャンはすぐ側に椅子を置いた。椅子に座り卓の上で頬杖をつく。卓の動きはぐっと鈍ったが。
「何が不満なんだよ」
暴れ跳ね動く卓を押さえ、リャンはぼやく。
卓はまだ満たされていない。
「ともがらの椅子が側にあって、俺が使っているだろう? まだ不満なの?」
言って、リャンは思った。この状況は『卓を使っている』うちにはいるのだろうか?
リャンは卓の傍らで椅子に座り『卓に着いている』。だが卓の上には何もなく、リャンも頬杖をつく程度しかしていない。
おまけに卓はそれなりに大きく、明らかに一人用ではない。せめてもう一人『卓に着く』人間が必要なのではないか。
どうしよう──リャンは思う。
周りに助けを求めるのは危ない。金をせびられるのも困るし、解体屋に連れて行かれようものなら内臓が減ってしまう。
そも、まともにキ物の相手をする人間などそういない。事実、通りすがる人は奇異を見る目で卓とリャンをながめ、足早に離れていく。
どうしよう──腕の筋に意識を向け、ぐぐぐと卓をおさえながらリャンは思う。リャン一人で状況を打開するのは難しいかもしれない。
物の扱いは心得ている。リャンも『物』だし、チェンから物の扱いや手入れ方法をいつも教わっている。
チェンは物が好きで、キ物を扱う
リャンも動く動かないに関わらず物が大好きだ。
けれども、眼の前の卓のキ物をどうすればいいかわからない。大好きな『物』を満たしてやれない。
──父さんなら、どうするかなぁ──
養父を思う。
チェンは血の繋がらないリャンを育ててくれた。『がっこう』がむかなかったリャンに読み書きと算術を教えてくれて、沢山の本を贈ってくれた。
リャンがリャンでいられるのはきっとチェンのおかげだ。そして、リャンが頼れる唯一の大人はきっとチェンだけだ。
──父さんなら、どうするかなぁ──
もう一度思った次の瞬間。
ダンッ! と勢いよく、卓の上に
卓を挟んだ対面に座ったのはチェンだ。
ぜぇはぁと息をきらし鉄の投網を肩から下ろしている。
深く息を吐いた養父は、
二人の人間が卓に着き、飲食する。『用途』を満たされ、卓のキ物は
リャンは酒を飲むチェンを見やる。チェンがやっていることならリャンだってやってみたい。
「俺も喉が乾いてるんだけど」
「瓶詰めの飲み物は酒くらいしかなくてね。お前が飲めそうなものは売っていなかったんだ」
「飲めるなら何だっていいよ。それ、ちょうだい」
「お前にお酒はまだ早いのです。あと二、三年経ったらね」
「それ、一昨年も言ってたよ」
まともな説教をする養父をリャンは不満げに見る。
饅頭を口にする。しっとりした饅頭は乾いた喉に詰まりかけたが、美味かった。
◼︎──────
後日、チェンの営む『
脚をいましめられた卓の上にはフルコースの食品サンプルが並べられ、傍らには二脚の椅子が添えられている。
卓のキ物は時折動く。買い手はまだない。
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