第12話
「イルッカおじいさん、ヘルミおばあさん、これまでお世話になりました」
深々と頭を下げてお礼を言った古都子は、大きな麦わら帽子と赤いスカーフをふたりへ贈る。
ヘルミおばあさんはずっと泣くのを我慢していたのに、古都子からの贈り物を前に、ついに泣き出してしまった。
それをイルッカおじいさんが慰める。
「コトコが大きくなって羽ばたいていくんだ。これは目出度いことなんだよ」
「分かってます、分かってますけど……」
エプロンで涙を拭うヘルミおばあさんの姿に、古都子ももらい泣きしてしまう。
そんな古都子の肩に、ホランティ伯爵がぽんと手を置いた。
「魔法学園を卒業したら、一度、顔を見せにくるといい」
「はい、そうします!」
古都子の元気のよい返事に、ヘルミおばあさんもやっと泣き止んだ。
「コトコちゃん、頑張り過ぎないでね。疲れて倒れる前に、焼き菓子を食べてね」
最後まで心配性だったヘルミおばあさんと抱き合って、古都子はフィーロネン村を後にする。
家を出て、停めてあるホランティ伯爵の馬車に乗りこむと、村民が総出で見送りにきていた。
「コトコちゃん、元気でね!」
「また遊びにおいでよ」
「土魔法、かっこよかったぞ!」
シスコの声もする。
古都子は馬車の窓から身を乗り出し、大きく手を振った。
「皆さん、ありがとうございました!」
御者が馬に鞭を入れ、馬車が動き出した。
すると雪解けでぬかるんでいるはずの道が、するすると平らに整っていく。
「ここへ来るときは、轍に車輪を取られて揺れたものだが、コトコの土魔法かな?」
ホランティ伯爵に聞かれたが、土魔法をつかった覚えのない古都子は、目をパチクリとさせた。
「いいえ、私は何も……」
「伯爵さま、なんだか道が輝いていますよ」
すると御者が驚いた声を出した。
ホランティ伯爵と古都子が、窓から顔を出して道を見ると、道の表面がキラキラと光を反射している。
「わあ、綺麗!」
「これは……雲母だ」
ホランティ伯爵によると、塗料にも使われる鉱物で、光沢があるのが特徴なのだそうだ。
「それがどうしてこんなに?」
「これは私の考えだが――道を平らに均したのも、美しく輝かせたのも、土の意思じゃないだろうか。きっとフィーロネン村の土が、コトコの門出を祝っているのだよ」
「っ……!」
古都子は、もう一度、窓から顔を出して道を見る。
夜空にかかる天の川のように、道は古都子の行く先まで白く輝いていた。
これまで土と一緒に、魔法のレベルあげをした日々が思い出される。
きゅっと、古都子の下唇に力が入る。
「ありがとう……これまで一緒に頑張ってくれて、ありがとう!」
古都子は相棒だった土にも感謝を伝えて、約三年間を過ごしたフィーロネン村を旅立った。
◇◆◇
数日かけて向かう王都の魔法学園への道中、古都子はホランティ伯爵からこんな話を聞いた。
「どうやらコトコ以外にも、異世界人が入学するらしい」
もしかして晴臣ではないだろうか。
古都子の緊張感が高まる。
「サイッコネン村で崩落が起きた原因となった、愚かな貴族がいただろう? あの貴族を調べている内に、コトコと同い年の異世界人を、養女に迎えたことが分かった」
「養女……つまり、女の子ですか」
「そうだ。そしてその養女から、『私が魔法をつかえないのは、杖がないせいだ』と言われ、銀の杖を仕立てるためにサイッコネン村を訪れたらしい」
情報量が多すぎる。
取りあえず、晴臣ではないのは分かった。
がっかりしながらも、古都子はこの世界の常識を確認する。
「杖がなくても魔法はつかえますよね?」
「もちろん、つかえる」
「それなのにその貴族は、養女の言うままに杖を仕立てようとしたのですか?」
「だから愚かなのだ」
ホランティ伯爵の言葉には容赦がない。
大切な領民に怪我をさせられたのだから、当たり前だ。
「その貴族が、異世界人を養女にした魂胆は分かっている。コトコもそうだが、年齢が関係している」
「年齢? 私も?」
思いもよらない共通点を挙げられた。
「今年の魔法学園は、少し特別なんだ。双子の王女殿下と王子殿下が入学される」
「王女殿下と王子殿下が……」
「王族と同学年になるというのは、貴族にとって利点でしかないのだ。うまく取り入れば、後々、美味しい目に合える。だからその貴族は、双子の王族と同い年の異世界人を養女として囲い込み、我が儘を聞いてでも魔法学園へ送り込みたいのだよ」
急に、汚い大人の世界が垣間見えた。
息を飲んだ古都子に、ホランティ伯爵は安心させるよう微笑んだ。
「コトコはそのままでいい。何も気負わず、魔法の学びを得て欲しい」
「私、王族なんてすごい人に会うのは、初めてです。失礼なことをしてしまうかも……」
別の意味で、心臓がドキドキし始める。
「王族だって、同じ人だ。何も変わらない。コトコは誰とだって、とても丁寧に接しているだろう。だから今のままでいいんだよ。むしろ……」
そこで口をつぐんだホランティ伯爵だったが、少しだけ目をさ迷わせて、しかし古都子のためを思って口を開いた。
「むしろ、コトコのほうが驚くかもしれない。ソフィア王女はそうでもないのだが、弟のミカエル王子はかなりやんちゃだと聞く」
「やんちゃ……王族なのに?」
黙ったまま、ホランティ伯爵がこくりと頷いた。
「私の領地の穀物収穫高が倍増した理由として、国王陛下にはコトコの土魔法の説明をしてある。それにミカエル王子が興味を持ったそうだ。おそらく……コトコに話しかけてくるだろう」
これまで地味に生きてきた古都子にとって、王族との接触なんて一大事だ。
「コトコには災難かもしれないが、当たり障りなく接していればいい」
「なんだか別世界です。私、ずっと普通の学校にしか通ってなくて」
「コトコの制服や教科書は、すでに寮に用意してある。入学式まではしばらく時間があるから、環境に慣れるためにも、予習をしておくといいかもしれない」
古都子は、寮での一人暮らしも初めてだ。
王都に到着するまで、古都子はホランティ伯爵から、魔法学園での生活について、話をたくさん聞かせてもらえた。
そうして分かったことだが、フィーロネン村の生活基準と王都の生活基準は異なっていて、熾火で温める石窯ではなくガスのオーブンが普及しているそうだ。
「……石窯じゃないんですね」
「ちなみに電灯もある。コトコは少し、文明に慣れる必要があるかもしれないな」
ふふふ、とホランティ伯爵が笑うので、古都子もなんだか可笑しくなった。
笑うと心が軽くなる。
馬車の窓から見える空は、今日も青い。
古都子は空を見上げるたびに、両親へ思いを馳せる。
(お父さん、お母さん、私は元気だからね。魔法学園で始まる新しい生活にも、きっと馴染めるから安心してね)
人見知りが激しかった古都子は、この世界で成長した。
中学校では先生相手に失望していたが、この世界で出会った大人は、古都子を一人前として扱ってくれる。
まだ大人ではないから護ってくれるが、古都子の意思を尊重してくれるのは嬉しかった。
同じ空の下に、もうすぐ異世界人が揃い立つ。
◇◆◇
「これって……あのとき、理科実験室にいた生徒たちよね?」
中学校教師だった結月は、手にした新入生名簿を見て驚愕した。
「私だけじゃなかったんだ、この世界に飛んできてたのは」
約三年前、理科実験室で何かに躓いた拍子に、結月は光と爆風に包まれ、気がついたらこの世界にいた。
それから、異世界人ならば魔法がつかえるだろうと言われ、有無を言わさず魔法学園の職員にされてしまったのだ。
元々、教師という立場だったので悪くはないと思ったが、ここで結月が教えられる魔法の知識は何もなかった。
結局、まだ魔法が発現しない結月は、雑用をさせられていて、日々の鬱憤がたまっている。
「ちょうどいいわ。まずは、泉リリナからよ。上下関係ってものを、ちゃんと教えてあげなくちゃ」
結月はリリナからされた仕打ちを、忘れていなかった。
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