第5話

「風使い?」


「魔法には多くの属性が存在する。他にも、水や火を使う者などがいる」




 ホランティ伯爵は渦をきゅっと握りつぶした。


 古都子はホランティ伯爵が見せてくれた魔法を見て、この世界では詠唱がいらないのだと理解する。


 長々しい技名なんかがあったら、きっと古都子は恥ずかしくて口に出せなかっただろう。


 


「コトコよ、もし不安があるのならば、私の屋敷に来るか? そばに付きっ切りという訳にはいかないが、それでも何かあったときは力になれるだろう」




 古都子の魔法への不安を正しく察知し、ホランティ伯爵が救いの手を差し伸べる。


 しかし、それを古都子は断った。


 


「いいえ、私、イルッカおじいさんとヘルミおばあさんが好きだから。ここにいます」




 古都子の明るい表情を見て、ホランティ伯爵は頷く。




「そうか、分かった。心優しき者に保護されて、本当に良かった」




 それから、ホランティ伯爵はすっと背を伸ばす。


 そして眼差しに力を込めた。


 これから何か大切なことを言われるのだ、と古都子にも分かった。


 ぐっと歯を食いしばり、待っていると――。




「この世界に飛んでくる異世界人はみな、元の世界で死の淵に立った者だという。だから元の世界には帰れないのだと聞いた」


「それって……」


「……コトコよ、つらければいつでも言いなさい。出来る限り助けよう」


 


 息を止めた古都子を残し、ホランティ伯爵は歩き去った。


 言いにくいことだったろうに、古都子のためにあえて告げたのだ。


 古都子が元の世界へ、いつまでも気持ちを残さないように。


 この世界でしっかりと、立っていられるように。


 


「そっか、私、元の世界で死んだんだ」




 その答えは、すとんと古都子の腑に落ちた。


 夢だ何だと思うより、よっぽど納得できた。


 そして両親へ、心の中でごめんなさいと謝った。




「こっちで元気にしていると、伝えられたらいいのに」




 古都子は青い空を見上げた。


 空の色は元の世界と変わらない。


 もしかしたら、空で繋がっているんじゃないか。


 そんな希望を抱いてしまうほど、青さが目に染みた。




「……じゃあ、晴くんは?」




 晴臣もまた、死の淵に立ったのか。


 古都子をかばおうとした晴臣のほうが、むしろ生き残っている可能性は少ない。


 晴臣を掴もうとして掴めなかった、空を切った手を思い出す。


 あのとき、もしも掴めていたら、晴臣も一緒にこの世界へ飛んでいたかもしれない。




「晴くん……会いたい」




 古都子は静かに、涙を流した。




 ◇◆◇




 溜め池の工事が始まると、働き手の食事作りのためにヘルミおばあさんが駆り出され、古都子はひとりで畑の農作業を任された。


 大きな蕪を引っこ抜くたびに尻もちをつき、いたた、と腰をさする。




「空気が乾燥してきたせいか、土も硬くなったよね。もっとフカフカだったら、抜きやすいのに」


 


 ぼっこりと、蕪の抜けた穴が空いた畑の畝を見て、古都子が呟く。


 すると――。




 もこり。




 土が動いたように見えた。




「ん? もぐらでもいる?」




 古都子が盛り上がった土を、恐る恐るスコップでつつく。


 しかしそこには何もなく、ほろりと土が崩れていった。




「何だったんだろう?」




 首をかしげていた古都子は、ホランティ伯爵の言葉を思い出した。




『ちょっとした違和感から始まる。あれ? 今のは何だろう? と思ったら、それが魔法だったというのが、私の経験だよ』




「まさか、今のが?」




 周りよりも、幾分か柔らかい土を、古都子は凝視した。


 そしてもう一度、フカフカになって、と念じてみる。




 もこり。




 土は盛り上がり、ほろりと崩れた。




「やっぱり! え、私の魔法の属性、土!?」




 顔が地味だと魔法も地味なのか。


 風や水や火と違って、なんだか華がない。


 ちょっと期待していた古都子は、しょんぼりする。




「私の人生、地味が決定づけられてるんだわ」




 だが萎えていたのも少しの間だけだった。


 なにしろ蕪が抜きやすい。


 どんどん土をフカフカにさせて、古都子は全ての蕪を抜いて回った。


 その内の半分を大きな籠に入れると腕に抱えて、古都子はヘルミおばあさんがいる村の調理場へと歩いていく。


 この蕪もまた、働き手のための食事に使われるのだ。




 ◇◆◇




 溜め池を造成するために、50人ほどの働き盛りの男性が、フィーロネン村へとやってきていた。


 その働き手へ提供する三食を作るのに、村中の女性や料理人が、輪番で調理を担当している。


 古都子はお手伝いができる調理レベルではなかったので、もっぱら皿洗いを任されていた。




「ここに蕪、置いときますね」


「コトコちゃん、ありがとうね!」




 調理場に出入りするようになって、古都子は顔を覚えてもらい、村民の間でも認知度が上がった。


 今、声をかけてくれたのは、ヘルミおばあさんの娘のシスコだった。


 20代のシスコは、イルッカおじいさんそっくりの、黄緑色の髪をしている。




「何か洗うものとか、ありますか?」


「今は大丈夫! それよりコトコちゃんも、こっちへおいでよ。みんなで休憩してたんだ」




 シスコが手招きするほうへ近づくと、古都子の好きなあの丸い焼き菓子を手に、今日の調理担当をしていた村民がくつろいでいた。


 その中にはヘルミおばあさんもいる。




「コトコちゃん、お疲れ様。ほら、たくさん食べなさい」




 ヘルミおばあさんは甲斐甲斐しく、古都子へ牛乳を注いでくれた。


 ぱさぱさして喉に詰まりやすいこの焼き菓子には、飲み物が欠かせない。


 休んでいるみんなも、おのおの、手に木のマグカップを持っていた。




「いただきます」




 古都子は、ほんのりと甘い焼き菓子にかぶりつく。


 そして、しばしの間、故郷へ想いを馳せるのだった。




「蕪を抜くのは大変だったでしょう?」




 古都子の顔についていたらしい土を払いながら、隣に座ったシスコが言う。


 シスコも嫁に行くまでは、あの畑を手伝っていたのだろう。


 苦労が分かるという顔をしていた。




「土が硬くなっていたので、最初は尻もちをついていたんですけど……おかげで私、土の魔法が使えるようになったんです」


 


 え~! と休憩しているみんながどよめく。


 


「良かったわね、魔法が使えるってすごいことなのよ!」


「コトコちゃんは、土使いなのね。領主さまは、たしか風使いだったわよね?」


「まあ、どんな魔法なの? 私、魔法を見るのは初めてよ」


 


 みんなに囲まれ、恥じらいながらも、古都子は足元の土をちょっと盛り上げて見せた。


 途端に、おおおっ、と歓声が沸く。




「わあ、魔法って本当にあるのねえ!」


「すごいわ、コトコちゃん」


「でも、これで16歳になったら魔法学園へ行っちゃうのね……寂しいわ」




 最後の言葉は、しんみりとしたヘルミおばあさんだ。


 古都子のことを、今も娘のように可愛がってくれている。


 シスコがヘルミおばあさんの背中を叩いて励ました。




「喜ばなくちゃ、母さん! これでコトコちゃんは、王城へお仕えできるかもしれないのよ。大出世なんだから!」




 魔法学園に王城――古都子の知らない場所だが、平民にとっては憧れの場所らしい。


 古都子はヘルミおばあさんにぎゅっと抱き着く。


 まだ離れたくない。


 その思いをヘルミおばあさんも受け取ってくれた。




「まだ一緒にいられるわ。16歳になるまで、思い出をたくさん、作りましょうね」




 その日は夜まで調理場で皿を洗ったり、キャベツの外葉を剥いだりして、最後は夕食をご馳走になってから家に帰った。


 古都子はヘルミおばあさんと並んで、月を見上げておしゃべりをしながら、この先の未来のことを考えた。


 土をほんの少し持ち上げられるだけの魔法で、一体、何ができるのか。




(王城なんて派手な場所、私には似合わないんじゃない?)




 古都子が辿り着いた答えは、それだった。


 そして次の日からも、古都子は土を盛り上げる。


 蕪を引っこ抜いた畝を耕し、そこに玉ねぎの苗を植えるためだ。


 もこもこ土を盛り上げて、柔らかくしていく作業は楽しかった。


 毎日のように土魔法を使い続けることで、範囲や効果が高まっているのに古都子が気づいたのは、それから半月ほど経ってからだった。

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