第2話

「古都子ちゃんって、黒柳くんのこと好きなの?」




 悪気はなかったのだと思う。


 女の子は恋の話が大好きだ。


 何をきっかけに始まったか分からない、そんないつもの休み時間の話題に、意中の晴臣のことが持ち出された。


 まだ誰にも心の内を打ち明けてなかった古都子は、恥ずかしくて思い切り否定した。




「そんなことないよ! たまたま、幼馴染だから一緒にいるだけ!」


「あらあ、残念だったわね、黒柳くん。古都子ちゃんは、好きじゃないんだって」




 古都子の背後に、晴臣が立っていた。


 真正面にいた友だちには、晴臣の姿が見えていたのだろう。


 古都子と晴臣をくっつけようという、魂胆があったのかもしれないが、とんだありがた迷惑になった。


 全身の血が、ざあっと音を立てて下に流れた気がした。


 ばっと振り向くと、いつもと変わらない、無表情の晴臣。


 でも古都子は、そこに悲しみの色を見つける。




「あ、その……」




 何か言い訳をしないと。


 そう古都子が慌てているうちに、晴臣は何も言わずに立ち去った。


 それ以来、晴臣は古都子に一線を引くようになった。


 あくまでも友だちの態度を保って、古都子が女の子といる場面では近づかない。


 困ってそうなときだけ、そっと手を差し伸べる。


 そんな関係になってしまった。


 


(もっと無邪気に、いろいろ話し合う仲だったのに……私のせいで)




 滅多にないが、古都子と一緒にいると、晴臣は口角を持ち上げることがあった。


 数少ない晴臣の笑顔は、古都子にとって宝物だったが、それも失ってしまった。


 それ以来、古都子もあくまでも友だちとして接してきたが、ここに来ていろいろと頭を抱えている。




(もっと泉さんみたいに、自分に自信が持てたらな……)




 リリナ本人に聞いたわけではないが、自分の外見に自信がなければ、あそこまであからさまに言い寄ったりはしないだろう。


 古都子にもリリナ並みの容姿があれば、誰に遠慮することなく、晴臣が好きだと言えたかもしれない。


 年齢が上がるにつれて、晴臣との間にあるギャップに、古都子は悩んでいた。


 クラスの中心にいるわけではないのに、誰からも尊敬のまなざしで見られる晴臣と、目立たず騒がず隅っこにいるのが落ち着く古都子。


 存在自体が地味な古都子が晴臣を想うなんて、分不相応なんじゃないかと。


 


(本当は好きなくせに、私ってひねくれてる)




 もう答えは出ているようなものだった。




(私にも何かないかな。自己肯定感を上げるようなものが)




 うんうん唸りながら考え込んで歩いていたせいか、古都子は廊下で運悪く結月に捕まってしまう。




「ちょうど良かったわ、理科実験室の片付けに人手がいるのよ。白土さん、すぐに行ってちょうだい」


「え……は、はい、分かりました」




 昼休みも終わりそうだと言うのに、なぜか用事を言いつけられてしまった。


 そして古都子は、こういう頼みを断れない。


 もちろん結月はそれを見越して声をかけているのだ。


 古都子は足早に、理科実験室へ向かう。


 そしてそこで思いがけず、晴臣とリリナが二人きりでいる姿を見つけた。




「ねえ、黒柳くん、学校じゃないとこでも会いたいな。どんな私服を着てるのか、気になるんだもん」




 片付けに駆り出されたのは、古都子だけではなかったようだ。


 理科実験室の中からは、晴臣をデートに誘っているリリナの声が聞こえた。


 リリナは晴臣のそっけない返事にもめげず、あれからもずっとアプローチを続けている。


 ここでふたりの間に入っていくのは、かなりの勇気が必要だったが、それでも古都子は決行する。


 嫉妬心が抑えきれなかったのは否定できない。




「やだ、白土さん、何の用? 実験の後片付けは、私と黒柳くんが任されたのよ?」




 邪魔をされてリリナは口をとがらせているが、試験管を洗っている晴臣とは違って、その手には何も持っていない。


 片付けが長引くほど、晴臣と一緒に居られる口実になるのだから、リリナが手伝うはずがなかった。


 古都子は晴臣の隣へ行き、試験管ブラシを手に取った。


 そして無言で洗い始める。


 


「あ~あ、興ざめしちゃう。せっかく黒柳くんといい感じだったのに」




 ふてくされたリリナは、どかっと椅子に座り、細い脚を大仰に組んだ。


 ちらりとスカートが捲れてショーツが見えそうになり、古都子はドキッとしたが、晴臣はそちらを気にもしていない。


 手元の試験管を割らないために、意識をそこへ集中している様子だった。


 


「ありがとう」




 ぼそりと、晴臣から礼を言われる。




「いいよ、結月先生に言われて、来ただけだから」


「ん」


「なんか、久しぶりだね。こうして話すの」


「ん」


「元気してた?」


「ん」




 他愛のない挨拶程度の会話だが、それでも古都子には嬉しかった。


 心なしか、晴臣の顔も明るく、返事の「ん」も弾んで聞こえる。


 古都子は洗った試験管を、次々と試験管立てに並べていく。


 すでに晴臣もかなり洗っていたが、まだ試験管は残っていた。




「前の時間、何の実験をしたんだろうね? この数、多すぎない?」




 古都子が疑問を口にしたと同時に、理科実験室へ結月がやってきた。




「ちょっと、まだ終わらないの? 次の授業が始まっちゃうじゃない!?」




 いつもよりイライラした口調に、リリナが整えた眉をひそめる。


 そして大胆不敵にも、結月へと言い返した。




「結月先生~、年下の彼氏と別れたからって、生徒に八つ当たりするのは止めてくださ~い」


「な、なんで!? どうしてそれを、知ってるの!?」


 


 狼狽える結月を面白がって、リリナがクスクスと笑う。




「SNSには、鍵を付けた方がいいですよ? 誰に見られてるとも知れないんだから~」




 リリナはそう言って、自分のスマホの画面を結月の方へ向ける。


 見せられた画面に心当たりがあるのか、あっと叫んだ柚木は、慌ててリリナへ駆け寄った。


 


 そして、足元にあった何かに躓く。


 結月が倒れ込む瞬間、理科実験室いっぱいに白い光が広がる。


 それに続けて大きな音と爆風が、古都子を襲った。


 直前、晴臣に庇われた気がする。


 だが、何もかもを吹き飛ばすほどの威力に対して、それは抗力とはならなかった。




「――!」




 晴臣に名前を呼ばれたが、かき消されて聞こえない。


 古都子は咄嗟に手を伸ばし、晴臣を掴もうとしたが――。




 それは虚しく空を切り、古都子の意識は暗転したのだった。


 


 ◇◆◇




「ここ、どこ?」




 古都子は、大空を見上げていた。


 どうやら寝そべっているらしい。


 肘をついて体を起こして、古都子はひゅっと息を飲んだ。




「ここ、どこ……」




 そして同じことを呟く。


 今度はもっと、現実味を帯びていた。


 遠くまで田園が広がる風景に、まったく見覚えがない。


 右端から左端まで、隈なく見渡すが、古都子以外には人気がなかった。




「なんで? 理科実験室にいたはずなのに……こんなに飛ばされるってこと、ある?」




 古都子が通う中学校の周辺は、こんなにひなびてはいない。


 まるで田舎の祖父母宅に、遊びに行ったときのような光景だ。


 


「どうしよう。どうしたらいい?」




 取りあえず立ち上がり、太陽の位置を見る。


 まだ夕暮れには間がありそうだが、暗くなる前に誰かに会えるだろうか。


 理科実験室で起きた爆発が、すでにニュースになっているかもしれない。


 大人の人に事情を話して、助けを求めよう。


 制服についた土を払い落とすと、古都子は上履きのまま歩き出した。


 


 とにかく人のいる場所に出よう。


 赤土のでこぼこした畦道をたどると、それが大きな道へと繋がっていた。


 田畑に沿って、緩やかなカーブを描き、どこまでも続いている。


 焦る気持ちを抑え、古都子は歩を進めた。




 ときおり大樹が木陰をつくっていて、そこで休憩を挟む。


 喉が渇くが、飲み水はない。


 滴る汗を拭い、また歩き始めた古都子の目が、遠くに動く何かを見つけた。


 はっきりとはしないが、荷馬車のようだ。


 古都子は、声の限り叫ぶ。




「助けてください!」

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