第31話 圧力

 乾いた大地ではないのに土煙が舞った。大人数が、攻撃を仕掛けてくるのが見える。どれほどの規模の攻撃かを判断するのが精一杯だ。


 アオイは部隊長らに予定していた指示を出す。近づいてきた敵兵に向かって雨のように矢を放つ。直撃すればそれなりに被害を与えるはずの攻撃ではあるが、盾と鎧で防御している。多少進軍速度が遅くなるだけで停止させることはできない。敵の勢いは衰えてはいない。


 このまま、衝突すれば、一撃で王国軍の最前列が粉砕される可能性すらある。帝国軍はそのことを理解しているのか、自分たちの強さを確信しているのか、全く怯む様子すら見せない。まるで、牛の群れが突進してくるかのような勢いがある。


「アオイ様……」

「慌てないで。もう少し、引きつけないと」


 アオイがアリサに返答をした瞬間、帝国軍の塊が揺れる。最前列の兵士らが突如、体勢を崩したのだ。


「やりましたね。落とし穴」

「躓かせただけよ。これからが本当の戦いになる」


 アオイは慎重な言葉を返すが、帝国軍の最前列の兵士らは落とし穴にハマりバランスを崩す。落とし穴と言っても、それほどの深さがあるわけでもない。僅かな登り斜面から下りにかかる場所に一列に手首が入るほどの溝を掘っただけのこと。


 慎重に地面を見ていれば越えられる溝であるのに、それに引っかかった兵士たちが複数発生した。転んだ兵士がいれば、そのまま通過した兵士もいる。多くはバランスを崩しただけであったが、大軍であることが帝国軍の災いとなった。


 後ろから来る兵士が前の兵士を押し倒す。途中で気づいた兵士が止まろうとしても、背後から押されてしまい前後で押し合うような状況になっている。逃げようとしているわけでもないのに、戦闘拒否をしているのではとの圧力を受け、その場に留まることも難しくなっている。


 そこに向かって、再び矢の嵐を降り注がせる。接近する必要はない。いや、下手に接近すれば必死になった敵の攻撃を受ける可能性がある。矢を受けながらも突進してくる弱体化した兵を倒す方が安全だし簡単だ。


 アオイは包囲していた帝国軍騎兵の一部が逃げ出すのを放置して、防衛的な陣形を崩さない。今回の攻撃で、敵兵力を削ぐことには成功したものの優位になったわけではない。所詮は局地的な戦いで、全面衝突ではない。未だに帝国軍の主力は健在であり、兵力も王国軍より多い。不利な戦況であることは変わらない。


 このまま、乱戦にもつれ込むことは本意ではない。そのような態度で、アオイは全軍を少しずつ下がらせて帝国軍に対して距離を取ろうと動く。近づいてきた帝国軍兵士に対しての迎撃は怠らないものの、積極的な攻勢は行わない。消極的な動きに対して、帝国軍が前面決戦を挑んで来れば、かなり勝ち目は少ないだろう。


 アオイは内心の不安を隠しながら指揮を執るが、帝国軍は攻撃してきた兵を戻らせて陣形を整えなおす。威圧するかのように離れた分だけ全軍を近づけてくるが、無理攻めはしてこない。バイチー将軍が罠ではないかと警戒しているのを感じ、アオイは少しだけ安堵する。


 とは言え、このまま膠着しているだけでは勝ち目は無い。それだけではない。帝国領内に侵入している分、補給に不安がある。後方に移動させている輜重部隊を攻撃されれば、食料を失って戦うことすらできなくなる可能性がある。アオイが敵の動きに変化が無いかと睨みつけていると、アリサが話しかけてくる。


「思ったより慎重ですね」

「オキ将軍でなくて良かったかな。あやつであれば、私たちが撤退した場所を観察して兵力を予想するなどしないだろうからね」

「バイチー将軍は伏兵がいると予想しているってことですね」

「予想しているわけではないかもしれない。けど、そのリスクを考慮している。のね」

「向こうは無理をして攻めなくても、最悪、追い詰めるだけで勝てると思っているはずってことですね」

「国境の外まで追い出すだけでもいいわけだからね。でも、そうはならない。やっぱり、攻めてくるんじゃないかな」

「兵士が不満を持つということですね」


 アオイが憂いながら戦況を見守っていると、帝国軍は先ほどまでとは違いゆっくりと進軍してくる。全軍で王国軍を包み込もうという動きに対して、アオイは中央を後退させながら両翼を広げる。もし、帝国軍が紡錘陣形に組み直し、アオイがいる本体を攻撃するようなことがあれば、王国軍が一瞬で瓦解しかねないほどの危険な行為だ。


 だが、それでも、包囲されるわけにはいかなかった。敵に決定的な優位を与えずに、兵力の消耗を避けるという作戦を徹底していた。このまま、陽が落ちるまで粘ることまで視野に入れ始めようかとしていた時、帝国軍の中央の一群が結集して突撃を仕掛けてくる。


「アオイ様っ!」


 アリサの金切声にもアオイは冷静だった。今まで戦闘に参加させていなかった近衛兵を参集させ防御を固める。戦列を伸ばしすぎた弱点を見抜いてのバイチー将軍の攻撃に、アオイは奥歯を強く噛みしめる。


 もし、この作戦が失敗したとしても、帝国軍にはまだ余裕はあるだろう。それに比較して、自分が討ち取られればこの戦いは敗北する。ここは自分も武器を取り闘うことになるかもしれない。覚悟を決めたアオイの下に近衛兵が集う。


 こちらも気力十分で敵の突進に対して迎え撃つ。接近戦でも魔族らの武勇に対して引けを取らない。むしろ、第一波を押し返すかのような勢いだ。


「殿下、ご安心ください。我らの命に代えてもお守りいたします」

「命に代えられては安心できないではありませんか。皆さんも勝って生き延びてください」


 アオイが言うと、「そうだそうだ」という茶化した言葉が笑い声と一緒に聞こえてくる。自軍はまだ余裕があるじゃないかと感じたアオイがニコリと微笑むと、近衛兵らは喊声かんせいを上げながら帝国軍に向かっていく。


 この勢いがあれば、何とかなるんじゃないか。そう希望的観測を抱いたアオイだったが、しばらくして現実を思い知らされる。帝国軍の第二波、第三波に対して徐々に前線が支えきれなくなってきたのだ。


 死傷者も徐々に増え始めている。倒している数は相手の方が多いはずではあるが、やはり数の差が大きい。まだ余裕はあるものの消耗戦をいつまでも続けることは難しい。それに、両翼が抑え込まれ始めている。このまま様子を見ているだけでは、前線が崩壊する可能性が高い。


 アオイは作戦の岐路に立たされていた。このままの戦型で戦いを続けるか。それとも中央に兵を集めて逆に攻勢を仕掛けるか。どちらの作戦が良いか。そんなの誰にもわからない。それでも選択するしかない。


 勝てる可能性を高めるならば自分で動いた方が良い。帝国軍は精強ではあるが、それだけに油断をしている。王国軍が攻撃を仕掛けてくるなんて想像もしていないはずだ。それだけに、好機でもある。しかし、同時に危険性も高い。下手をすれば全滅を免れない。


「防衛陣形を整えよ」


 アオイは近衛兵に命じて防御に徹する。勝ちを望まなかったわけではない。アオイは信じていたのだ。一か八かで帝国軍を打ち破ろうとするより、別の賭けに勝利することを。


「第四波来ます」

「迎え撃ちなさい!」


 前線からの報告にアオイは気合を入れて命令を下す。力の籠った声に兵士たちは大きな声で返答をする。気持ちだけであれば帝国軍に負けてはいない。それでも、疲労は蓄積されている。兵は徐々に押し込まれてくる。


 今まで壁となっていた近衛兵の数が減り、帝国軍の兵士の姿が間近に迫ってくる。いよいよ槍を握る必要が出てきたか。とアオイが感じた時、遠くに土煙が上がるのが見える。


「アオイ様、あれはもしかして」

「来てくださると信じていました。陛下が」


 アオイは呟くようにアリサに返答すると、まだここで負けるわけにはいかないと言わんばかりに強く槍を握りしめた。




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