第15話 遭遇戦

 地平線に土埃が舞い、黒い影が徐々に数を増していく。距離は大分離れているが、あれが帝国の兵であることは間違いない。アオイたちのいる場所に到達するのにそれほどの時間はかからないはず。


 アオイは各部隊の隊長を急いで招集する。顔すらよくわかっていない。時間の猶予はほとんどない。だから、できるだけのことを今やるしかない。


「逃げましょう」「勝てっこありませんよ」「殿下はどちらへ?」


 ざわめく隊長らの前に立ったアオイは全員を睨みつける。左横にアリサ、右横にリュウが立っている。その二人に対しても不満そうな視線を向けている隊長らに、アオイは話しかける。


「聞け! 諸君、我らは敵を迎え撃つ」


 アオイの凛とした言葉に対して、隊長らはお互いに顔を見合わせると、ボソボソとお互いに話し出す。


「でもな、殿下は街に入られたしな……」「魔族だぞ、勝てっこないよな」「籠城した方がいいよな」


 しばらく好き勝手に話すのを黙ってみていたアオイは、少しだけ静かになったところで一歩前に出る。


「まさか、ポニア王国の隊長で臆病者はおらぬよな? ここで戦わずに逃げようなどという腰抜けはおらぬよな?」


 アオイが再び強い口調で言うと、隊長らの視線が鋭くなる。何を小娘が生意気に。とでも言いたげな表情だ。それでも、敢えてその言葉は選ばずに違う言葉で反論してくる。


「王女殿下、我々が帝国に正面からぶつかっては勝ち目がございません」

「いや、勝てるな!」


 アオイは老隊長の言葉を一瞬で否定する。その態度は、妄信的ではない。胸を張り自信をみなぎらせているアオイに対して、老隊長は、「なっ」と声を出したが、すぐには反論できない。その代わりに、若い別の隊長が、話に割り込んでくる。


「王女殿下、敵は我らより数も多く、更に兵は精強です。それに、我々は国境からここまで進軍し疲労満杯です。このまま敵と戦えば、数刻も待たずに敗北すること間違いないでしょう」

「そうかな。そなたらは、何か勘違いをしている」


 アオイが言うと、隊長らは顔を見合わせる。


「よく聞け、オオカミの群れがイノシシを容易に仕留めるのは、逃げるものを追い詰めていき戦うことを諦めさせるからだ。だが、もし、イノシシが反撃してくれば、オオカミであれど、簡単に仕留めることなどできるまい。我々は彼らに対して、三つの有利な点がある。わかるか」


 若い隊長に視線を向けてアオイは問いかけるが、彼は小さく首を振ってこたえない。だから、アオイは言葉を続ける。


「一つ目は、数の優位だ。確かに、全兵力では、我らの方が少ないかもしれない。しかし、恐れる必要はない。土煙を立てているのは歩兵ではない。先行している騎兵だ。それだけであれば、我らの方が勝っている。二つ目は、彼らは疲労しているということだ。追撃していることで気分が高揚し気づいていないのかもしれないが、疲れは溜まっている。それに対して、我らは意気消沈していたかもしれないが、一息つくことができた。つまり少しは体力を回復できたということだ。そして、三つめは、彼らの慢心だ。我々のことを逃げ癖がある弱弱しいウサギと思い込んでいることだ。追い詰めれば無抵抗のまま殲滅できると思い込んでいるということだ。よく聞け! 我らはウサギなどではない。オオカミを狩るトラだ。今こそ、知らしめてやろうぞ! 帝国の兵士らに」


 アオイの言葉に隊長らの反応は芳しくない。感情的には理解できるが、理性的に判断すると納得できない。そんな複雑な表情が見られたとき、一人の男が口を開いた。


「勝ったら報酬は弾んでくれるのか?」


 男の言葉に対して、アオイが怪訝そうな表情を見せると、男は睨み返してくる。


「俺は傭兵団団長のグーリャだ。傭兵団として大きな見返りがあるならば戦うのは躊躇ためらわない」


 アオイはすぐにこれは手助けの言葉であることを認識した。どうせここで敗北すれば払う必要はない。約束など履行する段階で考えればよいのだ。それであれば、この男を味方にして、隊長らの戦意高揚に利用する。それはとても魅力的な提案に感じられたが、それを知ってなおその提案を無視する。


「多大な報酬は約束はできかねます。私が払えるのは、ここホルライで保有するお金のみですので。それに、この街は辺境でそれほど裕福と呼べるわけでもありません」

「だったら、俺たちは去るが構わないか?」

「ええ、構いません。我らに腰抜けは不要です」

「聞き捨てならねぇな。その言葉」

「であるならば、一緒に戦うってことでよろしいですよね」


 アオイが言うと、グーリャはニヤリと頬を吊り上げる。


「勝てる算段があるならな。そこまで言うからには何か策があるのだろ?」

「ええ、勿論。その前に確認しておくことがあります。戦いたくないという臆病者はこの中にいるか? 今なら、街への退却を許すことにする。誰かいるか?」


 アオイにこう言われて隊長らはみんな表情を強張らせる。


「王女殿下も戦われるのでしょうか?」


 老隊長が口を挟む。幾人の隊長は小さく頷いている。きっと、自分らだけを戦わせてさっさと街の中に逃げ込むに違いない。そう考えられていたと、アオイは確信して首を少しかしげながら微笑む。


「どうして、勝てるいくさで戦わないなどということがあろうか」

「では、勝てると?」

「よく聞け! 私の指示通りにそなたらが働けば必ず勝利することができる。この攻撃により相手の出鼻を挫けば、悠々と街の中に全員で引き上げることもできよう。安心するがよい。この戦い、すでに我々は勝利しているのだ。作戦を実行できれば、帝国の兵士に一泡吹かせられること間違いない。こんな楽しいこと、間近で見れぬ弟のなんと愚かであることよ」


 アオイがカラカラと笑うと、隊長らの表情も緩む。全員の緊張がほぐれてきたのを見取ったアオイは、一瞬で真剣な表情に戻る。


「時間はあまりない。急ぎ、配置につけ!」

「了解!」「はっ!」「わかりました」


 アオイの号令で隊長らが自分の部隊に戻っていく中、グーリャだけがその場所に立ちとどまっている。


「どうされた?」

「我らを中央に置くというのは、信頼の証か? それとも、傭兵など消耗してくれた方が支払いが減ってましとでもいうのか?」


 不敵な笑みを浮かべているグーリャに対して、アオイはわかっているとばかりに頷く。


「どちらでもありません。この作戦の適任と思われたから配置したまでのことです」

「俺らは決して弱くはない。だが、金で戦っている以上、命の危険を感じたらどうしても下がってしまう。それは、傭兵の性分だ」

「それでいいのです」


 アオイが言うと、グーリャは眉間を寄せる。


「どういうことだ」

「それも作戦のうち、ということです」

「遁走するとしてもか?」

「ええ、あまり望ましくはありませんが、それでも構いません。ただ、街に逃げ込もうなどする方が、よっぽどあなた方の被害は大きくなります。一歩も下がるな。などとは言いません。いえ、むしろ、ゆっくりと後退して構いません。ただし、陣形を崩壊させるのだけは、あなたたちのためにお勧めいたしません」

「信じていいのか?」

「ええ、もし、この戦いで敗北したならば、私の首を差し上げましょう」

「そうならないように戦えってことか」


 グーリャは口元を小さく歪めてから、クルリと反転して大股で傭兵団のもとに向かう。


「大丈夫でしょうか? アオイ様……」


 隣に立っていたアリサが小声でアオイに訊いてくる。


「安心しなさいな。私たちが負けるはず無いのですから」

「良かった……」


 アリサが安堵の表情を浮かべるのを見て、アオイは部隊を指揮するために歩き出した。王族が勝利を確信できずして、どうして兵士たちを奮い立たせることができようか。と考えながら。



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