第25話 新入り 1 風貌はまるで本職さん?
一兵さんが加入した時の話です。
古くなった町内会館の立て替え計画が持ち上がり、練習場所を変更しなくてはならなくなりました。新しい稽古場に決まったのがすぐ近くの保健所の講堂で、今までのように畳もなければ舞台もありません。
そこでの最初の練習日のことでした。
ひっそりとした部屋の真ん中には、先に来た佐川さんが十人ほど座れるように、テーブルを並べて準備してくれてありました。その部屋の正面の黒板の前には、何故かベビーベットが置かれてありました。乳児の健康指導や母親学級等で使用して、置いたままになっているのだろうと思い、私はそれを部屋の隅に移動させ、皆の来るのを待っておりました。
そして学生時代もそうであったように、講堂のテーブルを三つ並べて黒板の前に置いて座布団を敷き、窓のカーテンを閉めていると広原さんや皆が次々に集まって来ました。弦巻さんだけが欠席でいつものメンバーは全員集合です。
その中に一人、見慣れない人が。師匠が自己紹介を、と黒板の方に手を差し伸ばすと、彼はすっかり呑み込んでいてサッと即席の高座へ上がり、
「え~、皆様お初にお目にかかります。私、都築一兵と申しまして、長いこと旋盤工をやっております。」
「え~今日から仲間に入れていただく事になりまして、もうずっと前から楽しみに待っておりました。師匠から芸名を考えて来るように言われておりましたので『奇怪亭千万』にしようと思います。」
「私、旋盤ってぇ機械を使って仕事をやってますから、それで。もうすぐ定年でして、これからの楽しみに何かやりたいなあと思ってたんですが、まさかこの町内に落語研究会があるとは知らなかったもんで」
「そうなのよ。 うちのお店でね、落語が大好きで、一人でちょっとかじってんだけどって言うからさ、じゃぁ一兵ちゃん、うちの研究会にお入んなさいよ、って事になっちゃったのよ」
と武田さんが嬉しそうに付け加えました。
「ちょっとかじったって、おたく、ねずみ年でしょう。」と榎木さん。
さすがに好きで練習していただけに、自己紹介の口調まで落語風でなかなか宜しいようで。そしてその上顔も本人が敢えて言うように、落語家にピッタリな感じで、このまま着物を着て一席やったら、前座見習で通用しそうでありました。
しかし芸名にはちょいと師匠からクレームがつくはめに。千だの万だのとやたら数が大きすぎる。こしゃくな名だ、当分は頭に小をつけて「小千万」と名のるがよかろう・・と。
そこへ佐川さんが入って来てこの様子を見るなり、
「あれえ。ここに置いといたのにどうしたんだろう」
と不思議そうな顔。私がベビーベットの事かと聞くと「そうだよ!」と、当然のことというふうに答えました。舞台がないから座って話すにはもってこいだと思ったのでしょう。ベビーベットを設置したのは、佐川さんのいつもの気配りからでありました。
「オッサン、何でベビーベットなんだよ。オシメでも換えようってえの。俺今日してねえよ」
「なぁ、そこに上がって脱いだりすんのかよぉ」
榎木さんが言うと「イヤーン」と武田さんが赤くなり、その反応に面白がって更にからかいます。
「ちょっとオバさんだけど、その二人だったらいいよ、脱いでも」だって、いやだぁ!
今までのんびり過ごしてしまったけれど、次の三周年には絶対に自分達の会を開こうと練習をして、この頃では皆の噺も少しはそれらしくなって来ておりました。しかし鬼頭さんは相変わらず創作に力を入れ、次々と作品を紹介するのでどれを得意な噺とするのか分かりません。
今日も「自作の新しい噺ですがこれで行こうと思います」と前置きをしてから、まるでこの新人に見せ付けるように一席やってみせました。よほどの自信作らしいその内容はこう、ですが如何なものでしょう。
*** 愛人のもとに産まれた子が、母親に死なれて本妻の家へ引き取られ、苛められて暮らしていた。そして結婚すれば今度は姑にいびられて、毎日苦しんだけれどどうにも耐え切れずに、母のお墓の前で自殺を図る。
と、そこへ通りかかったお坊さんに、辛い身の上話を聞いて貰う。するとお坊さんの言うことには
「辛抱しなさい。辛抱しなさい。三年経っても耐えられなかったらその時には、仏の道にそむく事になって私も心が痛むが、この薬を姑さんに飲ませなさい、ころっといくからな。でも今は渡さないから三年経ったら取りに来なさい。辛い時には私の顔を思い出して、このお経を唱えなさい『かいきゅうけんごぉらぁくぅ・・とな・・』
そのありがたいお経が心の支えとなり、娘はとうとう三年間辛抱することが出来た。姑はどんなに意地悪をしても、嫁が心安らかにしているのでいびり甲斐が無く、つまらなくなって意地悪を止めてしまい、普通の姑になってしまった。
だから当然のこと、薬も使わずに済んだという。人は心の支えがあれば辛い事も半分になって、何とか耐えられるもの。酷い人間だと思っても毅然としていれば、次第に相手にも伝わって苛める気も薄れるだろう。
三年経ってお坊さんを尋ねると、何と実はお坊さんだと思っていた人はクリーニング屋の爺さんであって、クリーニングに出した袈裟をちょいと着せて貰って、ふざけていたのだったという。ありがたいと思っていたお経も、なぁに、落語の好きな爺さんの孫が落研にいるので、落語研究会という文字を逆さにして、会究研語落(かいきゅうけんごらく)と読んだだけとのことだった。
薬を飲むとコロッといくというのはケロッと効くの間違いで、それも薬ではなく単なる白い粉だった。仏に背いて心苦しいというのは、死まで覚悟した人間に嘘をつく事に対して心苦しいけれども・・、とまぁこういうことなのだった。
して結末はと言えば、「お坊さま、お陰さまで辛抱出来ましたので三年間ここに来なくて済みました。」
「そうか来なくて済んだか。来なくって死んだ、粉食って死んだ、になったら大変だったなぁ」というオチで、大そうばかばかしいものでありました。***
人情話によくあるパターンだったので、別段悪くはなかったけれど、鬼頭さんが妙にリアルに苛めやいびりを描写し、どちらかと言うと暗い喋り方をするので嫌な落語に思えた私が、
「鬼頭さんには悪いんですけど、私達の落語の発表場所って大体町内ですよね。長生き寿会とか、もし呼んでくれたらすぐそこの特養ホームにも行きますよね。この話ね、今時の若い子達だったらどうか知らないけれど、お年寄りが聞くとどんな気になるかしら。」
「中には姑さんなんかと苛められたり苛めたりした経験がある人がいるかも知れないでしょ。私達は本職じゃぁないんだから、底抜けに明るい落語やりません?」
そんなことを言うと
「お前は偉そうな事を言うんじゃぁない。いいか悪いかは俺が言う。でしゃばるんならもう止めっちまえ。帰れ」
と師匠が激怒致しました。確かに私は先輩である鬼頭さんに対して生意気だったかも知れませんね。
「師匠、それはちょっと待ってよ。奥さん止めさせたりしないでよ」
と優しい佐川さんが取りなしてくれたので、私は研究会から除名されずに済みましたが、このやりとりは新人さんにはどううつったでしょうね。
ところでこの新入り、そうそう正式名を小千万さん。定年退職した今ではすっかり毎日が日曜日、と思いきや根っからの働き者でありますから、今でもシルバー人材センターで一生懸命に働いております。健康で体力も十分あり、その上結構な物知りで色々なクイズ番組に出場経験の持ち主であるのです。
あの田宮次郎司会の有名な「クイズ・タイムショック」やら「アップダウンクイズ」などにも出ていますから、相当古くからの出たがりさんだったようでして。そのうえ将棋がめっぽう強くって、そんじょそこらの人には負けたことがないってぇくらいですから、スーパー老人とでもいいましょうか、いや、老人なんて呼んでは失礼です、が、やっぱり呼んでもいいかしらと思ったり思わなくなかったり、つまり思うということでして、ふふふ・・・
そう思う一番の理由は、なごり雪のような髪と「高齢の噺家さん」もどきの口調と、あとは何といっても若い女性や女子高生を語る時のあの妙な喜びの表情が「助さん平さん」ったらしくってじじむさい。しかぁし、おたちあい! こと政治に関することや世の不条理に物申す時の意気込みといったら、そりゃぁ血気盛んな若者ってな感じなのであります。
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