その30 敗者への救いの手

 生徒相談室に動揺が広がる。


 たった今、退学者が決定したのだ。

 約束は約束。負ければ退学――そう言って勝負を持ちかけたのは九条くじょうの方であり、そこにどんな言い訳も通用しない。


 九条は口を結び、無言を貫いた。


 まだ思考がまとまっていない様子で、言葉を発する準備すらできていない。

 実際に全てで満点を取り、勝利を確信していた彼にとって、敗北はあり得ないものだった。


 確実に俺を潰すために引き分けの存在を破棄したが、それが今回の勝敗・・を分けた。その一言さえなければ、勝敗はなく、引き分けドローだっただろうに。


「百点を取らないってそういうことだったのか! 八十九点――九十点からは表彰されるからね!」


 グレイソンが興奮した様子で俺の腕を掴む。


「それに、百点を取れなかったわけじゃなく、百点が取れるのにわざと八十九点になるように調整・・した! 配点が書いてあるわけでもなかったのに!」


 そう。

 俺は百点を取ることができた。


 日頃の学園図書館での勉強はこのためにある。スワンが見せている俺の解答用紙には、いくつかの正しい答えが濃い二本線で消されていた。

 俺は正しい答えを書いているのだ。正解となる解答を書いてから、自分で二本線を上から濃く引くことで、正式には丸がつかないようにしている。


 採点者は俺が正解をわかっているという事実を知りながらも、それが二本線で消してあることに対してバツをつけなくてはならない。


 ――実質百点。

 それに加え、配点を自分で計算した上、見事に的中させた。


 そう考えれば九条とも並ぶだけの成績となるが、勿論それだけではない。全てで満点の九条を負かしてまで、教師が俺の勝利を選んだ理由――。


『――ちなみに~、一年生の筆記テストって、三学年の中で一番難しいらしいんですよ~。特に三年生は実技が中心になるから、筆記はそんなに重要じゃないみたいで~す――』


 これは約一ヶ月前のホームルームでのスワンの言葉だ。


 三年生が満点を取ることと、一年生が満点を取ること。

 彼女の言葉から考えれば、一年生が満点を取ることの方が難しい。


 今回、俺は実質・・満点を取った。


 引き分けが通用しないのであれば、一年生の俺を勝ちとするしかない。


「九条、お前を失うことは〈3-B〉にとって大きな痛手だ……しかし、決まりは決まりだ。わかるか?」


 立花がその橙色の瞳を細める。

 口調は穏やかだ。だが、そこには確かな悔しさと、失望がある。相手を潰そうとするあまり、最悪の可能性を考慮できなかった。それは九条の犯した大きな失態。


「はい、師匠マスター……」


 九条が頭を押さえ、うずくまる。


 優しいグレイソンは視線をそらし、俺は崩れる九条を無表情で見つめていた。


師匠マスター、いいでしょうか?」


 瞳に生気を戻し、俺が口を開く。

 立花はちらっと二人の教師に目を配り、そして頷いた。


「九条ガブリエルはこの学園に残るべきです」


「――ッ!」


 この言葉に対して一番大きな反応を示したのは九条本人だった。


「貴様! 何を言っている!? 吾輩は負けたのだ! 貴様に自分の最大の得意領域で勝負を挑み、無様に負けたのだ! そんな吾輩を哀れんでいるつもりか!?」


 乱暴に掴みかかり、俺を揺さぶる。

 鬼塚が慌てて止めようとしたが、俺が鋭い目で牽制した。


「この世界は新たな勇者の誕生を望んでいる。より強く、より多く……九条ガブリエルという男がここで終わっていいはずがない。ただそう思っただけだ」


西園寺さいおんじ……どうして貴様は……」


「俺を理解することはできない。この広大で無限の可能性を秘めた世界の全容を把握できないことと同じように、俺は人類の永遠の謎であり続ける」


 この言葉には、教師陣も惹きつけられた。


 適当主義のスワンでさえも目をぐっと見開いている。今回の試験を通して、俺の底知れない実力と、底知れない謎が新たにわかった。


 ――満点を取れたはずなのに、あえて目立たないために八十九点を取る男。


 そこには何か理由があるのか。

 実力を隠す必要があるのか。


 はっきりと言おう。そんなものはない。ただ、「かっこよさそう」だから。強いて言うなら、そんなところだろうか。


「学園としても、彼を失うのは避けたいことでしょう。戦いというものは、最終的に勝者が全てを決められます。私はこの勝負に勝った。ならば、九条ガブリエルの退学を取り消すことも可能です」


 ここで思い出される図書館での会話。

 俺は勝者にルール変更の権限を求めた。勝者にできないことなどない。


『この戦いに勝った者に、ルールを変えられる権限を与えてもらいたい』


『――この状況で言うのもあれだが、俺は君が気に入った。君の退学はなしにしてやってもいい』


 鬼塚が顎に手を当て、しばらく黙り込む。


 いつもうるさい鬼塚が黙るということは、前向きに検討してくれているということだろう。


 グレイソンは俺の寛容さ・・・に感心したようにキラキラとした目を向けてくる。実際のところ、これは俺が寛容だからではなく、純粋にもったいないと思ったからだ――彼は俺VS生徒会の戦いを盛り上げるのに必要な存在である。


「僕からもお願いします」


 その後グレイソンも、俺の発言に加勢するように深く頭を下げた。


 結果として、九条と少し前まで敵対していたはずの二人の生徒が、彼の救いを教師三人にお願いする形に。俺が言うのもあれだが、グレイソンは本当に変わっている。この状況で彼が頭を下げる必要などないのだ。


 鬼塚が溜め息をつき、九条を見る。


「あとはお前の意志次第だ。この学園を去ってもいいのか!?」


「私は……」


 今の九条には自尊心など欠片も残ってない。

 自分が最も得意とする座学で勝負を挑み、負けた・・・のだ。結果は出した。努力の成果は全て出し尽くした。

 それなのに、負けた。


 その敗北は彼にとって、コツコツと積み上げてきた自信を粉々に打ち砕く、爆弾の原料となる。


 最後に爆弾を完成させるのは、彼自身だ。

 もしここで、彼がもう一度立ち上がれるのなら――。


 ――道は開ける。


「……たいです……この学園に、残り、たいです……」


 二本足で立てるだけの力は残っていたようだ。


「私を、この学園に残らせてください!」


 鬼塚も立花も、そして俺もグレイソンも。

 その言葉に満足し、頷きを返す。


「九条」


 場が静まったことをいいことに、俺が口を開く。


「今回の勝負、相手が〈座学の帝王〉である君だったからこそ、盛り上がった。俺はこの戦いを一生忘れない。もし君がまだ俺を認めていなくとも、俺は常に高みを目指し続ける。覚悟しておけ」


 言いたいことはまとめて言う。

 それが完了した俺は、次のステップである「退場」に移行した。観客は教師三人と、九条。


 盛り上げ係として役割を全うしてくれたグレイソンは、俺と共に退場だ。


「この学園に危機が迫っている」


 根拠などないが、何かを悟ったかのように表情を曇らせ、目を細めながら言う。


「まさか、魔王セトが覚醒したのか……?」


 まさに百点満点の反応をしてくれる鬼塚。

 スキンヘッドの頭が反射する光が、俺の差し迫った表情を照らし出した。


「遊びに興じている場合ではなくなった……九条ガブリエル、忘れるな。たとえお前がここで立ち止まろうと、俺は走り続ける」


 静寂に包まれる生徒相談室。


 この空間から、一瞬にして色が抜け落ち、真っ黒な世界が彼らを包む。

 〈視界無効ゼロ・ブラインド〉だ。

 

 状況が飲み込めるようになった頃には、西園寺オスカーと一ノ瀬いちのせグレイソンはこの場にいなかった。

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