第7話 本当の依頼
「グループの活動で、二ヶ月後にツアーライブが開催されるんです」
「つあー? ライブ?」
英一が首を傾げると遥がじゅばっと身を入れこんで言う。
「全国で行われる音楽ライブのことでござるよ。ちなみに『海月コヨミ』殿の正式なグループ加入を記念した一大イベントでござる。会場は全国七か所、平均動員は一万人を超え、ラストは『さいたまスーパーアリーナ』。最大動員3万7000人の巨大ホールでござる」
「さっ、さんまん!?」英一があんぐり口を開けて叫んだ。「そんな所で歌うの?」
「はい」
「いやー、それは確かに緊張するね」
「いえ、緊張は特にしていないんです」
「あ、そうなの……?」
大物だね、と英一は息を吐いた。
「ただ、日程がちょうどテスト期間と被ってしまって……理由を話そうにも、
本当のことは言い出しづらくて……」
「まあ、学生の本分は勉強ですからな。部活動でもない活動をただのお遊びと思われることも考えられるでござる」遥がきりっとした目で言う。
「急に真面目に……」静香が何かを察してぽつりと言った。
「じゃあ依頼は、その期間中に君がライブに行っているのを学校に知られないようにしてほしいってこと?」
藤宮は頷いた。「無理なお願いなのはわかってます。でも、もう他に頼れる人がいなくて……」
「テスト日だけ来るみたいなことはできないの?」
「その日がライブの最終日なんです」
ああ、と英一は事の深刻さを理解した。
「あれ、でもVtuberって素顔見せちゃいけないんだよね? どうやって歌うの?」
「それはですな……」遥が割って入る。「【ドリームガールズ】のグループコンセプトに『誰よりも身近なアイドル』というものがあるでござる。これは素顔は見せずとも、ファンのすぐ近くに存在がいると感じられるようにするというスローガンなのでござる。
Vtuberのオンラインライブというのは、事務所のライブ配信用の会場を使って行われるものでござるが、リアルイベントは別でござる。実際に現地に赴き、会場にスクリーンを用意し、その中で実際にVtuber本人が歌って踊るのでござる』
「そんな感じなんだ……」英一は感心したように頷く。「どうしたもんかな……」
「事務所からは、最終日だけ出てくれば良いって言われているんですけど、それだと……」
藤宮が口をつぐむと、遥がうむと頷いて言った。
「最終日のライブチケットを持っていないファンは落胆するでしょうな……」
「その時は予め告知する予定なんですが、その期限もすぐそこで」
楽しみにしていたファンの多くはチケットの払い戻しを要求するかもしれない。
悪くすればグループ全体のイメージを損なう結果となる可能性もある。
「かなり切羽詰まってるんだね」英一が頷いて言うと、藤宮はまた泣きそうな顔になった。
「わたしのせいです……わたしが、ちゃんと正直に言えなかったから。ファンの皆にも、本当のことを言えなくて」
「それは違うでござるよ」
「えっ」
「Vtuberの中の人の事情に干渉しないのは、ファンの鉄則にござる。知りたい……という気持ちが全くないとは断言できないでござるが、全てを知りたいとは思ってござらん。知らないからこそ気楽に観られるということもあるでござる。
だとしても我は『海月コヨミ』殿の中の人が藤宮殿でよかっと思っておるでござる」
「うっ……うっ」藤宮が目をこする。
「あー、泣かせた」静香が藤宮に寄り添って背中をさすった。
「いやっ、我はただファンとして気持ちを伝えただけでござる!」
「いいのよ我慢しなくて、キモかったらキモいって言えばいいんだから」
「それは冗談でもヒドイでござる……」
藤宮はふるふると首を振った。「ちがうんです……間近でこんなこと言われたの初めてだから……なんて答えたらいいかわからなくて」
「あ、あの……海月どの?」
藤宮は顔を上げた。
「よかったらサインがほしいでござる」遥が色紙を両手に持って藤宮に差し出した。
「やっぱり抜け駆けしようとしてんじゃない!」静香ががーっと叫んだ。
藤宮は二人のやり取りを見て笑った。
そして、指で涙を拭い、ぱあっと花が咲いたような笑顔を浮かべて言った。
「いいですよ。もちろん!」
「でも……ライブの件はどうする?」
英一が神妙な面持ちで言うと、思わぬ人物が手を上げる。
静香が英一たちを見つめて言った。
「一つ、思いついたことがあるんだけど……乗る?」
作戦会議を終えると、遥と静香が足早に教室を出た。
「ちゃんと家まで送っていくのでござるよ!」
「傷一つでもつけたら承知しないからね!」
なぜか笑顔でそう言って走り去った二人を見つめて、英一は困惑した表情で呟いた。
「天野くんはわかるんだけど、どうして源さんまで……?」
くすり、ととなりで藤宮が笑った気がして英一は振り返った。
「とりあえず、帰ろうか」
「はい」藤宮が頷いて、鞄を両手で持った。
階段を降り、昇降口まで来ると、英一は靴を履き替えた藤宮と合流し
一緒に校舎を出る。
歩きながら英一はぽつりと言った。
「一つ、聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「どうしてVtuberになろうと思ったの?」
藤宮が目を細めて答える。
「きっかけは、読書好きのVtuberさんの配信でした。わたしと同じ本が好きで、話す内容もおもしろくて、ずっと聴いていたいなって思ってたんですけど、あるとき急に話しかけてみようって気持ちになって、思い切ってコメントを送ってみたんです」
「おお……それでどうだったの?」
「読んでもらえませんでした」藤宮はにへらと笑った。「ほんの一瞬だったので。
それで、だったら自分も同じようにすれば、本が好きな人と話せるかなって思って」
「それで始めたんだ」
藤宮が頷いた。「最初は誰も来てくれなくて、一人でずっと本を読んでました。けどあるとき、一人観にきてくれて。カメラは切ってたんですけど、だからかすごく気楽に話せて」
「そっか」
「その人は今もファンでいてくれて、ライブにも良く来てくれるんです」
「それじゃあ今度のライブはそのファンの人のためでもあるんだ」
藤宮がこくりと頷いた。
「ずっと応援してくれてありがとうって、ずっと伝えたくて」
「ファンの人嬉しいだろうね」
「今は他にも応援してくれている人がいるので……わたしの歌を聴いて、救われたって言ってくれる人もいて。本当はそんな大したことないんですけど」
「そうかな」英一は言った。「いると思うよ、救われた人」
藤宮が目を見開くと、英一はだってと付け加えた。
「僕はね、音楽で人が救われることって本当にあると思うんだよ。歌詞とか、メロディーとか、歌声とか……きっと色々理由はあるんだろうけど。耳に入ってきた瞬間、閉じてた扉がぱって開いたみたいに、心が軽くなる気がするんだ」
「心が……」藤宮が自分の胸に手を当てる。
「ひどいときは涙が出るよ」
「それは……大変ですね」藤宮が苦笑いを浮かべた。
そうだね、と英一は笑った。「でも救われるんだ。こんな自分でも感動できることがあるんだって」
世界に一人ぼっちだと思っていた……それまでは。
誰も手を差し伸べてはくれなくて、自分からも、手を伸ばせないようなとき、
心をノックするように歌声が響いてきて、ほぼ無理やりに感情を揺さぶってくる
気づいたら……泣いている。
英一は頭に浮かんだ歌を口ずさんだ。
「うん、やっぱり下手くそだ。脳内で聴いている方が全然いいね」
ふふっと藤宮が笑って、夕暮れの空に向かって歌声を広げる。
藤宮の横顔を見つめながら、英一は彼女の声に聴き入っていた。
ほろりと、気付かぬ間に涙がこぼれていることに気づく。
藤宮が歌い終わると、頬を染め後ろ髪を掻いた。
「……どうですか?」
「これを無料《タダ》で聴いている自分が憎らしいよ」英一は涙をぬぐって言った。「救われた、心から」
藤宮が目を細めた。「今度……もしよかったらライブ観に来てください」
「行くよ、もちろん」
「その時は招待します」
「それは天野くんに悪いかな」英一は首を振った。「観に行けなくても応援するよ。配信でも観られるんでしょ」
「はい」藤宮が頷く。「見てくださいね」
英一が頷くと、藤宮はたたっと数歩前に飛び出して後ろを向いた。
「ここで大丈夫です。ありがとうございました」
「うん、ライブ頑張ってね」
英一は頷いて手を振った。藤宮も小さく手をあげ「英一先輩」とぼそりと呟く。
わずかに口が動いた気がしたが、英一には聞き取れなかった。
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