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由比 瑛

第1話 プロポーズ

「ただいま」

「おかえり。ご飯できるまでもうちょっとかかりそうだから,お風呂入っちゃって」

「了解」

 彼が開けて入ってきたドアを引き返す。ピーピーピーと鳴った電子レンジからシリコンスチーマーを取り出し,フタをとって中のじゃがいもに菜箸を刺す。わずかに抵抗感の残るちょうど良い硬さだ。鍋にポットで沸かしておいたお湯とコンソメ,塩こしょう,ソーセージ,ブロッコリー,にんじん,玉ねぎ,じゃがいもを入れ,フタをして中火にかける。炊飯器の表示はあと十二分。炊き上がったタイミングで火を止めよう。

 その間にレタスを洗ってちぎり,二人分に分ける。スライサーできゅうりと大根を細切りにして軽く油を切ったツナと和え,レタスの上にミニトマトと共に盛り付ける。完成したサラダを冷蔵庫に仕舞い,調理で発生した洗い物にとりかかる。

 黙々と洗っていると炊飯器が鳴る。最後の一つを乾燥用バスケットに置き,コンロの火を止める。炊飯器を開けると柔らかな白米の甘い香りがたちのぼる。しゃもじで軽く混ぜ,再び閉める。続いて鍋のフタを開け,お玉で全体をかき混ぜ,スープを小皿に取って味見をする。野菜の風味とコンソメの濃さがちょうど良い。だんだん目分量が磨かれてきている気がする。

 ダイニングテーブルを拭いて,テレビをつける。チャンネルを順々に見ていき,音楽番組を流す。最近話題になっているスリーピースバンドだ。現代の悩める人々に寄り添うような歌詞と,ボーカルの声が魅力らしい。多少紆余曲折あったけれど,根幹の,音楽性的なところは変わっていないように思える。評価されたのは彼らの努力やタレントゆえだろう。けれど,急に手のひらを返したようにごますりをされるのはどんな気分なんだろう。自分たちは変わってないのに,周りの態度が変わるのは滑稽に思えるんだろうか。よく聞く「実感が湧かない」とはそう言うことではないんだろうか。

「んー…いい匂い」

 言いながら彼が再び登場する。整髪料でまとまっていた真っ黒な髪がサラサラに解けている。お付き合いが始まってもう六年ほど経つのにお風呂上がりの姿を見ると,いまだにこの人の見た目が好きだなと思う。

「ご飯盛るね」

「ん,ありがとう」

 礼を言ってサラダを冷蔵庫から取り出し,ポトフを盛り付ける。

 テーブルに配膳して椅子に座ると,彼がお茶を運んできてくれる。

「ありがとう」

「本当に水分摂らないよね。気をつけなよ」

「はーい」

 彼が向かいに着席したのを見て,いただきます,と言い食べ始める。

「あ,サラダ,ドレッシング忘れてた。玉ねぎのやつでいい?」

「うん」

 立ち上がって,冷蔵庫から和風玉ねぎドレッシングを取り出し,彼に手渡す。

「あ」

 彼が渋い声を出す。かける前にドレッシングを振らなかったのか,分離した油だけかかったらしい。

「よくやるね」

「ホントにね」

 苦笑しながら,忌々しげに高速でドレッシングを振る。ちゃんと混ざったのを目視して再びかける。

「理子は?」

「ん,いいや。ツナの味でいけるし」

「…多分人類って基本生野菜が嫌いなんだと思うんだけど。じゃなかったら,こんなにたくさんの種類のドレッシング存在しないと思う」

「文句ですか」

「違う違う。ちょっと思っただけ」

「わかってるって。嫌いかはともかく,一緒に食べる料理との相性なんじゃない?」

「…なるほど」

 一旦疑問が解決したらしく,テレビを見ながら食事をする。彼は一品ずつ食べる。だいたいサラダ,メイン,ごはんの順で。私はメインとご飯を先に手をつけ,合間と最後にサラダを食べる。

「理子」

「ん?」

「結婚しない?」

 ポトフをスープまで飲みきって彼が言う。咄嗟のことで返事に詰まる。

「…急だね」

「ふと思って。まあ,なんとなく前から将来については考えてたけど」

 白米を無理のない一口で頬張り,きちんと咀嚼してから応答が返ってくる。言うタイミングまでは考えていなかったのか。

「今なんだ」

「うん」

「そっか」

 あっけらかんとした表情の彼につられて無感動に返事をする。何か思い立ったのか,彼が食べ終わったお茶碗を置いて目を合わせる。

「どっか,素敵なレストランとかのがよかった?」

「…や,それはそれで」

 人目が気になって嫌だ。

「よかった。えっと,それで,返事は今じゃなくていいから,考えといてほしいな,と」

「…うん」

「ごちそうさま。洗い物,俺やるね」

 彼が食べ終わった食器をまとめて立ち上がる。

「あ,ありがとう」

「いえいえ。こちらこそいつもご飯作ってくれてありがとう」

「ん,う」と聞きなれない感謝の言葉に喉の奥の方が鳴って,彼が笑う。

「そんな驚く?」

「…そんなこと滅多に言わないじゃん」

「…まあ,見習っただけだよ」

「え?」

「とりあえず,考えといてね」

 うなずくとふっと顔綻ばせた。


 夕飯を終え,食器を洗う彼の背中をぼんやりと見つめる。高校生の時は線が細かったのに,今改めて見ると,いつの間にやら全体的に筋肉がついて,ほどよくがっちりとした,男らしい体つきになっている。筋トレとかするのかな。想像もつかないな。

 大人になったんだな,私たち。

 高二で付き合って,六年目。同棲して,まもなく一年。

 結婚が視野に入ってくるなんて思いもしなかった。いや,彼が言ったように,なんとなく,このまま一緒にいるのなら,それもあるかとは思っていた。本当に,なんとなく。だから,いざ現実的に言われると雲を掴むような感覚に陥る。

 けっこん。結婚か。

 彼とは一緒に居たい。この先も。できれば,長く。

 ではなんで躊躇しているのだろう。

 私は,彼と,どうなりたいんだろう。

 脱衣所で服を脱ぐ時も,髪や身体を洗う時も,明日の準備をする時も,布団に入ってからも,頭に靄がかかったようで落ちつかなかった。もそもそと寝返りを打っていると,彼に後ろから抱擁される。

「そんな困らせるつもりじゃなかったの。ごめんね……ちょくちょく匂わせとけば良かった…」

「なにそれ」

 くすくすと囁くように笑って彼の腕を抱きしめる。

「いつまでも待つから…焦らず,理子が納得するまで考えてね」

「うん」

「なんかあったら聞いてね」

「うん」

 向き直って彼の胸元に甘えたように鼻や頬をこすりつけ深く息を吸う。ほかほかとした彼の体温が移って徐々に瞼が閉じていった。

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