第27話

27話 刺客


「そろそろ村があるはずです」


 馬車から身を乗り出した陽梅が、そう慧英と萌麗に告げた。


「では一休みできますね」


 そんな事を話しながら、馬車が竹林の間を通り抜けようとした時である。紫芳が急に馬車を止めた。


「どうした、紫芳!」

「て、敵襲です」

「……敵だと。本当にこの辺は治安が悪いな……萌麗、陽梅。馬車の中にいろ」

「はい!」


 慧英が馬車を出ると、萌麗は茨で馬車を覆った。


「さて……山賊達、狙いを見誤ったのを教えてやろう」


 慧英はすらりと剣を抜くと、賊に向かって構えた。


「行くぞ」


 その声と同時に紫芳が飛び出す。繰り出される蹴りに倒れる男達、そしてその目をくぐって馬車に近づくものは慧英の剣に切りさかれた。


「なんてことはないな」


 慧英がそう呟いた時であった。低いうなり声が竹林の中から聞こえて来た。


「え!? 虎?」


 のそりと姿を現したそれに、紫芳は驚いた声を出した。ただの虎ではない。普通の二倍はありそうな体躯の虎が、何匹もそこにいた。鋭い牙を剥きだしにし、つかみかかられたらひとたまりもなさそうな爪を斜面に食い込ませている。


「……妖虎?」


 慧英が剣を握り治したところに、ピィーッと甲高い笛の音が聞こえた。


「紫芳、来るぞ。構えろ!」

「はいっ」


 紫芳の蹴りが妖虎の眉間に炸裂する、が。虎はなんでもないように首を振った。


「ちくしょうっ」

「紫芳、焦るな。一匹ずつ確実にやれ!」

「は……!」


 慧英はそう言いながら、虎の急所を狙い仕留めた。首の下、心臓を一気に狙う。どうっと倒れた仲間の姿に、妖虎達は後ずさりした。


「どうだ……これ以上近づいてみろ!」


 するとまたあの笛の音が聞こえて来た。怯んでいた虎たちがまたじりじりと間合いを詰めてくる。


「誰か……操っているものがいるのか」


 妖獣使いが山賊に? と慧英の頭の中に疑問が生じてくる。その時だった。絹を裂くような細い叫び声が響く。


「萌麗!」


 慧英が振り返ると、茨をものともせずに一匹の虎が馬車に前足をかけて揺すっていた。慧英はそれを見て懐に手をやった。


「赤の如意宝珠『熒惑』、この者どもを打ち払え!」


 その声に如意宝珠が輝き出す。


「ぐう……ぐるるるる」


 その光を見て妖虎達はうなりながら竹林へと姿を消していった。


「もう大丈夫だ、萌麗!」

「慧英様!」


 慧英が馬車に駆け寄ると、中から萌麗が飛び出してきた。慧英はしっかりと萌麗を抱き留めると、落ち着かせるよう低い声で繰り返した。


「もう大丈夫だ」

「はい……」


 そう答えながらも、萌麗の体は恐怖で細かく震えている。慧英はじっとそれが収まるのを待ちながら、山賊にしては妙な襲撃だったと振り返った。


「紫芳、何か残っているか」


 倒した男を調べていた紫芳に声をかけると、紫芳は首を振った。


「持ち物に特に特徴は……強いて言えば山に潜んでいた割には身ぎれいですし、統率が取れていたのが気になります」

「ふむ……」


 という事は自分達を狙って彼らは襲ってきたというのだろうか。


「天帝の怒りが怖くはないのか……?」


 そう考えて、慧英はちらりと嫌な考えが脳裏を過ぎった。


「まさか……狙いは萌麗か……しかし……」


 萌麗は自分をなんの力もない忘れられた公主だと言っていた。今さらになって命を狙うなど……考え憎いことではないか。


「……先に進むぞ、紫芳」

「あ、はい……」


 慧英は釈然としない気持ちを抱えながらも、すぐにこの場所を離れたほうがいいと判断した。


***


 一匹の鴉が皇宮で鳴いた。


「……そうか、失敗したか」

「どうかしたか、東方朔」


 執務室で急に呟いた東方朔に、皇太后は問いかけた。


「翠淳公主への刺客が失敗をしたようです」

「……そうか」

「追って刺客を送らねばですね」

「失敗したのならばもうよい」

「おや……宜しいので」


 東方朔は意外だ、とでも言いたそうに眉を持ち上げた。そんな彼に皇太后はため息交じりに答えた。


「あれでも先帝陛下の血を引くお子だ……妾は今でも陛下を愛しいている……生かしておけば政略結婚にだって使えるだろうし、無理をして命を狙うことは……」

「それは貴女の本心ですか?」

「東方朔……」

「貴女は彼女が憎くはないと……?」


 その東方朔の言葉に、皇太后の目がめらめらと嫉妬と怒りで染め上げられていく。


「……憎い! あの女が居なければ陛下の寵愛は妾のものだったのに……その娘の萌麗は……瓜二つに育って……」


 皇太后の長い爪が手のひらを突き破りそうに食い込んでいく。その姿を東方朔は満足そうな顔で見つめていた。


「でしょう……ですからもっと確実な方法を考えますよ。私にお任せください」


 俯き、憎悪に身を震わせる皇太后には東方朔の気味の悪い笑みは見えない。


「貴女は思い悩むことなど無いのです。貴女の憎しみ、貴女の罪は私が代わりに背負いますから……」

「東方朔……」


 その耳には、ただその男の甘美な言葉だけが届くばかりであった。

「それでは失礼いたします。諸々準備がございますので」

「ああ」


 そう言って執務室を出た東方朔は後ろ手に扉を閉めながらにんまりと笑った。


「そう……皇太后よ、もっと憎しみと罪を重ねるといい。それは私の糧となるのだから……」


 堪えきれぬ笑いを袖に隠して、東方朔は廊下の向こうへと去って行った。

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