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 八坂の一人娘である未央は、将来を期待され、いずれ、父のような立派な大人になるために、母より厳しくしつけられてきた。しかし、幼稚園児のころから手先の器用さや絵を描く才能を見せつけ、学生時代には数々の絵画コンクールに受賞し、両親は早々に、父と同じ道は歩めないと断念した。


 それならば、八坂の名に恥じない家に嫁がせたいと考えたのだろう。昔から親交のあった財前家との縁組の話が、本人たちの預かり知らぬところで進んでいた。


 文彦と婚約するように、と両親から言われたとき、切り絵作家の道が絶たれることは覚悟したが、未央はそれでもよかったのだ。


 父のようにはなれない自分が、両親をがっかりさせているのはわかっていたし、その上で、これまで切り絵作家としての活動を応援してくれた両親が認めた相手との結婚だ。強い抵抗はなかった。


 しかし、文彦が浮気したと知ったとき、両親の思いや自身の生き方まで否定されたような気分になった。文彦は背負うものの大きさが何もわかっていない。彼に対してこんなにも失望するとは思ってなかった。


 両親も破談は仕方ないと受け入れてくれたが、すぐにでも別の縁談を決めるつもりだっただろう。だから、清倉で切り絵の店をやりたいと言い出した未央に反対した。今でも、できることなら結婚して、東京で暮らしていてほしいと願っているだろう。


 公平がふたたび、切り雨を訪ねてきたのは、翌週の日曜日だった。


 未央は興味津々のしぐれを休憩に行かせると、公平を店内へ招き入れた。


「あれから、考えてくれましたか?」


 自然と惹きつけられるように、『天泣』の前へと歩み寄った公平は、深刻そうな顔つきで尋ねてきた。


 彼は去年、大学院を卒業した。今は財前不動産の本社に勤務している。兄の代わりに財前を継いでいく未来を描いていなかったであろう彼の肩にかかる重圧は、父のように立派にと期待されていた未央もわからないでもなかった。きっと、そばで支えてくれる人が必要だ。公平はその相手に、未央を選んだのだと思う。


「文彦さんが亡くなって、3回忌もまだですから」

「破談になってからは、ずいぶん経つよ」


 そろそろ、忘れてもいいころだろう。公平はそう思っているみたいだ。


「気持ちの整理をするには、まだ足りないんです」


 そう言うと、公平は情けなさそうに眉をさげる。


「兄さんが生きてたら、やり直してたかもしれない?」

「……わからないです」


 幸せに過ごした日々を取り戻したい。そう言ったのは、夢に出てきた文彦だった。あれは、未央の願望が見せたものかもしれないが、それすらあやふやだ。


「あの日、兄さんが俺に何を伝えたかったんだろうって、ずっと考えてるよ」


 天泣に描かれた三人の子どもたちを見つめ、公平は息をつく。


「答えは出ましたか?」


 答えのないものに答えを見つけるのは苦しいだろう。結局のところ、自身の願望を認めるだけの作業だ。


「兄さんは未央さんとやり直すつもりだったと思う。あの事故の何日か前に、俺、兄さんに言ったんだ。俺が未央さんと結婚するから、兄さんがどれだけ復縁を望んでも無駄だって」

「文彦さんは、なんて?」

「黙ってた」

「そうですか」

「兄さんは昔から、気に入らないと黙り込む人だったから、俺と未央さんの結婚は認めたくなかったんだと思う」


 公平はこちらを振り返ると、ゆっくりと深く頭をさげる。


「未央さんから兄さんを奪って、申し訳なかった」


 震える公平の黒髪に、未央はそっと手を伸ばす。


 苦しいのは彼も同じだ。大切な人を失った。文彦が生きていたら、三人で過ごせた未来は必ずあったのに。


「泣いてもいいんですよ」


 彼はぴくりと肩を震わせる。


「ずっと泣いてないんですよね? お葬式でも、気丈に振る舞ってましたから」


 そう言うと、公平は目もとをこすり、顔をあげた。わずかに潤み、赤くなる目には、気丈な力強さがある。これから財前を背負う男に、涙は似合わないとわかっているのだろう。


「泣きませんよ、俺は」


 公平の決意を受け止めるように未央はそっとうなずいて、天泣の額縁に触れる。


「どうか、天泣をもらってやってくれませんか?」

「いいんですか?」

「はい。公平さんの代わりに、この作品が泣いてくれますから」


 そう言うと、公平はまばたきをした。


「俺の代わりに泣く……?」

「妙なことを言って、気を悪くなさらないでくださいね」

「ならないですよ。むしろ、兄さんと未央さんが、俺をずっと見守ってくれてるような作品だって感じてたんです」

「そう思ってくださいますか?」


 にっこりすると、公平もようやく固い表情を崩し、尋ねてくる。


「気になってたんですが、女の子と手をつないでる男の子は、兄さん? それとも、俺?」

「それは、見る人が決めるものですから」

「それじゃあ、俺ってことにしておきます」


 彼は自信満々にそう言うと、未央がよく知る無邪気な笑顔で笑った。





【第四話 天泣 完】

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