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「いま、清倉の駅に着いたので、直接うかがいます」


 朝晴から、そう電話がかかってきたのは、切り雨の閉店後、しぐれが帰っていった直後だった。


 どうやら、東京から戻ってきたばかりのところで電話をくれたようだ。今日もまた、西島誠道に会いに行ったのだろうか。やたらと未央の作品づくりに興味を持つのは、展覧会への出品をくどくように誠道から言われているからかもしれない。いや、朝晴のことだから、彼が勝手にやる気になってる可能性もある。


 以前、清倉中学校での夏祭りに参加しないかと誘われたときもそうだったが、朝晴はなかなか粘り強い。いいと言うまで、いつまでも勧誘を続けるだろう。だからきっと、電話口の彼の声が、ちょっとだけ営業マンのようだった。


 店舗とアトリエを仕切るのれんをくぐり、アトリエに灯りをつける。朝晴は作業しているところを見たいと言っていたが、製作中の作品はまだ、デザインを考えている最中だ。彼が見たいのは、切り出している作業だろう。


「たしか、作りかけのものがあったはず」


 未央はひとりごとをつぶやいて、壁際にある収納棚を開く。


 商品にはならないと思って、途中で放置した図案を捨てずにいくつか取ってある。手ごろなデザインはないかと探していると、裏口の方で車のエンジン音がした。


 朝晴が来たのだろう。アトリエから出て、裏口へ向かう途中で、ドアをノックする音がした。裏口にはチャイムがない。訪問や配達は基本的に切り雨の営業時間内にお願いしていて、裏口から訪ねてくる人はほとんどいないからだ。


「こんばんは、井沢です」


 やはり、朝晴だ。


「はい。いま、開けますね」


 未央はすぐに裏口の鍵を開け、ドアを開く。優しげな笑顔を見せる朝晴の後ろの空はすっかり暗くなっている。


「遅くなりました」

「いいえ、大丈夫ですよ。ちょうどいま、何か作れないか探していたんです」

「わざわざ、ありがとうございます。それでは、おじゃまさせてもらいます」


 しぐれを迎えに来るときとは違う律儀な雰囲気で頭をさげる朝晴を、未央はアトリエへと案内する。


「特別なものは何もないんですよ。紙とカッターだけ」

「紙は特別なものですよね?」

「そうでもないんですよ。文具屋さんで買えるようなものなんです」


 作業台にある黒の色上質紙を見せると、朝晴はそっと指で触れる。


「へえ、意外だったな。しかし、ずいぶん薄いですね」


 感心しながら眺める彼を微笑ましく思いながら、ふたたび、収納棚をのぞき込む。


「あまり時間のかからないもので、何か作りますね」

「それは楽しみだな。急にお願いしたのに申し訳ないです」

「ちょっとだけ待ってくださいね。下書きしてあるものをまとめて……あ、ありました」


 大きめの箱を棚の一番上に見つける。脚立を運んでくると二段のぼって、箱を下ろし、作業台に戻る。


「好きなお花とかあります?」

「俺? そうだなぁ」


 朝晴はしばらく沈黙したあと、未央の顔をのぞき込んで言う。


「月見草、ですかね」

「夜に咲く?」


 彼がその花を選ぶとは思ってなくて、少々驚く。どちらかというと、儚い花より、ひまわりのような元気なイメージのある花が好きだと思っていた。


「花言葉が無言の愛ですから」

「花言葉?」


 らしくない言葉が彼の口から出てきた気がして、首をかしげてしまう。


「俺、意外と一途なんですよ」


 ひかえめで清く、一途な愛情を表す花言葉を持つ月見草。その花が好きだという彼は、無言で愛を貫いてきたと訴えたのだろうか。


 そして、それを明らかにしたのは、愛する人に無言の愛を貫くのはやめたから……。そう考えて、未央は思わず、目を伏せる。朝晴は自分に好意を持っている。しぐれがそう言ったのを思い出して、動揺してしまった。


 箱を開ける。


 月見草はデザインしたことがないかもしれない。しかし、朝晴との沈黙が落ち着かなくて、無意味に箱の中の紙をめくる。


「うそだと思ってます?」


 茶化すように尋ねてくる彼へと、目を移す。


「あ……、いえ」

「しぐれが余計なこと言ってるんじゃないですか?」

「そんなことは……」


 図星に驚いて、あわてて首を振るが、朝晴の目は次第に真剣味を帯びていく。


「俺は、女性に対して不誠実じゃないですよ」


 釘を指すように言うから、文彦とは違うんだとアピールされたような気持ちになる。


「ほんとうに、何も。ただ、井沢さんはイベントコーディネーターとして有能で、人望がおありになるとだけ、しぐれちゃんからは聞いてます」

「ずいぶん、しぐれもいい言い方をしてるんですね。モテていたのは否定しませんし、結婚まで考えた女性はいませんでしたけどね、浮気するような不誠実な態度を取ったことはないですよ」

「一途な恋をいくつもされたとおっしゃってるんですか?」


 少しあきれたように言うと、彼は息を漏らして笑う。


「浮気する男の気持ちなんてわからないけど、未央さんのせいじゃないことだけはわかりますよ」


 文彦のことで悩む必要はないと言ってくれたのだろう。


「そうでしょうか……」


 未央はぽつりとつぶやく。


 文彦の浮気を怒った公平も、悪いのは兄とあの女だけだと言ってくれた。しかし、その言葉でなぐさめられたことはあまりない。ふと気づくと、どうすれば、文彦と幸せな結婚ができたのだろうと考えている。


「そうですよ。未央さんは婚約がわずらわしかったんだろうと言いましたが、そんなのはただの言い訳ですよ。結婚すると決めたなら、心を揺るがさないのは当然です」

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