御懐妊
戸沢 一平
第1話 和睦
戦国時代が続いている。
室町幕府の統制は既に有名無実と化して綻び、その権威は消滅していた。
この国の新たな支配者は誰になるのか。我こそはと天下人を目指す者、その有力者に取り入ることを考える者、この機に乗じて支配地域の拡大を目論む者、はたまた、一族の生き残りに命運をかける者などが各地で蠢き、凌ぎを削り、そして戦っていた。
この時期、ここ東北の出羽の地では、最上川を挟んで白鳥十郎長久(しろとりじゅうろうちょうきゅう)と最上義光(もがみよしあき)が対峙している。
白鳥氏は最上川中流域の西岸を拠点にして宮下や白鳥に城を構えて勢力を伸ばして来た。長久の代になると更に南の谷地(やち)に進出する。谷地は藤原氏の一族の中条氏が支配していたが後継が絶えたことで長久に禅譲した。長久は谷地城を築き最上川中流域の西をほぼ勢力圏に収めると、その地盤を固めつつ京を中心とした天下の情勢を伺って動く時を探っていた。
一方の最上氏は山形に拠点を置き最上川の東部に分属を配置して勢力を伸ばして来た。義光は弟を後継にしようとした父の義守を追い落として最上の実権を握るが、義守に与する天童氏などの一族諸侯と度々争いを起こしていた。義光は卑怯な謀略を用いるという噂が広まるように戦でも正攻法ではなく策略を駆使する戦いに長けており、更に人並み以上に野望も大きかった。
長久は義光の娘を正妻に迎えており両家は表向き良好な関係を保っていたが、出羽の覇権を巡ってはお互いに一歩も引かない構えである。
鳶が二羽大きく弧を描きながら飛んでいた。灰色の雲が低く空を覆っている。北国の冬は早い。立冬を迎えるのはまだ先であったが、出羽谷地城に吹き付ける北風はまさしく冬そのものだ。
「殿、そろそろおいでくだされ。さすがに使者がイラついて来ています」
「どうせ和睦仲介の頼みだろう。待たせておけ」
「既に十分に待たせております。何をなされておいでですか」
「着物が決まらない」
「相手は武将でも公家でもありません。天童殿の使者に過ぎません。どのようなものでも良いではありませんか。悩むことではないでしょう」
「武士は見立てが全て。そいつが城に帰って天童頼貞(てんどうよりさだ)に報告したら白鳥の殿様はどのような格好だったかと聞かれるだろう。いかにも勇猛果敢な武将らしい見事な衣装を身に纏っていましたと言わせねばならない」
「であれば鎧でも着けられますか」
「平時と戦さ場の違いも判らぬ戯けと思われる。茶でも出しておけ」
「もう何十杯も出しています。厠に三度も行きました」
白鳥長久が使者の待つ客間に出て来た。
「待たせたな。この白鳥十郎長久に天童が何の用だ」
「ご承知のとおり、我ら天童八盾の各大名は結束して最上勢の侵攻に対抗し戦っておりますが、冬を前に膠着状態に陥っております。このままではお互いの消耗甚だしく・・」
「結論を早く申せ。こう見えても忙しいのだ」
「はは、最上とは縁戚でありながら距離を保っておられる白鳥公に和睦仲介の労をお取りいただけないかというのが天童側各諸公の総意にして・・」
「天童の条件は何だ」
「最上が和睦に応じれば天童が占領している最上領は返納しても良いということ」
「何だ、それは。その程度では来春雪解けと同時に又最上が侵攻するぞ」
「しかし、これでも我らとしては最大限の譲歩、これ以上は無理です」
「まるで負けている方の言い草だな。状況としては天童側が最上を押し返しているのだろうが。違うか」
「確かにそうではありますが・・」
「そのような考えだから足元を見られる。暴虐非道にして智謀に長けた最上義光公に常識は通用しないぞ」
「それでは、どうすれば・・」
「わしは常識人だ。決して無理な事は言わない。天童も最上も受け入れ可能な策を提案しよう。心して聞け」
「はい・・」
「天童としてはもう最上と戦などしたくないだろう。今回の最上の侵攻もいい迷惑だ。であれば、領地のことなどはどうでも良い。もう最上が天童やその周辺に戦を仕掛けないようにする方策をとるべきであろう」
「い、如何にも」
長久が上体を前に倒し使者を見据えた。
「頼貞公には姫がおられたな」
使者がハッとして体を固くした。
「な、何と、姫様を最上に差し出せと仰か」
「嫁に出すだけだろう。めでたい話ではないか。差し出すと言えばそうだが」
「しかし、それでは、あまりに姫様が哀れ・・」
「今の天童が断れる立場か」
白鳥家の家老和田六郎左衛門(わだろくろうざえもん)が使者として最上義光の居城である霞ヶ城に向かった。
謁見の間に通されると義光と家臣の氏家守棟(うじいえもりむね)が待っていた。
「布は達者でおるか」
布姫は長久に嫁いだ義光の娘である。
「はい、奥方様には本日もご機嫌麗しく、お父上である義光公によろしくお伝えくだされとのことでございます」
「ふん、そのような事を言う娘で無いことはこの父であるわしがよく知っている。憎まれ口で皮肉でも言ったのだろう。まあ良い。天童が和睦を申し入れたということか」
「左様でございます」
「条件は何だ」
「天童頼貞公の姫君を最上家へ輿入れさせること」
義光と守棟が顔を見合わせた。
「天童は承知なのか」
「承知していなければ拙者はここに来ていません」
守棟が義光に顔を向けた。
「殿、どうやら天童は本気のようですな」
義光が頷くと守棟が六郎左衛門を見た。
「今天童が占領している最上領はどうするつもりか」
「勿論そのままです」
「和睦するのであれば最上に返すのが筋ではないか」
「天童は姫を差し出すのです。充分に筋を通しています」
「元々が最上領である。そこは返していただく」
「元々とはどの時分の話ですかな。一昔前というなら天童領になりますぞ」
「領地の帰属は大名にとっては大事なこと。我らは和睦を断る事も出来る立場ですぞ」
「出来ますが、断ればどうなるかも充分にお考えの上でお決めくだされ」
「どういう意味ですかな」
「周囲の諸侯の動きを見ておられるのかという意味です」
守棟が無言で六郎左衛門を見据えた。六郎左衛門が視線をゆっくりと守棟から義光に移した。
「北の武藤、南の上山に伊達は最上と天童の戦況を見据えつつ戦の準備を着々と整えつつあります。最上と天童がこのまま戦を続けて疲弊していけば、機を見て動き出すのは必至。今は天童よりも最上にとって和睦が必要な時ではないのですかな」
義光が守棟を見た。守棟が頷いた。
和睦が成った。
「ご苦労であった。さすがは六郎左衛門だ。領地返納まで食い止めるとは、交渉ごとでは其方の右に出る者はいない」
「天童が姫を差し出すことを了承したことで和睦はほぼ決まりでした。その意味では殿の功績こそが甚大です」
「大名の間で戦を避けるのは縁戚となることが何よりだ。よほどの事がない限り戦は起こらない。今の白鳥と最上の関係があるのもわしが最上から布を娶ったことによるものだ。常識のある者同士ではそうなる」
「しかし常識のある者が天下を取ることも、また難しいでしょうなぁ」
「確かに」
長久がゆっくりと頷いた。
「ところで、武藤や上山、更に伊達までが戦の準備をしているとは初耳だな。何故わしに言わなかった」
「そのような話は無いからです」
「おいおい、でまかせか」
「あながち、でまかせでもないでしょう。どのような大名でも常に戦の準備をしているものです」
「やはり、交渉ごとは其方に限る」
「お褒めに預かり恐悦至極。ところで今回の交渉にて感じましたが、最上の中では氏家守棟殿の存在が大きいようです」
「そうか。父親の氏家貞直(うじいえさだなお)は最上を仕切った名家老としての評価が高い。その血筋を引いているのか」
「貞直殿は拙者も存じ上げておりますが中々の人物。しかし、その息子の守棟殿には違う雰囲気を感じました」
「ほう、どのような雰囲気だ」
「いわゆる世間が抱いている義光公に対する評価。つまり、冷酷にして策士」
「なるほど。御義父上の陰に守棟ありか」
「おそらくは」
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