▼第四十二話「メンネフェル大神殿・地下宝物庫 ラーの秘宝奪取大作戦」メンネフェル大神殿編①
腹ごしらえをしたアヌビスたちは、とげとげしい気持ちも落ち着いた。何事も、空腹時や疲労が溜まっているときには苛々してしまうものだ。ディラはそういった機微をじつによく心得ていた。怪盗は人の心理を理解していなければ務まらない。子供たちは焚火を囲みながらディラの話に耳を傾けた。
「なあ、世界一の警備体制に守られている秘宝って、いったいなんなんだ?」とアヌビスが肉を頬張りながら訊ねた。
「それはだな」とディラが腰元のポーチ・
「めちゃめちゃ手ぇ込んでるやんっ!!」レンシュドラはたまらずつっこんだ。
この紙束は、いまここで子供たちに見せる機会がなければ、永久に陽の目を浴びることがなかったであろう。そのわりに、ずいぶんと芝居がかった計画書類である。ディラは、怪盗という稼業のなかでも、とくに危険な場所(肉体的にも政治的にも)に首を突っ込んでいくため、徹底的に自身の存在の香りを消していた。ゆえに、友人はおろか、知人さえもほとんどいない。いるのは、ビジネスの関係者、信用できるプロの一握りだけである。にもかかわらず、誰に見せるためでもない、自分だけのためにこういうものをつくってしまうのがディラという女である。
しかし、そのおかしみのあるディラの顔から、パピルスの表紙へと視線を移した瞬間、アヌビスとレンシュドラ以外の全員が、あんぐりと口を開けて震わせた。
「メンネフェル大神殿・地下宝物庫 ラーの秘宝奪取大作戦!!」と、でかでかと丸い少女文字チックなヒエログリフで書いてあるではないか。ディラは無機質で冷たい黒曜石の仮面とは裏腹に、口元はにやけるのを抑え、鼻の穴はうれしさに膨らんでいる。
誰もが、わが目を疑った。じつにとんでもないことが書いてある。メンネフェル大神殿とは、その名の通り、メンネフェルにある最も権威ある大神殿である。広大な
「なあ、ボク読めへんのやけど、誰か教えてえな」レンシュドラはテーベ国の南部、ヌビアとの国境にある部族の生まれで、字が読めなかった。もっとも、字の読める方が異質な時代である。マスダルのやんごとなき良血の英才たちだからこそ、理解できるのだ。
「俺もあんまし読めねえや」アヌビスも孤児ゆえに教育を受けていない。難しい単語はわからなかった。「メンネフェル……? なあ、メンネフェルに行くのか?」
「メンネフェル大神殿よっ!!」とインプトが叫んだ。気丈な少女もさすがに動揺は隠せない。アヌビスは肉を食べる手を止めた。「参った……。そりゃたしかに世界一レベルの警備体制だ」
ディラは構わずにパピルスを一枚めくった。相変わらず顔の下半分が嬉しそうである。そのパピルスには、大神殿の外観が描いてあった。ウルのジッグラトによく似た、切った石を積んでつくられた、超巨大建造物である。二層構造になっていて、底面が六十メートル×四十メートル、高さ十五メートルの立方体が第一層で、そのうえに高さ五メートルの立方体が帽子のように載っている。その第一層を登るための超巨大階段まで、ふたつも建設されていた。階段のスケールだけでも、一見の価値があるだろう、とアヌビスはわくわくして手を握り締めた。なにせ、あわせて高さ二十メートル、超高層建築である。現代で言うところのビル八階の高さであり、足を踏み外しでもしたら、十分に死ねる高さだった。まして、幅六十メートルである。その存在感たるや、いかほどだろう、とアヌビスはごくりと唾を飲み込んだ。アヌビスは好奇心が強い反面、そこにあるリスクを忘れてしまう性質だった。
「うまく描けてると思わないか? 私の絵のセンスを褒め称えても構わんぞ」
「はいはいうまいうまい」とアヌビスは聞き流しながら、想像の翼を広げた。心の目でその大神殿を心ゆくままに楽しんでいる。
「おい、そのような態度だと、もう見せぬぞ!」ディラは怒ってパピルスを丸めた。
「あっわりいわりい、でもほんとによく描けてるよ。俺なんか夢中になっちゃったもん」
「こほん。そういうことなら見せてやらぬでもない」ディラは頬を赤らめた。アヌビスは計算抜きにこういうことを言う。
ディラはそのパピルスを上にずらして、下の紙と繋げてみなに見せた。それは二枚で一枚の絵図をなしていた。なんと、さきほどの大神殿の第二層から、ずうううううっと下りに下ったり百メートルの地下に、その宝物庫が描かれているではないか。そしてその宝物庫のわきに描かれた、魔獣の絵と小屋の絵、そして水源の絵が、アヌビスのロマンをかきたてる。いったい、どんな光景だろうか……。また、第一層のわきに風車が描かれており、その風車によって、地下の水源から取水しているようだった。
それにしても、書いてあることが物騒である。字が読める三人は、さすがに色をなくしていた。
「みんな黙っとらんと、ボクにも教えてえな」
「知らん方が幸せなこともあるぞ」とウプウアウトが言った。
「もったいぶらんと、さっさと教えんかぁい!!」
はあ、とウプウアウトがため息をつきながらその内容を語った。
ひとつ、第一層、第二層ともに構造物の上部に弓兵が配置されていて、その数、二百人。
ふたつ、さらに大神殿の周囲には二つの兵幕があり、千人の精兵が控えている。
みっつ、さらにさらにその周囲を百人の兵士と犬が見回りを常時している。
よっつ、もちろん入り口には検問が置かれていて、詰問と身分照会なしには入れない。
いつつ、宝物庫は地下百メートルにあり、そこには神殿の第二層から下っていくしかない。
むっつ、神殿内はもちろんのこと、神殿周囲、宝物庫周囲、また宝物庫付近の地中まで監視の目が及んでいる。
ななつ、宝物庫へと続く階段の部屋までに三枚の扉があり、魔法で認証された者でないと開かない。
やっつ、宝物庫の前には第八位階の魔獣がいる。
ここのつ、宝物庫を開けるには、魔法による通話で音声の確認が必要。
とおつ、宝物庫の扉は、オーラを事前に登録しておかなければならず、認証されなければ開かない。
十一、万が一不審な動きがあれば、地下百メートルに魔獣と共に閉じ込められる。
十二、作戦当日はセトが大神殿にいる。
「あ、あかんやんけ……」レンシュドラも顔が真っ青になった。
「こんなの、どうしようもないよ……」とメジェドが言った。内気で弱気な彼にとっては、恐ろし過ぎる場所である。
そこでアヌビスが、底抜けに明るい声で言った。
「す、すげええええッッ!!!! この世にこんなワクワクするものがあったんかあ!!!!」
「え、アヌビス?」とインプトが引きつった声で聞いた。「まさか乗り気なの?」
「だってよ、こんなすっごい場所があるなんて、信じられるか!? 逆に、行ってみたくねえのかよ!?」アヌビスの目はきらきらと輝いていた。目に、「行く」と書いてある。
「あんたつい数時間前までサラマンダの火で死にかけてたくせに、どういう神経してんの??」
「行かなくてディラに殺されるくらいなら、一か八か賭けてみようぜ!!!!」とアヌビスは言った。「俺、賭けには強いんだ」
「そうだそうだ、行かなくて死ぬより、行って死んだようがマシだ~」と芝居じみた声でディラが言った。いやお前が言うな、とアヌビスがつっこんだ。
「生けとし生けるもの、すべてはみなどうせいつかは死ぬんだ。だったら、俺は納得できる死に方がいい」
(つづく)
▼主要登場人物一覧
・アヌビス……父・母に会うため、また、生き延びるために修練する十二歳の少年。絶世の美形。第二位階。魔炎を飼い慣らす。
・ラー……アヌビスの祖父。思念体としてアヌビスを導く。古今唯一の第十位階。いずれ起こる終末戦争を防ぐために奔走。赤髪。
・ホルス(第一宮)……父オシリスの復讐のために生きる美少年。冷酷。ラーの孫であり、アヌビスの近親。十二歳。黒髪。
・ウプウアウト(第二宮)…黒髪おさげの美少年。警戒心が強く、いつも張り詰めている。十四歳。十年前のトラウマにより、炎が怖い。
・セベク(第三宮)……ホルスに仕える大柄な少年。高位貴族。十四歳。水の武功。
・セシャト(第四宮)……首から下がヒョウ柄の着ぐるみ。栗色の髪の毛をボブにしていて眼鏡をかけている。おっちょこちょい。掌法。
・マフベト(第五宮)……首から下が虎柄の着ぐるみ。浅黒い肌に金髪ツインテール。紙巻き薬草とスキットル缶に入った薬液をたしなむ。短剣。
・レンシュドラ(第六宮)……全身刺青少年。耳にピアス。部族のアライバルが全身に入っている。南方の国境出身。南部弁の十二歳。鍛地錬兵功。
・インプト(第七宮)……没落した家門の黒髪美少女。十四歳。毒功の使い手。借金に頭を悩ませている。自由を勝ち取るために生きる。
・メルト(第八宮)……アヌビスと双璧を為す美形。男顔。青とショッキングピンクのツートンカラー。眉に二つ、下唇中央に一つピアスが開いている。音功。
・ハピ(第九宮)……ハウランと同じくらいの背丈。狒々の耳を持つ。巨躯。大食漢。
・ドゥアムトゥエフ(第十宮)……無口。感情を顔に出さない。射手。
・ハトホル(第十一宮)……魔性の女。十五歳にして女性として完成している。霧の魔術を使う。
・メジェド(第十二宮)……ピンク色の長髪。中性的美少年。内気で弱気。自信がなさげ。死んだ兄にコンプレックスを持つ。射手。
・ハウラン……【龍炎獅牙】第七位階の将軍。豪放磊落。体も声もでかい。自称賭博師。弟子にホルスとアヌビスがいる。
・レシェプ……【閃剣雷華】第六位階の剣士。紫色の長髪。長身。美形。
・ソプドゥ……【天弓剣翼】第七位階。黒髪。美少年のような見た目。いい大人。
・バナデジェド……【地烈黒羊】第六位階。頭から羊の角が生えている。レンシュドラが弟子入りを希望した際、金を要求する。
・ネフェブカウ……【万毒双蛇】第六位階。禿頭の老人。毒の達人。生きた蛇を肩に巻いている。
・メフルベテク……【裁剣論鬼】第七位階の達人。臍まである白い髭が特徴。剣のひと振りで超巨大砂嵐を割る男。
・セルケト……青髪の美女医。妖艶。
・ニンエガラ……【氷瀑凍花】マスダルの学長。第七位階。顔の上半分を赤い仮面で隠している妙齢の麗人。サディスト。
・ジェフティ……マスダルの特別理事長。オシリスの次のテーベ王。鳥の着ぐるみを着ている。
・ディラ……【透侵怪盗】第六位階。透侵幻功。大泥棒。黒曜石の黒い仮面、薄い黄緑色のショートカット、耳に大量のピアス。美女。二十歳くらい。
・オシリス……ホルスの父。テーベの先王。セトの謀略によって死す。
・セト……メンネフェルの王。戦場でアヌビスを見つけ、呪い殺そうとする。動機は不明。
・イシュタル……アヌビスの母。美と戦の女神。アヌビスの力を封印して捨てた。動機はいまだ不明。
・マスダル……王立戦神学院。テーベの最高養育機関。
・蒼流……ナイル川流域一帯を指す言葉。
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