▼第四十話「剣と交渉」




 アヌビスに抱かれた魔炎は、アヌビスのハートに語り掛けた。


(この先も! ずっと、ずっと、一緒に! いっぱい、遊びたい!)


 アヌビスはこの申し出を、微笑ましく思った。


(なんだ、そんなことか! もちろんだ、俺と来たいなら、一緒に来い!! お前に、たくさんの面白い景色、見せてやるよ!!)


 炎はあられもなく喜んだ。ぴょんぴょんと飛び跳ねて舞い上がったのち、魔炎の核が、チャクラから飛び出して、アヌビスの胸に飛び込んでいった。

 するとたちまち、世界そのものとの一体感がアヌビスの胸から満ち溢れ、痺れにも似た快い感覚が全身に広がっていった。脳のはじまで全開になったような、そんな明晰感までがもたらされた。あとはすべてのやり方が、じねんとわかった。アヌビスは「形あれ」と念じた。そしてチャクラが光の粒子に変わり、すべてが霧散して消え、そして、光の霧の中から新しいチャクラが醸成されていった。形が完成するとともに、それはまた光を放った。


 第六位階の魔炎を第二位階の身体が受け入れるのは、到底無理があった。その無理を押し通すには、魔炎の勢いを弱め、分化し、アヌビスのチャクラに滋養として与え、補給し、強く鍛えなければならなかった。魔炎自体の協力が不可欠であったが、アヌビスは見事に協調し、それらを見事にやってのけた。アヌビスの精神力は魔炎の猛威を受けながらも闊達と働き、むしろ力を飲み込むそばから活用する器用ささえ見せた。


 光が収まると、アヌビスのチャクラの全容が明らかになった。アヌビスの第一のチャクラは、第六位階の魔炎を外部から飲み込み、吸収し、同化した結果、赤い龍の鱗のような材質に変わり、より大きく、より強靭に、より高純度に、作り替えられたのだ。

 

 そして、心火に新たな炎が宿った。魔炎「赤竜炎せきりょうえん」である。神炎錬魄訣の心火を除いて最も格の高い魔炎を、十二歳かつ第二位階ながら、アヌビスは身に付けたのである。こうしてアヌビスの内功は二十年ぶんにまで達し、修為も第二位階六成にまで跳ね上がった。余談だが、石竜せきりょうは蜥蜴を指す。


「なんと、魔炎を吸収しただと!?」と外部で驚いたのはラーだった。アヌビスの腹部の痣が光を放ちだしたのだ。たかが第二位階程度で、そんなことが可能だとは、夢にも思わなかった。急に飛び出したアヌビスに、あの炎を用いて、神炎錬魄訣を精錬することをさせようと思っただけで、よもや、魔炎がアヌビスの腹に収まろうとは、予想だにしていなかった。


 そしてアヌビスは目を覚ました。身体を起こすと、腹部に痛みの名残がある。全身に軽い火傷もあり、これらも皮膚に熱い痛みをもたらした。顔をしかめながら辺りを見回して状況を確認すると、アヌビスは心臓の止まる思いがした。全員気を失っていて、レンシュドラやインプトは、生きているかさえわからない。


「アヌビス、よく聞け。祠の奥に盗賊がいる。その女がメジェドとウプウアウトを昏倒させた」

「畜生ッ!」

「死んだふりをしていろ! 奴が帰るまでやり過ごせ!」

「そんなことしているあいだに、あいつら死んじまうよ!」


 アヌビスは立ち上がってインプトの傍に駆け寄った。インプトは右の胸から鍾乳石が飛び出ていて、アヌビスはパニックに陥った。ど、ど、ど、どうしよう! と言いながら、あたふたとその場で足踏みし、きょろきょろと無意味にあちこちを見回し、手をばたばたと振った。


「なんだお前、生きていたのか」と背後から声が聞こえたので、アヌビスの心臓はびくんと跳ね上がった。アヌビスは声の方を振り返った。そこにはぴたっと肌に張り付く黒い衣服に身を包んだ、黒曜石の仮面をつけた女が、宝箱を小脇に抱えて立っていた。

「お前がやったのか!」

「まあ、半分はな。もう半分はあのバカでかい蜥蜴の仕業だよ」

「なんてことを!」とアヌビスの肩から再び炎が吹き上がった。

「しかし、あらためて見ると、美しい顔をしているな」とディラは言った。アヌビスがどれほど怒ろうと、まったく脅威ではないからこその余裕である。「せっかく助かった命だ、むざむざ捨てるのも勿体なかろう。お前は殺さずにおいてやる、去ね」

「宝をどうするつもりだ!?」とアヌビスは食い下がった。よせ、とラーが怒鳴るが、もちろん聞いていない。

「この宝は、先に私が目を付けていたのだ。そして、この場で私が一番強い。どういうことかわかるだろう?」

「仲間たちが血で勝ち取ったものを、みすみす渡すわけにはいかない!」

「残念だな。ならばお前も殺すとしよう」


 ディラは宝箱を小脇に抱えたまま、すっと姿を消した。彼女の武功は、身体を透明にし、気配や足音すらもない。そして一瞬ののちに、背後から凶悪な気を感じた。それは確実たる死の予感のようなもので、アヌビスの心臓を冷たい矢が貫くような、そんな感覚が走り、アヌビスは咄嗟に剣を背中に振った。はたしてアヌビスの剣はディラの忍び寄る一撃を捉え、迎撃する形で命中した。しかし、第二位階と第六位階では力が違い過ぎる。アヌビスは剣を防ぎきれず身体ごと弾き飛ばされ、地底湖に勢いよく着水し、大きな水しぶきを上げた。


 ディラは自分の一撃をまさか子供に止められるとはつゆとも思っておらず、意外だとばかりに固まっていた。これまでその武功を、同位階以下に気取られることは絶えてなかった。


「待ってくれ!」とアヌビスが地底湖から這い上がりながら言った。「交渉しよう! お互いに納得できる形を探らないか!」

「はははは! 馬鹿なやつめ、なぜ私がそんなことをする必要がある?」


 ディラは再び姿を消した。今度は、本気で行く——。ディラの武功、透侵幻功とうしんげんこうは、派手な威力こそないが、確実に敵の命を仕留めることに特化した武功である。まして、いくら威力が控えめだとしても、たかだか第二位階などは物の数に入らない。ディラは本気でアヌビスの頸動脈を狙った。が、ディラが襲い掛かる直前、アヌビスの身体から広範囲に魔炎が吹き上がった。それはディラの身体をじりじりと焼いた。修為の差が大きすぎるため、大したダメージにはならないものの、その炎が一種、センサーの役割を果たしたことで、アヌビスはこの攻撃を察知し、身体を引いてかわした。攻防一体の妙手である。ちいっとディラは舌打ちしながら第二撃を繰り出す。それは死の嵐のような勢いを持ってアヌビスの急所に吸い込まれてゆく。だがまたしてもアヌビスは機転を利かせ、難を逃れた。アヌビスの目と勘のよさは、ラーの折り紙付きである。


(……この私が、みたび攻撃を失敗したことが、かつてあっただろうか?)


 ディラは自分の腕が落ちてしまったのかと、疑問に思った。だがそれは違う。アヌビスの神経が異常なのだ。


「聞いてくれ! なにか、俺たちに出来ることはないか? 取引したいんだ!」


 まったく異なことを、とディラは取り合うつもりもなく、次の一撃をどうするか考え始めた。だが、水に濡れたアヌビスの姿をじっと見て、何かを閃いた。こいつはまるで女みたいなやつだな。そして、ほかの子供たちの顔も頭の中で思い浮かべ、あれこれと考えている。やがて、仮面の下のぷるんと潤う口元が、にやりとした。


「ちょうどかねてから懸案の件があってね。お前たちならそれを解決できるかもしれない。だが、お前は何を要求する?」

「仲間の命を助けてくれ。そして、金をほんの少しばかり分けてほしい。必要なんだ」

「いいだろう。だが、宝は私がもらう。そのかわり、お前たちには火吹き蜥蜴の素材をすべてやろう。私はきれいなものだけあればいい」火吹き蜥蜴の心臓や牙や爪は、売ればいい金になる。だが、手を汚し、手間をかけてまでそれらを金にする気はディラにはなかった。ディラは美しいものにしか興味がない。アヌビスを生かしてやろうと思ったのも、ひとつはこの美しさを至上とする価値観からかもしれない。

「俺たちは何をすればいい?」

「説明はあとだ。お前たちが使えるとなれば、死なせるわけにはいかないからな。せいぜい私の役に立て」


(つづく)

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転生のアヌビス~厄病神は至尊の末裔~ 橋村一真 @kazuma_hashimura

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