第50話


 神託の間というその神聖なる響き故に、神殿内でも抜きん出て豪勢で華美な装飾でも施されているのかと思いきや、案内された部屋は一点の曇りなき白が広がっていた。

 円形状の部屋は想像していたよりもこぢんまりとしていた。

 ラナベルの部屋よりも一回りは小さく思える。

 けれど、その名の通りの足を踏み入れることを躊躇う清らかな空気の漂う空間だ。

 大理石の床に響く靴音すら、この空間の清廉さを飾る一つに聞こえる。


「ここが神託の間か……」


 レイシアの呟きに、ラナベルも同じような感嘆とした気持ちでキョロキョロと見渡した。


(石像だけ……?)


 白い大理石の床が広がる部屋には、中央に置かれた人物の石像だけだった。


「この石像は神々の依り代になるという聖物です。この石像に祈りを捧げてください」


 運が良ければ答えてくれる。そう締めくくったシュティは、これ以上言うことはないとばかりに静かに壁に寄り添った。

 ちらりと隣のレイシアを見ると、目が合った彼の力強い頷きに後押しされてラナベルはおずおずと前に出る。

 そうして台座にたつ石像を見上げた。


 ゆとりのある裾の長い服や、大きく弧を描いた髪。石像は男か女か判別のつかない中性的な容姿だった。

 真っ白で滑らかなその姿は、照明を照り返して後光が差しているような眩しさを覚える。

 思わず尻込みしそうになる心をぐっと抑え、ラナベルはその場で両膝をついて頭を垂れる。

 そっと両手を組んで、心の内で神へ向けて語りかけた。


(インゴール様、どうかお応えください)


 一度言葉を切り、ラナベルはふと考える。


 ――なにを訊くべきだろう。


 権能を失ったのはやはりラナベルのあの日の行いのせいなのか。巻き戻りの力はインゴール様によるものなのか。そして――。


(私は、この力でセシルを救うことはできるのでしょうか?)


 組んだ両手に、思わず力が入った。

 以前一度諦めたくせに再び救いたいなどと言う自分を、神は呆れるだろうか。

 それでも突き詰めればラナベルの望みはたった一つなのだ。愛する妹に、再びまみえること。

 気づけば指が痛くなるほどに握りしめて必死になっていた。


(インゴール様、どうか慈悲を……!)


 祈り続けてどれだけ経っただろう。膝からのぼる大理石の冷たさが身体全体に回りだしたころ。何度目か分からない呼びかけに諦めがさしたときのことだ。

 石像の輪郭が、明確に光りを灯しだした。

 温かく沁みるようなその光りはまるで鼓動のように広がっては収縮を繰り返した。

 神聖さの中にあった無機物の冷たさが和らいだように感じた次の瞬間――。


『現代において、我々がこうして人と接触することは本当はあまりよくないのだが……お前があまりに憐れで降りてきてしまった』


 ハッとして部屋の全員の目が石像に向かう。石像は光るばかりで動くこともない。けれど、たしかにそこに宿る漠然とした大きな存在の気配は感じられた。


「インゴール様でございますか?」


 喘ぐように告げれば、深く頷くような肯定が返ってきた。


『そうだ。我が祝福を受け継ぐ者よ』

「お、恐れ多くもお伺いしたいことがあり参上いたしました! どうか、私めの疑問を解消していただきたくお願い申し上げます!」


 今まで張り上げたことのないような声をあげれば、すでに承知していたようにインゴールは頷く。


『分かっている。自身の権能について知りたいのだろう?』

「……そうです。私のこの力は血の神であるあなた様のものなのでしょうか」

『そうだ。正真正銘、血の神である我がインゴールの祝福である』


 まずお前の問いに答えようとインゴールは前置きをする。そして、簡潔にキッパリと答えてみせた。


『ラナベル。お前のその力ではシエルを救うことはできない』

「な、なぜですか?」


 以前試したときは一年なら巻き戻れたのだ。同じ事を繰り返していけばいつかに辿り着けるのではないか?

 当てもなく繰り返した以前とは違い、インゴールにお墨付きをもらえば今度こそやり遂げられると思ったのに。

 動揺するラナベルを、インゴールは憂いを帯びた声音で諭すように呼びかける。


『ラナベル。お前の考えは間違ってはいない。お前の考えるとおりにいつかはシエルが死んだあの日に辿り着くことはできるだろう』

「それなら――!」

『聞きなさい。あの日に戻れたとして、お前はシエルを救うことはできない』


 断言されたラナベルは言葉を無くしつつも反射的に首をゆるゆると振った。

 青ざめていくラナベルを痛ましく思うような優しい声でインゴールは続けた。


『そもそもが今の人間は勘違いしているのだ』

「い、一体なにをですか?」


 震えた声で訊き返すと、数秒口を噤んだインゴールが言う。


『そもそも、我が祝福はではないのだ』

 

 

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