第32話


 夜中にレイシアが訪れた日から二日後。

 巻き戻る前に彼が神殿からの手紙を持って訪れた日だったが、その日に邸にやって来たのはグオン一人だった。


「今日はグオン卿お一人ですか?」


 真面目なこの人が主人から離れるなんて一体なにごとだろう。


(まさかイシティア殿下のように……!)


 ここに来られないような深刻な事態でもあったのかと青くなったラナベルに、グオンは大きな身体でわたわたと慌てだした。


「たしかに私一人ですが、ラナベル様の思うようなことはなにも……いえ、なにもなかったわけではないのですが」


 グオンはなにを躊躇っているのか、要領を得ない様子で話が一向に進まない。

 悩ましい声を出していたグオンは少しの間押し黙ると、ようやく決意したようにラナベルを真っ直ぐ見返した。


「実はこれは私の独断なのですが」

 ――王宮に来てはいただけないでしょうか?


 懇願するように眉を下げたグオンに、ラナベルは自分の耳を疑うように「え?」と口を開けた。


 ◆ ◆ ◆


 できるだけ早く戻らねばならないと焦るグオンに合わせ、ラナベルは彼に抱えられるようにして馬で王宮に向かった。


「ご令嬢を馬に乗せるだなんて……申し訳ありません」

「いいえ。初めてではありませんから大丈夫です。なにより、レイシア殿下をお一人にするわけにはいきません」


 こうして大人になってから乗ると、思っていたよりも体勢を整えづらく大きな振動は身体に負担だ。それでもグオンができる限り気を遣ってくれているのは分かったし、焦る彼の気持ちも十分に理解できたので懸命に耐えた。


(あの時は子どもだったから楽だったのかしら?)


 アメリーとともに村に向かった人のことを思い出すが、ここまで辛かった記憶はない。

 もしかしたら、当時のアメリーが今のグオンのように気を遣ってくれていたのかもしれない。

 出るときに荷物は少なくと言われ、ラナベルは以前レイシアに渡した異国の茶葉を詰め、それだけを持ってきた。

 その瓶を包んだ荷物をぎゅっと抱きしめ、少し不安げに顔を上げる。


「それよりもレイシア殿下は大丈夫なのですか? お身体はそんなに悪いのでしょうか?」


 邸を出るまでの短い時間で説明してくれたグオン曰く、レイシアは体調を崩して寝込んでいるとのことだ。

 だが、具体的な話は聞いていなかった。


「昨日から熱が高く、ずっと伏せっています。王宮の医師にも診ていただいたのですが、風邪なので薬を飲んで休めば大丈夫だと」


 そうは言っても、主人が苦しんでいる姿を見るのは辛いだろう。グオンは寝込むレイシアの姿を思い出したのか、眉間に深い皺を刻んだ。

 以前のラナベルがそうであったように、神殿は治癒の権能者を集めて医療奉仕活動もしている。

 しかし、外傷とは違って病の治癒の出来る者は現代においてはほぼいないと言っていい。

 王族であろうと、命にかかわるような急事の際でもない限りは、医師の診療通り薬を服用して休むしかないのだ。


 ラナベルが下半身の痛みに限界を感じた頃、ようやく王宮が見えてきた。

 レイシアの住居は王宮内でも奥まったところにあるようで、グオンは人目につかないように大回りをして裏門から中に入った。

 先に降りた彼は、ラナベルを支えて馬から降ろすと渋い顔つきで言う。


「さきほどもお伝えしましたが、ラナベル様をお連れしたのは私の独断です。もしかしたら、殿下はお叱りになるかもしれません」


 先に謝罪をさせて欲しいと、グオンは頭を深く下げてくれた。


「お気になさらず。たしかにレイシア殿下は弱ったところを人に見せるのは嫌がりそうですものね」


 だが、それならばどうしてレイシアのそばを一時いっときとはいえ離れてまでラナベルを呼びに来たのだろう。

 気になったラナベルは、そのままグオンに訊ねてみる。すると、少し考えこんだあとにグオンがそろそろと答えた。


「……熱に浮かされた殿下が、ずっとイーレア様とイシティア様をお呼びなのです」

「はい。それで、どうして私に……?」


 たしかに二人を連れて行くことは出来ないだろうが、それでなぜラナベルなのだろう。

 アメリーとは違い、グオンはラナベルたちが愛し合っているわけではないと知っているのに……。


「覚えていらっしゃいますか? 以前、殿下がラナベル様のことをイーレア様のようだおっしゃったことを」

「ええ……私が叱るように言葉を並べてしまったときのことですよね? それは覚えていますが……」


 まさかそれが理由で? と、ラナベルは訝った。怪しさを覚えるラナベルに、グオンはまた大きな身体でわたわたと弁解する。


「殿下がイーレア様のことを話題に出されるなど、初めてのことだったのです。 それに、殿下はラナベル様に心を開いているように見えましたので」


 自分がそばにいても気を張ってしまうから、ラナベル様なら――そう思ったらしい。


(レイシア殿下が私に心を開いてくれているかは分からないけれど……)


 ラナベルは二日前の夜半のことを思い出す。

 あのときはレイシアの存在に、言葉にずいぶんと助けられた。彼が弱っているというのなら、ラナベルも助けになりたい。


(それにあの日は身体が冷え込んでいたでしょうし……)


 もしかしたらそれが原因で体調を崩したかもしれないし、放っておくという選択はなかった。

 グオンの案内で進むが、王宮内であるはずなのにずいぶんと人の気配が少なく思えた。

 ここはイーレアにあてがわれた宮であり、そのうちの一棟をレイシアが使用しているとのことだ。

 しかし、これまでに見たのは裏門にいた見張りの騎士だけで、宮に入ってからは数人の使用人を見かけただけでずいぶんと静寂が耳につく。


 回廊を進んでいると、白い花をつけた低木が多く見受けられた。

 いつの日か抱きしめられたときにレイシアから香ってきたものだと眺めていると、気づいたグオンが「イーレア様がお好きだったんです」と教えてくれる。

 過去を語るような口調に思うことはありつつ、「そうなんですね」と穏やかに頷いた。

 結局それ以降誰ともすれ違うことはなく、ラナベルはレイシアの私室だという部屋の前まで来てしまった。

 グオンは中には入らないようで、戸口で護衛をしているからとラナベルを促す。


「入ると書斎になっています。その右手の扉が寝室に繋がっていますので――」


 どうかお願いしますと頭を下げられ、ラナベルは応えるように頷いてから静かに中に入った。

 

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