Crescent Moon Ⅱ 若頭ハルと私の物語

太秦あを

1

時刻は0時50分。

俺が母屋に行くと、ジンが待ち構えていた。


「親父さんがお待ちです」

「ああ」


ジンの顔を見て、相変わらず表情の読めないヤツだと思う。

だが、沙羅にだけは違った。

静まり返った長い廊下を先に立って歩きながら、一歩後ろを歩くジンの押し殺したような気配を感じる。


幼い頃から、ジンと並んで歩いた記憶はない。

こいつはいつも俺の一歩後ろにいる。まるで影のように。

仲が良いとか悪いとか、そんな風に考えた事さえなかった。

考える事さえ赦してはくれなかったのだ、この男は。


同じ小学校に通っていた俺とジンが、校内で偶然出会う事も決して珍しい事ではなかった。

だが、ジンは俺の姿を見つけると、廊下の端に寄って道を開け、あろう事か頭を下げるのだ。

当然、ジンと一緒にいた友達は何事かと問いただす。通り過ぎた俺の背中で、「俺の若頭」という声を聞いた。

兄と呼ばれる事を嫌い、弟ではなく『若頭』と呼ぶ小学生のジン。

幼い心がどうやってそんな意識を持ったのか…、おそらくは親父がそう教え込んだと容易に想像がつくが、ジンは決してそんな事は口に出さないから想像の域を脱しない。

彩は随分と心を痛めたと思う。

俺とジンを分け隔てない愛情を注ぎ込んで育てただろうに、彩の前でもいつもジンは俺の一歩後ろに下がっていた。


あれは俺が小学3年の頃だ。

学校から帰ると、当時同じ勉強部屋だった俺達の机の上に、おそろいのTシャツが置いてあった。

某スポーツメーカーのロゴの入ったTシャツだった。

彩が百貨店で見つけてきたらしいTシャツは、俺がブルーでジンのは黒だった。

俺は黒が良かったと文句を言い、ジンは「ありがとうございます」と頭を下げた。

翌日、早速袖を通した俺に比べ、ジンはもったいないから外出する時に着ると言ったっきり、そのTシャツに袖を通す事はなかった。

そのTシャツは箪笥の奥深く、ショウノウの匂いが染み込んだまま一年間眠り続け、翌年、俺が袖を通す事になった。

俺が黒がいいと言ったばかりに、ジンは袖を通さなかったのかと思った。

だが、そうではなかったと知るのは随分後になってからの事だ。


彩はいつも俺とジンに同じものを与えた。愛情も、物品も。

そこに一線を引いていたのはジンだった。

筆箱も、スニーカーも、そして、彩の愛情にさえも。


ジンは俺と同じものを否定し続けた。俺はジンにとって弟ではなく、いずれ自分が仕えるべき若頭なのだと。

あるいはそれは、ジンが自ら手に入れたプライドだったのかも知れない。

何人なんぴとも触れる事が出来ない唯一のもの。

ジンが愛人の子供である事は、ジンが物心の付いた頃から本人に教えられていた。

中途半端な嘘で誤魔化される世界ではなかったからだ。

本来ならば長男であるジンが銀狼会を継いで然るべきだ。しかし、正妻の子供ではないジンが跡目を継ぐ事は許されない。

彩がジンと俺を平等の愛情を持って接したとしても、親父はそうではなった。

明かなる差別。

学校の成績も、子供の些細な悪戯も、俺には赦される事もジンには赦されなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る