第2話

「あ、そう言えば、私もこないだアボカドを買ったんだった。今日あたり、食べなきゃ……」

「じゃあ、試しにそれ育ててみたら?」

「だから無理って。世話できないし」


 残りの炭酸水を一気に飲み干すと、蓋を締め直しながら詩織が苦笑いを浮かべた。水栽培なら数日おきに水を入れ替えてあげるだけでいいんだよ、と伝えても、「それすら自信ない」と返ってくる。これからの時期、特に仕事が忙しくなるから自分の世話だけで精一杯だという。


 食べたアボカドの種はとりあえず片っ端から育てている私としては、栽培仲間が増えたら嬉しいと思ってしまうのだけれど、こればかりは強制する訳にもいかない。趣味の押し付けはタブーだ。残念だけれど、お隣さんの買ってきたアボカドの種は明日の朝に可燃ごみとして廃棄される運命なのだ。


「あー、でも、うちにも緑が欲しい……いや、やっぱ世話できなくて枯らしてしまうのが目に見えてるか」


 私の部屋のベランダを眺めながら、詩織はぶつぶつと独り言のように呟く。普段はほとんど自炊しないと言っている彼女が、食材を買ってくること自体が珍しい。しかもアボカドをだ。きっと彼女も種を取って、それを育ててみたいと一瞬でも考えたのかもしれない。それが私の影響ならちょっと嬉しい。


 だけど、毎年この季節の彼女は、仕事が忙しくなると部屋へは眠りに帰ってくるだけの生活になる。ほぼ一日中カーテンが閉め切られたままの部屋では、植物はまともに育たないだろう。否、それ以前に数日おきの水替えができなければ、水から簡単に腐ってしまう。もし真っ暗な部屋で発芽できたとしても、光合成ができずにすぐに枯れてしまうはずだ。


 詩織もアボカドの栽培に興味を持ってくれたことが嬉しかったのもあるし、何よりも彼女がせっかく買って来た物の種が容赦なくゴミとして捨てられていくのを見過ごせなかったというのもある。だから、私は思わず隣人へと無謀ともいえる提案を持ちかけた。


「じゃあさ、私が途中まで育ててあげようか? 土に植え替えた後はたまに水あげるくらいでいいし、冬以外は外に出しっぱなしでも平気だから」

「えー、そんなの悪いよ……」

「違う。アボカドがあるって聞かされたら、種を育てない訳にはいかないんだよ」

「あはは、何それー?」

「もはや、これは使命だね。言っとくけど私、外では絶対にアボカド料理は注文しないんだから。裏でひっそりと種が廃棄されるのが居たたまれないっていうか……」


 空のペットボトルを足下に置いてから、詩織はさらにうちのベランダの方へと身を乗り出して声をあげて笑っていた。その私達の話し声がご近所中に響いていたのか、マンションの下の階の窓がカラカラと開いた音がして、慌てて声をひそめる。


「全部が全部、発芽するとも限らないけどね。ほら、今ちょうど容器が一つ空いたところだから」


 土に植え替えたばかりの苗木に使っていた水栽培用の容器を指差し、私がそういうと詩織は少し考える素振りをしていた。けれど割とすぐに「じゃあ、後で種取ったら持ってくね」と言ってから、私に種を取る際の注意点を確認してきた。


「これって、カッコウの托卵みたいだよね。卵じゃなくて種だから、この場合は托種か」

「托卵って魚とか虫でもあるらしいね」

「あー、最近は托卵女子とかも言うし、ヒトでもあるんだね。夫以外の相手の子をしれっと我が子として育てるってやつ」

「うわ、怖っ」

「そんな度胸あるんなら、とっとと離婚して家出ればいいのに……」


 急いで果肉を切って取り出したという種を持って、詩織が玄関のチャイムを鳴らしたのは昼の少し前。日曜だけれど受験生の為に自習室を開けなきゃいけないと、黒色のスーツを着た彼女は仕事用の落ち着いたメイク姿だった。詩織は綺麗に洗ってキッチンペーパーに包まれた茶色の丸い種を、「お願いします」と私に託してから出勤して行った。


 詩織が置いていった種は私が昨日取った物よりもかなり大きかった。スーパーでバラ売りされている100円前後のものじゃないのかもしれない。だからもしかしたら、普段育てているものとは違う色の葉が出てくるのかも。そう思うと密かに胸が高鳴った。もうそろそろ、私はアボカドの水栽培オタクを名乗っても良いのかもしれない。

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