砂漠の街を辿り道ゆく者

幾木装関

第1話 事故

 月曜日の早朝、私は車に轢かれた。相手は中型のワンボックスカー。

 出勤前に自治庁舎に出す国からの支援金の書類を郵便ポストに出そうと思っていたのだった。

 私は横断歩道の向こう側にある郵便ポストに青になった瞬間、走った。

 その時、何故か右手に止まっていたその車が急発進した。私の足を巻き込みながら三メートル程、前進した。

 救急車、パトカーを呼ぶべきだったのだろうが、呼ぶ気力、意識がなくなり、仰向けになって倒れてしまった。


 次に意識を回復したのは、救急隊の大きな呼び掛け声だった。

「高本さん、意識戻りましたね、失礼して財布見させてもらいました。大学病院二つ診察券を持ってらっしゃいました。今、どちらにも連絡入れています。ちょっと待ってて下さい」

 サイレンの音が鳴り響く。

 時間が過ぎる。随分と明るい室内だ、この救急車は。

「受け入れ病院は東邦大学総合病院!」

「一件だけ電話をする事が出来ますよ!はい」とスマート端末と財布を手渡された。

 この時間、会社の上司には繋がらない。警備室なら繋がるはずと私は閃いた。警備担当に事故の事、大学総合病院で救急治療がいる事、定時になったら上司に伝言して欲しいと伝え、端末を切った。

「何故一件だけなんだ?」私は聴いた。

「それがこう言う状況下では一番効率がいいんだ。安心してほしい、足の痛みはないのか?」

「ああ、不思議とあまり痛みはないが、重く鈍い感覚はある」小声で私は救急隊の一人に伝えた。

「両足は応急処置で簡易ギブスをしているから。病院到着まで四十分見込んでる」その一人の救急隊員が説明した。

 救急車の内部の異様な程、空間の白く明るい内部は二つの眼球に痺れを与えそっと瞼を閉じた。暫くして私は眠りについた。

 乗ってるストレッチャーが、ガタッと横揺れした時、目が覚めた。

「高本さん、病院着きました。ストレッチャー降ろします」

 後部ドアが開き、数人がストレッチャーを車内から引っ張り出して、私は病院の救急の入口に連れて行かれた。

 廊下を走らせている時、呼吸器マスクを口元に着けられた。暫く後、私の意識は徐々に遠のいていく途中、手術のサインを求められ、私は誓約書にサインした。これが後に病院との軋轢を生んでしまう。

 長い病院の廊下をストレッチャーで運ばれて行く感覚だけを残して、私の一抹の不安を残して、私の意識はなくなっていった。


 次に意識を取り戻した時は、狭い個室の病室にいた。私の身体のほとんどは布団で覆われていた。

 前に聞いた事がある。病院の個室に入院したら退院の時、法外な差額ベッド代を請求される事を。急に不安になってきて、ナースコールボタンを押した。

 暫く待ったが反応がないので、もう一度押した。焦りながら。すると扉が二回開く音がした。この個室は二重扉になっている!

 若いパンツスタイルの女の看護師が入ってきた。

「私はお金をそんなに持ってない。今すぐに大部屋に移してくれ」

「その点は大丈夫です。ここは特別室。特別対応を受けている患者さんの入院費を病院が負担しているから、高本さんの負担はありませんので、ご心配なく。意識ははっきりしているようですね、安心しました」

 看護師はブラインドを開けた。

「足の指は動かせますか?うん、動かない、まだ入院四週間ですもんね、気長にいきましょう」

 私は驚いた。「一カ月近く、意識なく入院、この特別室にいたのか?」

「ふふふ」看護師は微笑んだ。「また何かあったらナースコールボタン押してください。それとハラスメント防止の為に、毎日看護師が変わりますので、ご了承ください。では快適な入院生活を。それと会社から書類が届いていました。渡しておきます」

 ベッドのテーブルにそれは置かれた。


 ブラインドを開けたせいで、室内がより白く明るい空間になった。書類を置いたテーブルから部屋の埃が舞い上がり、窓から入ってくる風で埃は部屋中に広がっていった。床に積もった埃だった。

 私は「くそっ」と叫んだ。ナースコールを思いっきり押した。

 暫くしてさっきと違う小柄な看護師が入ってきた。

「早くこの部屋の掃除をしてくれ、それとマスク一箱。あなた達が使っているもの。どうしてこの部屋はこんなに汚れてるんだ?」

 看護師は言った。

「この部屋は申し送りの対象外になっており、教授らの直轄管理になってる関係でこのような至らなさがありまして、申し訳ありません」

「そうか、ありがちだな。それと下半身が動かず、テーブルの書類を書けない、代筆して欲しい。ドクターは喜んでここに来ないのか、患者の意識が戻ったって。それと喉が渇いた。水なるもの」


 水分は掃除が終わった後、教授らも掃除の後に来るとの事で、のんびりしているなと、むかむかした。掃除のおばさんは、マスクの箱を持って直ぐに来てくれた。

 箱を開けてマスクを一枚取り出すと、耳に掛けた。呼吸が綺麗になった。

 掃除婦は良くやってくれた。テーブルの上は勿論、天井、壁、窓、ブラインド、床を綺麗にしてくれた。

 これには「ありがとう」と感謝した。掃除婦は何も言わず二重扉から出て行った。

 二時間程待っていたところ、代筆を頼んでいた会社に提出する書類を看護師が持って来た。最初の看護師だった。

 私は天井を見ながら書類を見回すと、ミスしている個所がないことに驚いた。

「ありがとう、この内容でうちの会社に返信封筒に入れて、送って欲しい。お願いする、助かった」

 これでひと段落した。後は教授達を待つばかり。しかし横柄な教授どもが、まだ来やしない。


 特別室から外部に繋がる二重扉の向こうの音はほとんど聞こえない。扉が開く音は聞こえる。扉二枚。その段階で初めて気付く。外部の気配を。

 掃除が終わって三時間程、扉が開く気配はない。窓の外は夕刻。オレンジがかった風景。私はこの環境に四週間も晒されていたのか?日差しが眩しい、看護師を呼ぼう。

 ナースコールを押した。二重扉が開いて看護師が入って来た。

「なんでしょ?」

「外が眩しくて、ブラインドを閉めて欲しい。それと教授らはいつ来る?」

 私は少し疲れていた。ブラインドは少しずつ閉じていった。快適になった。

「教授達はもう直ぐ到着されるとの事です」

 看護師は私とアイコンタクトを取ると、二重扉を閉めて出て行った。

 時間の流れは想像以上にゆっくりしている。

 二重扉が開く気配はない。

 ふと私は自分の動かない下半身が、どうなっているのか初めて興味を持った。

 上体を上げようとしたが腰から下が神経がないらしく、動かせない。掛け布団を持ち上げて覗く光景は、暗い井戸を子供の頃見た景色だった。

 良く見ると点滴がある。これだけで四週間程生き延びて来たのか。かなり痩せてるだろうなと、胸に掌を当ててみた。が、筋肉の衰えどころか、胸板が厚くなっていた。どうして?

 今度は腕の筋肉に力を入れてみた。大きな力こぶが出来た。腹筋も同じくそうだった。戸惑い隠せず、布団に籠るように教授らが来るのを待った。そしていつしか眠りについた。


 ベッドの上から身体を揺する複数の手で私は目を覚ました。

「高本さん、高本さん!」仕切りに声を掛けられていた。

「起きられたか?」教授の一人が。

 布団を剥ぎ取ると六人の教授がいた。

「高本さんは誓約書を書いたね、あれはいかなる状態でも命を五体満足残すと言う内容が書かれていたんだ。上半身は栄養分と筋肉増強剤で保った。下半身は小腸、大腸、直腸、膀胱、尿道、精巣まで生き残った」その教授は話を区切った。

「そして足だが膝から下が車の荷重で切れてしまった。手術をしたがつなぐ事なく壊死した。君との約束を守る為に軽量合金の足を取り付けた。それに時間が掛かった、もっと早くしたかった。今から電力を下半身に流す」

 とうとうと語る教授達同士は指示を出し合い、足元の布団を捲りあげた。

 再び麻酔マスクを私は装着され、程なく意識がなくなった。


 次に目を覚ました時は外は暗くなっていた。蛍光灯に照らされた特別室の電動ベッドは、八十度近く背もたれが起こされていた。

 視線の先にはテーブルが退かされ、自分の下半身が良く見れる様になっていた。

 膝上から下がメタルカラーで指が合わせて十本再現され、くるぶしの関節、ふくらはぎには黒いメッシュ状の人工筋肉があり、膝は関節が回り、自由に動いた。感覚神経は備わってなかった。

「これはなんだあ!」私は余りにも激変してしまった足に驚きを隠せなかった。その時、足の指が伸びて動いた。

「何故、こんな手術をしたんだ!」私は叫んだ。

「手術の誓約書に詳しく書いてあるが、それに高本さんはきちんと署名してもらってある」教授達は答えた。

 私がサイボーグの足をばたつかせた時、その足の部分が青色に光った。

 私は思い付いてテーブルを足で破壊しようと試みた。しかし難なく弾き飛ばされてしまった。この足は特別破壊力があるわけではなかった。

 一旦、ベッドに座って特別室を見て回った。教授陣の六人が観察するように私を覗き込んでいた。この状況が嫌で足を使って立ってみようとした。

 バランスを取ることが出来なかった。空中で足が回転して身体ごと床に倒れ伏してしまった。まだ自分の足になっていなかったのである。恥を感じながらベッドを掴みながら、再びその上に乗り上がった。

 変わらず六人の教授らからの視線を浴びながら、それが生む息苦しさに耐えられず、掛け布団の中に頭から身体を隠した。

 布団の中で惨めな気分になり、三十年生きて来て初めてくらい涙を流した。

「まだ全くそのサイボーグの足に慣れてないから、明日から早速リハビリテーション・メニューを開始しよう」教授陣は諭す様に言った。

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