第45話 4-11_ヘチ子の過去。「あんた達ってお互いを無敵だと思って生きてんのねえ」
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『反省会』は幼なじみの打ち明け話に変わっていった。
「そもそもあんたが勝手に話していい事なわけ?」
林檎Bからの当然の質問。
「別にあいつも隠してねえし。でもおれがいわねえと、あいつ絶対お前には切り出せねえし」
そう前置きして幼なじみの古代力士は話し始めた。
「まあ、まずはヘチ子の母ちゃんの事からかな。おれも詳細は知らねえ。というか誰も知らねえっていっても過言じゃねえな」
それはヘチ子のずっと幼い頃の話のようである。
「ヘチ子の母ちゃんは各地を転々としてたらしくて、親しい友人いなかったし、育ての親だっていう爺ちゃんは『その頃』にはもう亡くなった。『その頃』ってのは母ちゃんが死んだ時って事だ」
つぐねはそういった。
「本家のアレで久我ちゃんが生家を探したけど、もうそこは空き地になってた。ヘチ子もほとんど『その頃』の事は憶えてねえらしい。これは前にいった色盲がちょこっと関係するんだけど、まずはいいや」
つぐねは自分の眉間を指でさして見せる。
「憶えてっかな。最初に会った時、ヘチ子が口を滑らせたんだけど、あいつの頭の中には『存在しない穴』があるそうだ。だが『その頃』にあったのはそいつじゃなく腫瘍だった。それははっきり実在していて、医学的な記録も残ってる」
――いずれ
つぐねはなぜか彼女の元の氏名を口にしなかった。「契約でな」と彼は説明したが、その言葉自体が謎のまま話は進んだ。林檎Bも訊ねなかった。
いずれヘチ子となる少女を、彼はなぜかそう仮称した。それも「契約」なのかは不明である。
ヘチ子――アザの母はすでに述べたとおり、経歴のほとんどが不明になっている。なぜか各地を渡り歩き、アザを産み、その後も転々とした。父親は見つからないままである。
アザが最初の発作を起こしたのは、記録にある限り三歳の頃。それ以降、痙攣や失神、部分的麻痺を起こすようになった。
精密検査をして始めて腫瘍が見つかった。
その星型をした影は脳の深いところにあって、摘出は不可能だと判断された。
しかも段々大きくなっている。発作はアザの成長にともない頻度を増していった。
「十歳まで生きれる保証はないって宣告されたらしい」
何の後ろ盾をもたなかった母親は、生活を支えつつ一人で子供の面倒を見なければならなかった。発作による麻痺が呼吸機能に及べば命取りとなる。片時も目を離すことはできない。
限界がくることは明らかだったが、母はできる限り子供の側にいようと勤めたそうだ。それはヘチ子も憶えていた。
どうにか二年ほど、アザが五歳を越えるまで手を尽くしたところで、母親は亡くなった。
「あいつは独りになったわけだ」
そこへ話が到っても林檎Bは口をはさまなかった。
だが事実は彼女が想像したものとは、やや違っていた。
「自殺とも事故ともつかない状況だったらしい。新聞にもちょろっと載ったが、事件にはなってない」
そういうのである。
「え? じゃあ腫瘍は? どうやって治療したの?」
「そういうのはない」
とつぐねは答えた。
「ない? 十歳までの命って診断されたんでしょう?」
「消えたらしい」
「消えた?」
「文字通りよ。手術不可能なはずの腫瘍が消えた。その代わり例の『存在しない穴』が現れたらしい。もちろん医者はそんなもん発見出来なかったけどな。だから『消えた』と判断された」
彼はもう一度眉間を指さした。
「本家にいわせりゃその『実在しない穴』は〈冥宮〉の一種なんだってよ。そんで腫瘍が消えたのはその冥宮が――喰っちまったかららしい」
比喩じゃねえぞ、と彼はつけくわえた。
雷に当たってなおかつ生還する、よりはやや確率は高い程度の偶然になるが、腫瘍と同じ位置に発生した冥宮のおかげで、アザの命は助かったのだという。
だが冥宮は同時に他のもの、例えばアザの生後五年しかない記憶だとかをを虫食いにした。実在しない穴は、脳機能ではなく、そこに存在する概念的なものだけを奪っていったのだ。奪われたものの一つに色覚能力があった。
同じような事が今後も続くはずだった、という。
つまり、腫瘍がなくなって、今度は冥宮自体が害になったのだ。
本家が検査の記録を偶然発見し、引き取らなければ、アザはどのみち死んでいたことだろう。
冥宮師の処置を受けることでアザは生き存えた。そして、その引き換えに
冥宮師となるための訓練は、脳中の〈冥宮〉をコントロールするためのリハビリでもあった。おかげで『その頃』の記憶のいくつかと色覚以外、失わずに済んだ。
しかし今でも、切紙を身につけたり爪に冥宮封じの彫り込みを施したりという補助が必要になっている。
「いずれにしろ、お袋さんは間に合わなかったわけだ。辛い言い方だけどな。自殺にしろ、疲労から来る事故だったにしろ、もうちょっと堪えてくれりゃあな、助かったんだよヘチ子は」
つぐねはそう結んだ。
ヘチ子は唯一の肉親である母親を失い、その後は丿口になるしかなかった。母親の死について結論はでないままのようである。
事実を整理してみれば、当然の疑問が生じる。林檎Bもそれを口にした。
「お母さんの死因が不明っていうのは? 不明ってどういう意味での不明?」
「水に落ちて亡くなってるのを『アザ』が発見したんだと。警察は自殺と見たらしいけど、医者は病死の線も見つけたらしい。発作を起こして水に落ちたかもって」
「どっちなのさ?」
「変死扱いってことになったらしい。つまり死因不明のままだとそうなるんだな」
「ヘチ子はその……なんて?」
「憶えてないって。朝焼けが印象的だったって本人がいってたから、あいつが発見者なのは確かなんだが、それ以外の事件の記憶はない。冥宮に喰われちまったからだ」
「それも大事だけど……ヘチ子はどう考えてるの? つまりお母さんの死因をどういう形で納得してるわけ? できてるの?」
「ママ上のことは――」つぐねはあえてふざけた言い方をしたらしい。それから何でもないように続ける。「自分のせいだと考えてるらしい。自殺にしろ病気にしろ自分の介護で追い詰められたせいだってそう言い張るんだな」
「……その時ヘチ子五歳とかでしょ? そんな確信できるもの?」
「さあ。そう思いたがってるって事じゃねえ? おれら具体的な話はしなかったんだよ。それも一回話しただけだし」
「しろよ。そういうとこだぞ」
「しねえよ。あいつもあの一回を一生の恥だと思ってるからな」
「……『一生の恥だって思ってる』ってあんたが思ってるだけかも」
「そんなわけねえよ~」
曇りのない声でつぐねが応えるのに、林檎Bはやや眉をひそめたあと、しみじみした声でこういった。
「あんた達ってお互いを無敵だと思って生きてんのねえ」
「さてはこれバカにされてんな?」
「ううん。いやマジで、あんた達にはずっと今のままで人生やり過ごしてほしいわ」
これも本気の口調でいった。
今度はつぐねが眉をひそめる番だったが、彼はすぐに忘れて過去についての話をこうまとめた。
「まあだから命を粗末にするヤツに対しては昔から反応過剰なとこはあるよ。ヘチ子は。屋上でお前にビンタ張ったときには、それだと思ったんだ。でも、今日見たウェットな感じはそれだけじゃ説明できねえ気がすんだよなあ」
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