第5話

蜜柑


 みかんを剥きながら、バンがため息を吐く。


「マリーは恋人いないのは分かったんやけど…、休日に遊ぶ友達もおらんの?」


 柑橘らしい甘く爽やかな匂いが広がる。バンのお店の同僚が愛媛の実家から箱で送られてきたから、と持って帰って来て、私にもおすそ分けしてくれた。


「うん。残念なことに」と言って、私もみかんの皮に親指を突っ込む。


 それ以上、バンは訊かなかった。私は自分の居場所を誰にも教えていない。会社の総務にだけ伝えている。


「バン」と言って顔を見る。


「んー?」とみかんを口に入れて私を見た。


「バンしか友達いないや」と言って笑った。


 すっと手を出されるから、首を傾げた。


「みかん」


「え?」


「みかん乗せて」と言うから、みかんをその手に置く。


 大きな手は手際良く皮を剥いていく。そして「はい」と私に渡された。


「美味しいからよ食べ」


「白い筋も…」と言うと、そこは食べるように言われた。


「ガン予防できるんやって」と嘘か本当か分からないことを教えてくれる。


 でもそれから私はがん予防になると思いながら白い筋を食べるようになった。


「ありがと」と笑って、バンを見た。


「どういたしまして」とにっこりと大きな笑顔を見せてくれた。


 蜜柑の香と、バンの大きな笑顔が私の心にセットで記憶されて、私は蜜柑を今でも大切に食べてしまう。



 バンは私のことを気遣っているのか、日曜日の昼から夜まで一緒に過ごしてくれた。毎週毎週、バンだって、誰かと出かけることがあるだろう、と聞いてみる。


「まぁ、仕事で人に会ってるからええねん。あ、スーパー行こう」


 二人とも一週間分の買い出しをする。二人で出かける時にジェフに会うと冷やかされた。


OMGオーマイゴー」と大げさに言う。


 どっちにも相手がいない可哀そうなペアだと関係ないのに嘆く。


「Come on. We're just beauty ladies, right?」とかなりいい発音でバンが言ったから、私は驚いたけど、ジェフの方がもっと驚いていた。


「Totally yes」と謎な言葉を言っていた。


「OK, see you」とバンが言って、私は思わず拍手しそうになった。


「すごい、すごい」と私はマンションを出てから、飛び跳ねて言ってしまう。


「ありがと。アメリカ人と付き合っててん。それで…」


 それについて何を言っていいのか分からなくなる。


「言語を習得するなら、その言葉を話す人と恋愛すんのが一番やって」


「バンは…経験豊富なんだ」


 ぼんやりそう言うと、バンが歯を大きく見せるような笑顔を作る。


「マリーはまだこれからやんか。アメリカ人でも、フランス人でも」


「ジェフ嫌い。英語喋れないの馬鹿にするから」と私は膨れると、バンは笑った。


「あいつ、何年おんねんってくらい日本語ヘタやんか。気にせんでいいよ」


 そんな話をして、バンとスーパーに行く。日用品や、食料品を一緒に見て回ると、周りから何だか夫婦みたいに思われそうな気がして、そわそわした。


「あら、こんにちは」と見知らなぬ美女が話しかけてきた。


「…こんにちは」と挨拶だけ返すと、バンが「あら、マリリンじゃない」と知り合いのようで話しかける。


「一緒にお買い物…、仲良しさんね」とマリリンと呼ばれた美女は口だけで笑う。


 その微笑みに見覚えがあるような気がしているけれど、思い出せない。


「こっちはマリー」とバンが紹介してくれて「知ってるわ。かわいらしい方」と言って、私を見る。


 やはりどこかで会っただろうか、と考えていると、答え合わせせずにそのまま去って行ってしまった。


「あの人…」


「知らん? 向こうは知ってるみたいやけど。同じ階の端っこに住んでて…一等地でママをやってるわ」とバンに言われて思い出した。


「あ、白い着物の人」


「白? まぁ、そうやね。着物着て出勤してるわ」


「でもどうしてマリリン?」


「あ、口元にほくろあるやん? それで。名前は知らんけど」とバンが言う。


「あの人…職業柄かも? だけど…口しか笑ってない」


「そうやね。仕事柄やろ?」とあっさりバンはそう言って、キウイフルーツを買うか悩んでいた。


 買ったものを冷蔵庫に入れて、また集合うする。今日はテールスープを食べに行く約束をしている。バンと一緒に夜は外食することにしていた。


 私たちは肩を並べて汚い階段を下りていく。


「ねぇ、どうして優しくしてくれるの?」とバンに聞いてみた。


「…妹がいてね。なんか…そんな感じ」


 バンに妹がいるなんて想像もしなかったけど、バンにだって、家族がいて当然だ。全然話をしなかったけど、バンと家族の関係は簡単ではなさそうだった。


 テールスープは塩気が効いていて、お互いの心に沁みた。


「ふう」と同時に息を吐いて、そして笑い合った。


 寒くても淋しくなかった。不思議と温かい記憶になっている。

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