9 トレミー
その夜、王都の中央神殿の一室では三人の男たちが話していた。
一人は年配の白髭侯爵。その傍には侯爵令息がいて、顔立ちはよく似ている。
あとの一人は、水晶の杯を手に持った、まだ年若い神官だった。
「では我が息子トレミーの獣痣は、蛇ではないということだな?」
そう聞かれ、神官は足を震わせながら、自身の声を絞り出した。
「は、おそれながら、ご令息は爬虫類科のカメレオン獣と思われま……」
そこまで言ったとき、神官は腕に違和感を覚えた。
チクリと針のようなもので刺された感覚があったから、虫でもいたのだろうかと背後をふりかえる。
しかし、背にいたのは虫ではなく令息のトレミーだった。手には小さな籠を持ち、無表情で虚空を見つめている。
瞬間、神官は床に崩れ落ちた。
口からは泡が溢れ、瞳は白濁としている。以降、神官が動くことはなかった。
「トレミー」
アレパ侯爵は難色を示した。過去、息子のトレミーは幼少期に一度だけ神殿にて獣痣の検査をしたことがある。そのときにも、カメレオン獣と告げられていたが、まだ幼少であることに加え、蛇紋にも似ていたため、獣痣の申告は先送りにされていたのだった。
しかし、十歳を超え、成人年齢に達するあたりで、かたくなに獣化を隠していた息子に変化があった。
『由緒あるアレパ家にカメレオン獣など生まれるわけがない! 俺は正しい。そして、神官が間違っている、あるいは世界が間違っているのだ!』
――そんなことを言い出した。
これが下級貴族や平民ならそれで済んだのかもしれない。しかし、侯爵家でカメレオン獣は許されない。
脆弱で矮小な生物であるうえに、戦闘技能も低い獣など、恥でしかない。
それは誰よりも息子のトレミーがわかっていた。だから、獣痣を診断した神官をことごとく、口封じのために殺してきたのだった。
「父上……今回の神官もダメでしたね。真実の俺の姿を映し出せる神力を持たない、未熟者だったようです」
あくまでも神官のせいにするか――それでいい、と侯爵は口角をあげた。
「知られれば醜聞となるからな。しかし、どうする。これまでどおり獣周期に姿を隠せば蛇獣だとしておくのは可能だが、その秘密もいつか漏れよう」
「漏れたら消せば良いのです。しかし、保険はかけておきましょう。神殿で調べさせたところ、我が国の辺境にはカメレオン紋を持つ下級貴族の女がおります。年のころは十代後半。それなりに役には立つでしょう」
「ふむ。そろそろ動いても良さそうだな。下級貴族なら、せいぜい聖女ランクは1か2。お前の獣化を解くまでに数年はかかるであろう」
「お言葉ですが父上。そのような下賤な女を傍に置くなど、俺のプライドが許しません。それに、我が家に穢れた血を入れることにも納得がいきませぬ」
「なら、どうしようというのだ?」
侯爵は白い髭をならした。自分の血を濃く継いだ非情さを持つ息子が、どう対処をするのかに興味が湧いた。
「求婚書を二つ用意しましょう。ひとつはカメレオン紋の女を郊外の屋敷に囲い、対外的には死んだとみせかけて私に尽くさせるのです。一方で、別の紋の女を正妻とし、そちらは王都で生活させればよいでしょう」
うっすらと笑みを浮かべながら、トレミーは告げた。
対して侯爵は、喉の奥で笑った。我が息子はもとより、人が尊ぶ誠意などは微塵も持ち合わせないらしい。それはむしろ、誇らしい気分だった。
「途中で明るみになった場合は?」
「父上。身分の低い女など、治療が済んだらただのゴミですよ。五年、十年、利用価値のあるうちだけそれなりに体裁を整え、あとは消してしまえば良いのです」
結構、と侯爵は指をならした。
「……お前も二十を過ぎた。ここからは獣化が深刻化するであろう。もはや一刻の猶予もない。世間に脆弱な獣と明るみに出るようならば、お前を廃嫡し、次男のグレミオを後継者とする」
「承知しました。父上」
トレミーは細い切れ長の目を光らせながら、頭を下げた。
***
「いなくなった、だと?」
アレパ侯爵令息、トレミーは自身の大きめの口をぱかりと開け、テーブルの向こう側にいるルヴァン男爵夫妻を睨んだ。
男爵家では、昨日、娘の捜索を打ち切ったばかりという。
アレパ家からの求婚状が届いてすぐ、娘は家出をしたということだった。
「さようでございます。おとなしい子だったゆえ、私どもも驚いております」
コルルの父、ナイロンは、キレイに整えたひげが引っ張られるような感覚になりながら、早口で文言を述べた。
数日前、娘にこう伝えてほしいと言われた。ウソは良くないと諭したが、娘はそれ以上にかたくなに拒否の姿勢を見せた。
もし、聞き入れてもらえなければ、今後一切、縁を切るという。娘の懇願と妻の口添えにやられ、結局こんな応対をする有様となった。
「それは、まことの話なのか? せっかく求婚状も贈ったというのに……侯爵家の威厳を損ねる行為だぞ!」
「申し訳ございません。侯爵家からのありがたいお申し出を、このような形でお断りすることになり、お詫びの言葉もございませぬ」
何度かループしている会話に、ナイロンはうんざりしはじめた。となりにいる妻ラモーナは、会った直後は不安そうな顔をしていたものの、今はすっかり瞳が鋭くなっている。
それもそのはず、このトレミーという男、先ほどから獣化の治癒だけを望んで求婚したことを隠そうともしないのだ。
やれ「恥をしのんできてやったのに」だの、やれ「俺の治癒を担うのは誇らしいことだ」だの、言い方にも遠慮がなくなってきている。
仮にも求婚、コルル本人についてもっと関心のあるそぶりをみせてもいいだろうに、未だ娘の名前すら言わないというのはどうなのだろう。あげくの果てには。
「ならば、妹令嬢を連れてきていただこう。成人覚醒でカメレオン紋が出る兆しはないか?」
などと言う始末だ。態度も大きいが、人に対しての何かが欠けている。
「おそれながら。妹のアルイーネは姉の家出に心を痛めて寝込んでおります。それに血がつながっているとはいえ、アルイーネは猫紋。成人覚醒は非常に稀なことゆえ、カメレオン紋の見込みはないと思われます」
チッ、と軽い舌打ちが聞こえた。
それに気づいた妻が、さらに眉をつりあげる。平静を装っているが、頬が強張っているのが恐ろしい。
先ほどからこの調子だ。さっさと帰ってほしいのに、貴族の令息でありながらこうも空気が読めぬとあっては、こちらとしても黙り込むしかない。
「ならば、親族にカメレオン紋の娘はいるか? 未婚でも未亡人でもかまわぬが、条件としては三十路前の聖力が健在な女だ。この際、多少の不都合は目を瞑ろう」
(……コルルの言ったとおりだ。もし求婚に応じた場合、大変なことになっていただろう)
そうは思うものの、ナイロンはひたすら頭を下げるしかない。
相手は王家の血筋に近い侯爵家。たとえ獣紋を持っていても、相手に睨まれたらこの国では暮らしてはいけないほどの不利益を生んでしまう。
「それも……申し訳ございませぬ。我が家はみての通り辺境の小さな男爵家でございます。また先祖代々、猫紋が主だったため、カメレオン紋の親戚はおりませぬ」
もうこれで帰ってほしい、と願いを込め返答した。
すると、テーブルの向こうで再度の舌打ちが聞こえる。
「――ならば、最後だ。コルオーネ嬢の容姿の詳細と、王都で立ち寄りそうな場所をすべて言え。わかっているとは思うが、娘を庇うためにと虚偽を申したら相応の礼はさせてもらう」
ようやく娘の名を挙げたと思えばこれだ。
我が家では最上級に近いもてなしだったのだが、令息はどれもこれも気に入らない――いや、目に入ってすらない様子だった。
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