Episode25 絶望的な状況

 もはや何が起こっているのか一切理解が追い付かない。

 ただでさえ速度と威力に特化したレントが【憤怒】によって自身への身体的なダメージすら気にせずに放った一撃は、おそらく過去最高の速度と威力を誇るだけでなくこの辺境の国ならばトップを競えるほどの実力で放たれた一撃だったはずだ。

 それなのに、黒髪の女性はその一撃を避けてカウンターを決めただけでなくその身体や衣装に全く損傷のない状態で立っているということは、相応の実力者であってもその余波だけで即死しかねないほどの攻撃を物ともしないほど圧倒的なステータスを持っていることの証明でしかない。

 そして、この世界において相手が認識できない速度で動けるということは素早さが、攻撃を余波であるとはいえ一切無効化できるということはこちらの攻撃力に対する防御力の数値が1.5倍以上の開きがあるということなので、少なくともあの女性は防御力、素早さ共にレントの1.5倍以上、下手をするとどちらのステータスも強者の基準とされる5万を超えている可能性があるのではないだろうか。


(本当は、すぐにでも吹き飛ばされたレントの無事を確認しに行きたい……。でも、足が震えて…動け、ない……)


 未だ黒髪の女性はこちらに背を向けたままだというのに、その背中から感じるプレッシャーでティナの足はガタガタと震えてその場を動くことが出来ず、目の前にある圧倒的な死の恐怖に吸い寄せられた視線を逸らすことが出来ない。

 それから黒髪の女性がゆっくりとした動作でこちらを振り返り、感情が読み取れない静かな視線をこちらに向けた瞬間、とうとう限界が来たティナの足は力を入れることが出来ず、どさりとお尻を地面につけたまま立ち上がることが出来なくなってしまった。

 そして、まるで走馬灯のようにティナの脳裏にはレントと出会ったここ最近の記憶が浮かんでいた。


 そもそも、ティナの家系は遠い昔に存在したと言われるエルフの国を治めていた一族最後の生き残りと言われており、周辺に暮らしている同族ともそれほど関わることをせずに一家3人(ティナが生まれる前に家を出たお兄ちゃんとお姉ちゃんがいたと聞いてはいるが)だけで静かに暮らしていた。

 そして、家の周辺に出没する魔物の影に怯えながらあまり外に出ることもなく、時々周囲の村から物資を調達するついでにパパが仕入れて来た周辺諸国の話や物語だけを楽しみにティナは狭い世界の中だけで約14年の月日を過ごしてきたのだ。

 そんなある日、家の周辺に出没する魔物をボロボロになりながらもたった一人で打ち取り、自分に魔物討伐を依頼したという男たちを引き連れて現れたレントをティナは最初とても怖く感じたのを覚えている。

 実際レントは物凄く愛想が悪かったし、レントが連れて来た男たちは不意打ちでパパの命を奪うとティナを人質にママへ酷いことを繰り返し、やがてママにしているのと同じような行為をティナにもしようとして抵抗してきたママの命を奪ったのだから、あの瞬間はどれほどレントに対する恨みが胸の内に渦巻いていたのかうまく言語化することができない。


 しかし、男たちの魔の手がティナを襲う前に鮮血と共に再び姿を現したレントはティナのことを救ってくれただけでなく、ティナやティナと同じような境遇に立たされた同胞を救うために危険を顧みらず亜人狩りの部隊と戦ってくれるようになった。

 もっとも素直じゃないレントは乱暴な言葉で誤魔化すばかりで自身の本音など全然言葉にしてくれないのだが、それでも『下手に逆らわれても困るから』とティナを襲おうとしていた男たちが所持していた『隷属の首輪』をティナに着けた時も、どんな命令だってできるというのに所持者への攻撃を封じるという最低限の機能を使うだけで一切命令をする気配は無く、それどころか奴隷が逃げ出した時や所持者が命を落とした時に奴隷の命を奪うという機能すら停止させているのだから本当はレントがそんなひどい人間でないということはすぐに理解できた。

 そして、これまで何度も死を覚悟するような危険な状態に陥ってきた中でもレントは決して諦めることをせずに戦い続け、どれだけ傷つきながらも最後にはティナのことを守ってくれた。


 だが、今目の前にいる存在はそんなレントが手も足も出ないほど圧倒的な実力差を見せつけ、圧倒的な死の気配を感じさせながらティナの前に悠然と立っている。

 本来なら、少しでも活路を見出すためにも周辺の状況を確認し、『隷属の首輪』が力を失っていないことから生きていると判断できるレントを救い出し、何とかこの絶望的な状況から逃げ出す手段を考えるというのが正しい選択肢なのだろう。

 しかし、恐怖に振るえるティナの足には一切力を入れることが出来ず、彼女に釘付けとなった瞳は瞬きや涙を流す余裕すら残っていない。


 そして、そんなティナに向かって黒髪の女性が口を開きかけた直後、突然先程何かが飛ばされていった方向から轟音と共に何かが飛んできて、それを避けるために女性が数メートル後方に下がったことでティナとの距離が離れる。


「おいおい……。お前の、相手は…俺、だろ? そんな、ザコ……相手にするだけ、無駄…だろが!」


 背後から聞こえた声に、今迄恐怖ですくみ上っていたティナの体は反射的に声がした方向に向けられる。

 するとそこには血塗れになりながら、折れてしまったのかだらりと下げられている左手を庇いながら右足を引きずるようにこちらへ歩いてくるレントの姿があった。


「レント!!」


「……チッ。なんで、こんなとこに…いやがる。……邪魔だ。消えろ」


 一瞬だけレントはティナに視線を向けながらそう告げると、その鋭い視線を再び黒髪の女性に向けながら速度を緩めることなく彼女の方へと歩み寄る。


「まだ、俺は…負けてねえ! だから、よそ見なんて、せず…最後まで、俺と、戦いやがれ!」


「待って、レント! これ以上は本当に死んじゃうよ!!」


 どうにか戦いを再開しようとするレントを止めようと必死に足へ力を込めるが、やはり震える足に上手く力が入ってくれずに立ち上がることが出来ない。

 そして、そんなティナの様子に気付いたレントは少しだけ迷う素振りを見せた後、『隷属の首輪』の力を起動して一言「立て」と命令を下したことで、ティナの体はティナの意思とは関係なく無理やり足に力を入れて立ち上がる。


「……もう一度、言うぞ。さっさと、消えろ。邪魔だ」


「でも――」


「うるせえな! 何なら、もう一度…命じたって、いいだぞ?」


「……たとえ、命令に抗うことで死ぬほどの苦しみを味わうとしても今のレントを置いて一人で逃げるなんてできない!」


 まっすぐにレントの眼を見ながらそうティナが告げると、レントは苦しそうな表情を浮かべながらもしばらく言葉に悩む素振りを見せ、やがて「クソが」と一言漏らすとその視線を黒髪の女性に向けた。


「……芹川。あんたらの狙いは、俺だけのはずだ。それに、こいつと、あのリリーナってやつに…何か関係がある、ってんなら。こんなやつ、お前らに…くれてやるよ」


「レント!?」


 予想外の言葉に、思わずティナがそう声を漏らすがレントがこちらを振り返ることは無かった。

 そして、レントからその提案を投げかけられた黒髪の女性が口を開こうとした直後、その声は唐突に聞こえて来た。


『そんな深刻に悩む必要などないぞ。なぜなら、お前らは3人まとめてこの場で死ぬんだからな』


 直後、轟音と共に体を襲った凄まじい衝撃によって一瞬ながらティナの意識は闇の中に飲まれるのだった。

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