第30話

「大原さんも知っているように、僕は長いことあの病院で廃人のように入院していた」


 拈華は今年で二十歳になる。彼の経歴はところどころ欠落していたが、六歳から入院していることが当時からわかっていた。拈華本人が“廃人”と言うように、彼のまわりの医療従事者たちから聞く入院中の拈華は何も語らず、何も聞かない、まさしく廃人のようだったと聞く。目が覚め、病院食を口にし、眠り――それを繰り返すだけだったという。


「今になってわかった事だけど、僕は感情がなかった」

「……どういう事なんだ」


 大原の問いに、真理が口を開いた。


「譲二は生まれたときから感情がなかった。器が“空っぽ”だったんだ」

「拈華の症状は神経伝達の障害や脳の異常が原因ではないと言っているんだ」


 山本が補足した。


「人の魂は四つの器から水が注がれることで成り立つ。そのうちの一つが空だったんだ。つまり、拈華の魂は人として不完全なまま生まれ落ちた」


 その結果が感情の欠落なんだ。山本はまた補足をした。隼人に視線を送ったが、言葉を接いだのは真理だった。


「お前も慰めの再捜査で譲二のカルテは見たのだろう」


 そう言われた隼人は怒りを押し殺しながら、

「ああ。拈華の症状の原因はわからなかった」

 と言った後、大きくため息をついた。


「つまり僕は、そういうわけで一四年近く原因不明の精神疾患患者として入院してたんだ」

「だが、事件の時、君は明らかに感情をもっていた」

 大原が言った。


「うん。そうだね。それについて、詳しく話すよ」

 みんなの様子を伺ったあと、拈華は再び話し始めた。


「いつも通りの入院生活を送っていた日、ある人がお見舞いに来たんだ。顔は覚えてない――そのとき一度会ったきりだからね――そんな彼が、僕に聞いたんだ。お父さんに会いたくないかって」


 その話は初耳だった。とはいっても、逮捕後の拈華は言葉をはなせる状態ではなかった。知らないのも無理はなかった。


「言うまでもないが、拈華の父親は警察官だった。もう亡くなられてだいぶ経つがな」


 大原はうなずいた。拈華の父は警察官だった。しかし、事件の数年前に殉職していた。


「僕は長く入院していたし、お見舞いに来る人はいなかったからね。家族がどうなっているかも知らなかった。だから、その男の話の続きを待ったんだ。すると彼はそっと僕の手にふれた。それが事件の始まりだよ」


 隼人が拳を強く握るのが視界の端に見えた。姉を殺されているのだ。無理もない。


「大原さんや本宮さんにはわかりづらい話かもしれないけれど、僕はそれで初めて感情を持ったんだ」

「――殺人衝動」


 真理が言った。拈華はうなずいて続きをはなした。


「僕は初めての感情を持て余した。男は去り際にこう言ったんだ。『思うままに動くといい。そうすれば、きっと父親に会える。君のお父さんは警察官だからね』って。それで僕は、その日の夜中に病院を抜け出した」

 拈華が言い終わると、隼人は声を荒げた。


「ふざけるな!そんな訳の分からない理由で姉さんを!」

「黙って聞け。でなければ出て行くんだな」

 そう言ったのは風間だった。


「お前らがこの時点で拈華を止めていれば被害者は出なかったんだ!」

「隼人……」

「お前も何か言ったらどうなんだ!」

「……」


 大原の態度に、隼人は顔をゆがめて黙り込んだ。


「本宮の言いたいこともわかる。そうだろ、真理」


 山本が真理に話すよう促した。真理は、バツが悪そうに口を開いた。彼女がこんな表情をするのは意外だった。


「当時、協会では譲二の存在すら認知していなかった。協会は神霊者の保護も業務内容だ。譲二について確認したのは、当時病院の警備員だった山本に同行したときだ」


 そこで、思い出したことがあった。拈華が病院から脱走したことを確認した最初の人間は、警備員の男とコートを着た女だった。


「思い出したか」

 山本が言った。


「あんた達だったのか」

 山本と真理を見て言った。


「その後のことは、みんなが知る通りだね。僕は持て余した感情を父に会うためと理由をつけて、四人殺した。警察の動きは言うまでもないね。協会の方は当時、警備員だった山本さんと、それをスカウトしにきた真理さんの二人だけでこの事件を捜査してた」


 風間に目をやると、

「俺は時々手伝う程度でほとんど捜査はしていない」

 と言った。


「なぜ二人だけなんだ」

 今回の大原のように公にできない仕事ではないように思えた。


「当時、協会は別に調べていることがあったからだ」


 真理の言葉に、隼人は再び声を荒げた。

「お前らみたいな半端な奴らが専売特許のように神霊者の資料をひた隠しにするから、こういう事になるんだ!」


 まぁ、事実専売特許ではあるからな。真理は無遠慮にそう言った。


「このッ!」


 一触即発は空気は、しかし山本の声で打ち消された。

「これが一通りの真相だ。聞きたい事がなければ本宮は退室して構わん」


 隼人は一瞬大原を見たあと、退室するような気配を見せた。しかしもう一度口を開いた。それは大原に向けた言葉だった。


「安頼、もうここを出て東京に戻ろう。新宿での爆発や、事件の事を出せば、協会は潰せる。新しく公安でやり直そう」


 会議室に二度目の無遠慮な言葉がでたが、それを咎めるものはだれもいなかった。そんな中、大原だけが隼人に熱い視線を向けていた。


「まだ、ここを出るわけにはいかない」

「どうして!」


 大原は隼人から視線を外して拈華を見据えた。


「僕になにか」


「ああ。君はあの事件のあと、確かに言葉を話せなかった。警察病院からも後遺症の診断書が出ていた。裁判でも心神喪失者として罰せられなかった。しかし君は今、精神疾患を持つ人間には見えないし、話すこともできる。そして本来なら入院中――出歩くことも禁止されているはずなのに――なぜなんだ」


 隼人の視線を無視して、大原は訊いた。


「『コートを着た悪魔』に会ったから」

 協会の最も有名な噂を彼は口にした。


「どういうことだ」

「まず入院中という事だけど、もちろん僕は入院してるよ。ただ、協会の運営する病院でね」


 病院は名古屋だよ、と拈華は付け加えた。最後に拈華の書類に目を通した時、彼は都内の精神病院に入院していた。転院の話もなかったはずだ。隼人に視線をおくると、首をふって応えた。


「いつ転院したんだ」

「転院じゃないよ。僕は事件が終わって、すぐに名古屋の病院に入院したんだ」

「資料にそんな事はのっていない」

 隼人が言った。


「なんだか取り調べみたい。だけど二人の疑問はもっともだね。でも、それは大原さんも同じじゃないかな」

「どういうことだ」


「例えば、大原さんに会いに来た人がいたとする。昔からの知り合いで、新宿署にきたんだ。受付で尋ねてみると、『転属しました』って言われるんだ。でも、訊くとどこの課にいるかはわかならない。若しくは存在しない部署にいることになっていて、結局その人は大原さんに会えないんだ」


 そうか。『コートを着た悪魔』、その所以は協会の人間に会うと姿を消してしまうこと。拈華の転院が詐称されていたように、自らもまた、協会の手によって姿を消していたのだ。


「わかった?」

「ああ」


 拈華は隼人の表情を確認した後、次の疑問に答えはじめた。


「次の質問だけど、後遺症――つまりは話すことができないこと――それと精神疾患についてだけど、これは同時に解答するよ」


 拈華の次の言葉は、しかし真理によって接がれた。


「さっきも話したが、譲二は感情をもたずに生まれた。後遺症に関してだが、大原、お前はそれをどう見ている」


 口の中に空気が滞留する。なんとも言えないモノが心を支配した。


「別に気にする事ではない。事実、後遺症はお前の考えているようなモノではないしな」

「どういう事だ」

「いいから、お前の考えを話せ」


 真理に言われて、大原は一息に言った。


「あの日、俺は警棒で拈華の頭を殴った。それが原因で脳に障害が残った。話せなくなったと聞いた」

「喜べ。譲二の脳に障害なんて残っていない」


 大原は、見当違いかもしれないが、肩の荷がいくらか軽くなったように感じた。


「説明してやろう。譲二は殺人衝動を起点に、捕まるまでの期間に多くの感情を獲得した」


 もちろん、事件の渦中で得られるモノなど、およそひどいものばかりだがな。そう言葉を切って拈華を見た後、再び真理は話し出した。


「大原、お前の家が代々何をしていたか知っているか」


 あっけにとられながらも、大原は

「鍛冶を仕事にしていたと聞いたことがある」

 と答えた。


「正確には刀鍛冶だ。約八〇〇年ほど続いたな」

 大原はその途方もない数字をはじめて聞いた。


「それが、何か関係あるのか」

「錬身について、茂美から聞いているな」

 世代を超えて繰り返すことにより、その事柄に適した身体になる。大原はそう口にした。


「そうだ。お前がその最たる例なんだ」

 詰問調の言葉が出るのを予期していたのか、真理は手をあげてそれを制止した。


「お前は拈華の頭を殴ったと言ったな」

「ああ」

「感触はあったか。そういう事が起きればだいたいはその感触を覚えている」


 なんと薄情な事か、大原はその感触を覚えていない。

「……いや」


「お前が殴ったのは――正確に言えば切り捨てたのは――拈華の殺人衝動だからだ」


 だから感触がないんだ。真理はそう言った。


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