第二部

第21話

 しばらくついていくと、近所の駐車場に向かっているのがわかった。車にキーを差し込んだところで、山本に拳をなげつけた。大原自身も、どうしていいかわからなかった。


 山本はこちらも見ずに拳をよけたかと思うと、足で雪を蹴り上げた。

「っ」

 きらめく視界に目をそむけた。そこで、腹に一発くらった。


 尻や足元が雪で濡れて冷えるのを感じながら、大原は立ち上がろうとしたが、凍った路面がそれを許さなかった。


 山本がそれを見逃すはずがなく、あてるだけの掌底に大原はふきとばされた。とんでいったさきに雪が積もっていたのだろう。大原は頭から雪をかぶって心底冷えた。


「ここまでだ。もういいだろう」

 そう言った山本に襟首をつかまれ、半ば強引にRX-5に投げこまれた。


 運転席にすわった山本の顔を見ても、不思議と続きをやろうとは思わなかった。

「風邪は引くなよ。ここからが本番なんだ」


 山本は後ろの席からとったタオルとホットの缶コーヒーを大原になげた。

 車は駐車場を抜けて、甲州街道を下りはじめた。


「……これからが本番ってのはどういう意味だよ」

 大原は口をとがらせて言った。


「弓削正義、聞いたことはあるか」

「いや」

「京都支部の支部長だ。彼が今回のすべての根源だ」


 缶コーヒーを開けて、大原は話の続きをうかがった。


「弓削はかつて、不慮の事故で嫁を亡くしてな。遺体は早々に火葬されて、弓削が再会した時には彼女は骨だった」

「……」


「それが祟ったんだ。それから、弓削は一切人を寄せつけなくなってな。変わりによくない噂が立つようになった」

「噂?」


「ああ。不死を実現しようとしているとな」

 口もとに缶コーヒーを運んでいた手がピタリと止まった。


「なぁ」

 いい加減な話はよしてくれよ。そう言おうとした大原の気配を無視して山本は言った。


「適当を言っているわけではない。お前らが戦った黒い巨体。あれは不死の贋作、Hettaoだ」


 大原は何か言いかえそうと考えたが、それはもはや見当違いな気がした。その様子を見て、山本は再び話をはじめた。


「そうは言っても最初はあくまで噂だった。不死やアガルタの研究なんてのはどの省でも取り扱うテーマだ。管轄の関係もある。実害が出るまでは特に気にするものではないと考えていたんだがな」


 そう言った後、一本の電話があった。山本はそう付け加えた。


「電話?」

「そうだ。話を聞くうちに、無視できない状況だと理解して捜査に踏み切った。とんでもない奴らが関係していた」


「……」

「的場次郎と巫礼夫妻だ」

「どう、とんでもないんだよ」


 山本はちらとこちらを向いた後、的場についてはどこまで聞いてる、と言った。


「どこまでもなにも、顔と名前しかしらないな」

「的場は誰よりも確実な方法で不死を実現しようとした人間なんだ」

「……どういうことだよ」


「的場は九年前までは協会に属して不死の研究を行っていたんだ。的場が協会を去る前、最後に発表した論文が、『錬身 れんしんによる不死への到達』というモノだった」

「錬身……」


「ああ。この論文がなんとも解せないモノだった」


 錬身 れんしん――幾星霜を重ね、願い、鍛え続けることによってその肉体は子へと受け継がれ練磨され、その事柄において体内気路 たいないきろの発達と増幅という形で発現する。鍛え上げられた身体は、その事柄に素養のない魂は受け入れなくなる――それが錬身だ、と山本は説明した。


「すぐにわかるようになる。要は代々の生業を同じにする家系はその仕事に特化した体つきになる。それだけだ」

「ふうん」


 それで、どこが解せないんだ。大原が聞き返した。


「今言ったように、錬身とは特定の事柄を何代も繰り返すことによって生まれる現象だ。的場は、それを不死実現のために使おうと考えた。寿命の短い動物――つまりはネズミなんかを幾度となく立つ瀬のない状況に追い込んで、それを何代も繰り返そうと考えたんだ」

「なるほどな」


 そう口にして、思い当たることがあった。


「俺たちのあった、あの黒い怪物は――」

「ああ。恐らく的場が用意したモノだろうな」


 不死の贋作。山本はそう言っていた。相対した化け物は、結局は二人とも自壊していった。おぞましい何かは感じたが、不死にはあまりにも不完全な気がした。


「ただ、的場は倫理観のない人間ではない。論文はあくまで研究テーマに真摯に向き合った結果として発表された」

「なら、歌舞伎町でのあいつらはなんだよ」


 大原はかぶせるように言った。


「協会の傲慢が生んだ結果だ」

「どういうことだよ」


「……九年前、妖精を知覚できる人間を媒介として、知覚できているすべてのモノをデータとして出力しようとする研究があった」


 大原は怪訝な目を向けた。


「別に妖精でなくてもいい。八百万でも、幽精 ジンでも構わん。それらは一種の防犯カメラになると協会は考えたんだ」

「防犯カメラ?」


「ああ。森にひそむ虫を視覚できないように、それら――妖精も我々には見えないだけで、そこかしこに存在しているらしい。その視覚や聴覚をデータに質力できないかと考えたんだ。協会の敵は内外に存在する。その備え、果ては“世界”そのものに干渉したかったんだろう」


「それで」

「協会には当時、Fairy Oneと呼ばれる神霊者がいた。彼女がこの実験の被験者として候補に挙がっていたが、それは妖精 彼らを凌辱する行為だと言って早々に断りを入れた」


 協会もそこでやめておけばよかったんだ。諦念とも怒りともとれる声が吐息がちに山本の口からもれた。


  そしじは少なからず親の系譜に影響を受ける。それをあてにあろうことか、協会は彼女の赤ん坊を奪って実験に使ったんだ」


 山本の握るハンドルから、皮のすべる突っ張った音が聞こえた。


「なあ、そのFairy Oneってのは」

「ああ。巫礼令子だ。奪われた子供は巫礼士時とのあいだに生まれた子供だ」

 愚劣極まりない話に、胸が詰まった。


「それからしばらくして、的場は遅れて実験に参加した。酷薄した異常な光景に憤懣ふんまん やるかたなくなった的場はとうとう赤ん坊を連れて巫礼夫妻のもとに返した。だが、そのときはもう亡骸だった」


 その結果が今の的場だ。そう言ったあと、

「その一件で的場と巫礼は異端者となって海外へ出た。的場の海外での動きはわからないが、巫礼は復讐のために京都に通路 パスをつくった」

 と付け加えた。


「巫礼は、どう危険なんだ」


 山本は少し考えるようなそぶりがあったあと、重苦しく口を開いた。


「……Fairy OneとChroReverti――詳しいことは駒井に聞くんだな」


 突如として、何かを避けるように山本は言葉を濁した。


「今教えろよ」

「駒井は昔、二人とやり合ってるんだ。山梨についたら入院先に電話してやれ」


 納得のいかないオチかただ。大原の溜息を、山本はすまん、と言って済ませた。


「……これまで、何があったのか、おおよその関係は理解した。だが一つわからない事がある。何故それらの因縁が今になって東京で起きてる」

「それだけがわからなかった」

「どういうことだよ」


 山本の答えは、しかし想像とはおよそほど遠いモノだった。

 車はいつのまにか高速に乗り、途中のサービスエリアに停車した。


「少し、休ませてもらうぞ」


 苛立つ大原を、後に入ってきた一台の車が照らした。しかしその車は停車することなくそのまま高速に戻っていった。


 外に出ると、東京とは比べ物にならないほど寒かった。足跡もすぐに雪に消えてしまう。小便からはもうもうと湯気がたった。

 

ゆっくりと降り積もる純白の雪が、ながい暗闇に一抹の光をこぼしていた――



 


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