第18話
その夜、賀茂はマコからもらっている給料と、店の女たちからの援助を受けて購入した、自家用車に近い社用車で遅くまで飲んだ客を自宅まで送り届けていた。
「お客さん。着きましたよ」
助手席に座る男の顔をのぞくと、男は突然万力のような力で賀茂の顔をつかみ、酒臭い口で賀茂の唇をむさぼった。
「ふぅ。君、すれてない感じでいいんだよね。どう、ボクの性奴隷にならない」
とんだ見当違いを口にした後、再び賀茂の唇をめがけて頭突きをするかのように迫った。しかし賀茂は顔を背けた。
「なに。なんでソッポ向くのさ」
男の顔はみるみる赤くなり、
「この淫売のくせに!」
と言って、狭い車内で男の象徴のように拳を高くあげた。
しかし賀茂ひるまなかった。
精一杯クラクションを押し込み、周囲へ助けを求めた。
「このっ!」
二発三発と男は賀茂の顔を殴りつけた。
男はその勢いのまま車を飛び出したが、そこで向こうから来るヘッドライトにひるんだ。
向こうから来た車は異常を察知して停車した。
「なにかあったかな」
黒いピーコートを着た男が車内をのぞいた。
餅のように腫れあがった賀茂の顔を見て、男は自身の車の人間に視線を走らせた。
「あんたらなにさ。個人の話に口突っ込む気?」
客の男はそれだけ言ってさっさと家に引っ込もうとしたが、車から降りてきた男に腕を軽くひねられて、女のような声をあげた。
「な、なにすんだよ!警察呼ぶぞ」
客の男は初めて痛みをしった子供のように大騒ぎした。
そこに男は視界に入るように自身の警察手帳を見せてやった。
「ヒッ――」
「二度とこの子に関わるな。この店にもな」
そう言って男は客の腕をさらにひねり上げ、折った。
客の男の悲鳴をよそに、運転席に向かった。
「君か……」
賀茂を認めると、男はそう言って黒いピーコートの男に目配せした。
「道に気を付けて。それじゃ」
そう言って二人は自身の車に戻り、去っていった。
たんこぶに覆われた不器用な視界に苦労しながら、なんとか店に戻ると、女たちの絶叫が竜巻のように賀茂を取り巻いた。
「あ!あのお客さんにやられたの――」
「マコさん。私、ちゃんと自分を大事にしましたよ」
そう言って、マコは数年ぶりに襲われた事実に涙した。
店での女たちとの触れ合いと経験によって、賀茂は心にあるべき弾力を取り戻しつつあった。
あくる日の二十時少し前。
大原は渡された地図の場所にいた。新宿駅西口方面の居酒屋「さらば」だった。
「お疲れ様です」
「あんたも早いな」
滝沢たちと合流すると、そのまま店に入った。
テーブル席に案内されると、ビールと串の盛り合わせを二つ、と文護は店員に注文した。
元警察とヤクザの飲みとは奇妙な組み合わせだが、現役のころからこういう事はよくあった。もっぱらこちらの卓の料金を勝手に払うなどで恩を売ったり、捜査情報を抜くことを目的としたものだ。そういった経験からか、はたまた習慣なのか、机がジョッキで溢れそうな頃、大原は未だジョッキ一杯をあけていなかった。
「大原さん。俺はあんたに話したいことがあって今日この場に呼んだんだよ」
顔をタコのように真っ赤にした滝沢が言った。
「あんたぁ、なんかあるごとによく俺を捕まえたよな。そんなかでよ、一番最初に俺が捕まったときの事覚えてるかぁ?」
「いや、覚えてないな」
大原はしらを切った。
「俺の彫りモン撮ったんだよ」
ヤクザの死はカタギのそれとは違う。海に沈められたり、顔を潰されたり、焼かれたり。しかし、そうなっても刺青から被害者を特定できるのではないか。これは大原なりの礼儀であり、願いでもあった。
「あんな事する奴はサツの中にはいねぇからよ、心底驚いたよ」
「そうか」
大原はようやくジョッキをあけた。
「そうかってのはなんとも味気ないよな」
「わるいな」
大原は生返事をかえしながら、ビールを注文した。
「だが、そんなあんたが好きだぜ。あんたは俺たちみたいな半端モンと、いつも真剣に接してくれた。そんな警官はなかなかいないぜ」
「警察は大体が偏見をもって接しますからね」
文護がうなずきながら言った。
なかにはそういった連中もいるが、みな熱気が空回りしているだけなのだ。大原はそう思いたかった。
「だからアンタに頼んだんだ」
いつか見た、信頼の色をたたえた目がそこにはあった。
なあ、と滝沢は文護に声をなげた。
文護はうなずき、しかし
「アニキ、そろそろ話さないと。時間もありますし」
と切り出した。
文護がそう言うと、緩んでいた表情の中で目だけをすわりなおして、滝沢は言った。
「……大原さん。明日、ヤツラを獲る」
大原は口もとの二杯目を机に戻した。
「時間は」
「夕方から夜にかけて。一八時頃から動く予定だ」
「場所は」
文護が紙を差し出した。受け取ってみると、場所は西新宿駅すぐのホテルだった。
「何かあればすぐに連絡します」
「マコの店にかけてくれ。そっちの方が都合がいい」
「わかりました」
滝沢に視線を戻すと、先ほどまでの酔った表情は消え失せ、ただまっすぐにこちらを見ていた。
「なんだよ」
「いや。なんでもねぇ」
そう言って滝沢は伝票をとった。
大原が口を開いたところで、滝沢はわかってる、と言った。
各々の会計を済ませて家に着くと、はりぼての重りのような感覚が心に居座った。明日で大方の事に決着がつく。しかしその現実に実感がわかなかった。
そんな感覚を見つめながら、床についた。
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