第10話
おぼろげな視界の中に、雨だけが降りそそいでいる。季節の色を反射するその雫は、まるで
身体を叩かれるたびに、いくつもの声が耳元でこだまする。
『きゃ――はな――!』
『警察です。近隣から通報がありまして――』
『ぜひ、よってください。よろしくお願いします』
『今回の件、やり方は他にもあっただろうが、君だけの責任ではない』
『私たちは、宮村一家と抗争になるかもしれません』
『わかれよ大原さん。やつらはこっちの餌につられて握ったんだよ』
『ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ!』
『いや、聞きたいことがあるわけじゃないんだ。安頼には何もしないでほしいんだ』
『――大原さん、あなたは、悪い人だ』
遠くからかすかに電子音が聞こえる。思えばさきほどからずっとなっていた気がする。電子音の輪郭が鮮明になってくる。そこでようやく、その音が電話のコール音だと気づいて目が覚めた。
布団から出て、下着姿のまま電話を取ると、声の主は滝沢だった。
「よぉ。何度もかけてるんだぜ」
「取り調べは終わったのか」
「ああ。銃と刀は取られちまったが、あとは無罪放免だとよ」
滝沢の言葉に冗談を言っている気配はなかった。しかし、昨日の廃ビルでの一件で死者は三名出ている。武器の押収だけで済むことなどありえない。
「どういう事なんだ」
「握りすぎだぜ」
「え」
「受話器を握りすぎだって言ってんだよ。ギチギチおとがしてる」
受話器を見てみると、握る指が赤くなっていた。
「ああ、悪い」
「……まぁいいけどよ」
「それで、何もなしに出されたわけじゃないだろ。何があったんだ」
「何もなしだ」
おい――。言いかけたが、滝沢はさえぎって言葉を続けた。
「あるとすれば、コートを着た男が外に出してくれた、それだけだ」
「誰だ」
「
知らない名前だった。
「それで、なんの用事でかけてきたんだ」
「ああ。まあおおかた今話した内容が用事だったんだが。まあ、そうだな、詳しいことは事務所で話そう」
「わかった。昼頃になるが、いいか」
「ああ。それじゃ」
朝支度を済ませて協会に向かう途中、どこかから視線を感じた。視線をはがそうと道を変え、店に寄り、遠回りをして協会に着いたが、視線がはがれることはなかった。
支部長室に入ると、いつも通り書類に目を通している支部長の姿があった。
「遅かったな」
資料越しに空疎な声が飛んできた。
「ええ」
「何かあったか」
「いえ。どうも疲れているようです」
どうにも、先ほどまでの見られているような感覚について語る気にはなれなかった。
「だろうな」
支部長は資料を机におき面をみせた。
「西村組とつるんで好き放題していれば休む暇もないだろう」
「どういう事ですか」
「君を野放しにしすぎたと言っているんだ。捜査の都合上、組の情報が必要なこともあるだろうが、どうして行動を共にする必要がある」
支部長の言葉には冷淡な語気が含まれていた。
「挙句の果てに警察に捕まるとはな。古巣はさぞ居心地がよかっただろう」
「今日呼び出したのはこのためですか」
「違う。君に相方をつける」
「俺とは誰も組みたがらないんじゃないですか」
初日の揉みあいで、大原の噂はよくなかった。
「そうだ。だからちょうど君みたいに一人でいる人間を呼び寄せた」
ポケットに手を突っ込んで姿勢をくずした。
しばらく待っていると、ノック音が部屋に響いた。
「入りたまえ」
一拍おいてから、扉は控えめにあけられた。隣に並ぶように進んでくるその姿は幼く、どこか空虚で傷んだ印象があった。
「京都支部から転属してきました。賀茂星江です」
消え入りそうな声だった。
赤い髪を三つ編みにして、二つにおろしていた。サイズが合っていないのか、窮屈そうな黒いスーツに、濃紺のダッフルコートとくたびれたサッチェルバッグを手にさげていた。
「君たちは今日から二人で組んでもらう」
「まってくれ。この子、年はいくつなんだ」
「一五だ」
「ガキのおもりなんて付き合えるかよ」
「何を言ってる。おもりをされるのは君だぞ」
なんだと。隣の少女を見下ろした。少女は下を見るばかりで縮こまっている。こんなのが俺のおもりだと。
「彼女は若いが、協会の知識は十分にある。それに、報告もなしにヤクザと組むこともないだろう」
大原は舌打ちをした。
「……あ、あの」
少女は申し訳なさそうに声をあげた。
「なにかね」
「私と、大原さんはおなり、ということですか」
「そうだ。送った資料の通りにね」
「おい、何の話をしてるんだよ」
大原は横槍をいれた。
「そういうところだ。彼女は、君がしらない協会の知識のサポートと監視を務める。そういう意味でおもりをされるのは君なんだ」
協会の知識など、転属してから一度も問われたことはない。捜査の中で不自由したこともない。どうせ今回俺が捕まったので支部長も小言を言われ、対処を求められた結果がこの少女なのだろう。まぁ、適当に言いくるめればいいだろう。
しかし、こんなところにその若さでいるとは、なんとも哀れだ。
「わかりました」
「そうか。彼女には一日の終わりに君とどこで、誰と、どんな捜査をしたのか毎日報告してもらうことになっている。まさかとは思うが、適当にあしらう様なマネは慎んだ方がいい」
大原は再び舌打ちをした。
「他に話は」
「ない」
そう言うと、支部長は再び資料に目を落とした。
「支部長、協会に駒井謙三って名前の人間は」
支部長は目線だけをこちらに向けた。
「それは私だ」
「は?」
「私が駒井謙三だ。昨日のチンピラどもから名前を聞いたのだろう」
「……ええ」
「礼がしたいとか言って、名前だけでもと古臭いことを言われてな」
「アンタが滝沢を外に出したのか」
支部長は再び資料を机に戻し、こちらを向いた。
「もう一人もだ。必要だから彼らと組んでるのだろう」
「……ええ」
意外だった。
「必要だから出したまでだ」
もういいかね。そう言うと、支部長の顔は再び資料にさえぎられた。
三年前の事件。協会は関わっていたのか。しかしその言葉は、首元から上がることはなかった。
「失礼します」
そう言って大原は部屋を出た。
事務所に着くと、驚嘆の視線を浴びた。
「後ろのお嬢さんはどちらさんだい」
最初に声をあげたのは滝沢だった。
「監視役らしい」
賀茂を横目に言った。
「それで、話ってのは」
「ああ。昨日の一件、あんたが来るまでにできるだけ調べまわったんだが、川井はまずシロだった」
「あの日、昨日の今日で川井から連絡があったのは、コチラとしても疑っていたんです。警察が来るタイミングも図られたようだった」
そう言いながら茶を出してきたのは文護だった。
「お嬢さんは、紅茶がいいかな」
「あの……お気遣いなく……」
賀茂は小さく言った。
「川井にあの日の話を聞きに行ったんだが、文護に連絡してからしばらくして警察が来たらしい。そこで警察に廃ビルの話をしたみたいだ」
なるほどな。前に握らせた情報から大本をたどる形で川井に行き着いたのだろう。
「他にわかった事は」
「特にはないな。なあ大原さん、昨日の男はアニキを殺した奴だと思うか」
「思わないな。あれだけの腕力があれば銃を使うこともないだろう。しかもアイツは、以前シマを襲ったやつと同じタイプだろう」
異常な力を発揮したかと思えば、途端に事切れる。宮村一家はいったい、どんな人材育成をしているのか。
「この後、どうする」
所在なげに滝沢は言った。
「そうだな……」
三木殺害の犯人は、姿を現すまでこちらでできることは限られる。マコに関しても、店の女たちの情報はチサから繋がりをたどれなかった。手掛かりになる風俗店の書類も摘発の日に押収されている。正直、できることは少ない。
「あの……現場を見て回らせていただく事は、できますか」
声をあげたのは賀茂だった。
「探偵ごっこには付き合えない」
そう言った大原を、いや、と制止したのは文護だった。
「まったく新しい目線も必要かもしれません。マコの捜索も、男性では気づかないモノがあるかもしれません」
滝沢に視線を向けた。
「正直こっちはお手上げだからな。回ってやったらどうだ」
まったくめんどうだ。
「なにかできるのか」
賀茂に冷たく言った。
「……」
賀茂は黙り込むだけだった。
なんともやりづらい。最近のガキはみんなこうなのか。
「わかった、わかった。行くならさっさと行こう」
そう言って席を立った。
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