第4話
スナックを出て、近くの公衆電話にはいった。
『……はい』
か細い声だった。
「チサだな。ミキの紹介でかけてる」
『あの……どちら様でしょうか』
ゆったりとした口調だった。
「……署の大原だ」
新宿署、と言うのはばかられた。
『警察の方ですか』
「そうだ。昨日の摘発についていくつか聞きたいんだ」
『はぁ……。どういったことでしょうか』
「マコ、という名前に聞き覚えはあるか」
『まこ、マコさんですか?』
「そうだ、君やミキと同じ店で働いていた子だ」
『マコさんがなにか』
「摘発の日から行方不明になっている。探してるんだ」
『そうですか。それはそれは』
大原はチサのイモムシのようなテンポに苛立ちはじめていた。
「急いでるんだ、なにかしっていることはないか」
『そうですね……、たしかあの日、隣のビルに飛び移る人の影を見ました』
恐らく大原の事だろう。
「そうか、そのあと何か見なかったか」
『えっと……』
受話器からブザー音がきこえて、大原は十円玉をいくつか追加した。
「公衆電話からかけてるんだ。急いでくれ」
『まぁ、そうでしたか。そのあとですと……大きなカバンを持ったような人影が隣のビルに飛び移るのを見ました』
恐らくマコだろう。
「その人影が、そのあとどうなったかは見えたか」
『ええ、見えましたよ。その人影は隣のビルで何人かの人影に連れていかれました』
マコがだれかに連れ去られた?
支部長とママの話では西村組と宮村一家がマコを探しているとは聞いていた。他に動いている奴がいるのだろうか。それともどちらかのブラフか。
「その人影にわかりやすい特徴はなかったか。男か女かだけでもいい」
『さぁ……なにぶんはなれていましたから』
「そうか」
『あ、すみません』
「なんだ」
『いえ、いまインターホンが鳴りまして』
大原は溜息をついた。
「かけなおす」
そう言って受話器を戻そうとしたところで、物音が電話ボックスに響いた。
「おい、どうした」
受話器に耳を傾けると、いくつかの足音と物が倒れるような音が聞こえた。
『きゃ――はな――!』
どたどたと暴れる音が続いたあと、電話はプツリと切れた。
大原は電話ボックスを飛び出してチサのもとへ向かった。
ミキからもったメモには、百人町の『アン・サルワーレ』というアパートがチサの住所だった。歌舞伎町を抜け、北上する様に線路沿いを走り、新大久保を抜けた。
アパートは新大久保駅からすこし入った百人町二丁目にあった。郵便受けとミキのメモを確認してチサの部屋の前に立った。
中の様子を伺うと、中からシャワーの音が聞こえた。ドアノブに手をかけると、カギはかかっていなかった。数センチだけドアを開け、中を覗くと、人影は見当たらなった。
……はいるか。
大原はチサの部屋に入った。
部屋の様子を確認すると、右手に台所、正面にリビング、その奥にベランダ。左手にはすりガラスのドアとリビングから吹き抜けになっている部屋が一つあった。
シャワーの音はすりガラスの方から流れていた。台所には切りかけの野菜がおかれ、リビング近くの電話機からは受話器が垂れたままにされていた。
すりガラスのドアを開けると、そこはユニットバスだった。バスタブはカーテンが引かれ、シャワーのつくる影だけが見えた。
「……開けるぞ」
目を背けそうになった。
カーテンを開けると、窮屈そうに手足をたたんでバスタブにうずくまるようにしている女がいた。シャワーを止めて、女の脈をはかったが、意味はなかった。
「……」
助けられなかったことからなのか、手掛かりを失ったことからなのか、大原の中には判然としない苦虫のような味が色となってにじんだ。
しばらくして、大原はチサの部屋から隼人のいる本庁に電話した。
帳場の設置に伴い、隼人は新宿署にいるとの事で、新宿署にかけなおした。交換手との会話のあと、隼人に事情をはなした。
『安頼の立場はすこしグレーだからな。むかえにいくから大久保通りに出てくれ』
「いや、まだやることがある。ここの処理だけ任せる」
『おい、安頼――』
電話を切って、アパートを後にした。
来た道を戻るように大久保通りから線路沿いを通り、歌舞伎町へ戻った。向かった先はさきほどのスナックだった。
スナックのドアに手をかけるとカギがかかっていた。
時間は恐らく二十一時あたりのはずで、あいていないのは妙だった。しかたなく裏口を見に行こうと足を動かしたところで、靴に粘ついた感触が残った。
足元を見ると、焦げた赤色のようなものが中から染み出てきていた。
「おい!いるのか!」
裏口の引き戸に手をかけたが、こちらもカギがかかっていた。
中から返事はなかった。なかの様子に耳を傾けると、何かかがはじけるような音が聞こえた。大原は引き戸のすりガラスをけ破り、カギを開けて中に入った。
大原の目の前には、何かから守るようにこちらに背を向けて倒れているママと、正面のドアに手を伸ばすようにして倒れているミキの姿がうつった。
あたりを見回すと、奥のトイレから火が出ていた。大原はカウンターの黒電話で消防を呼ぼうとしたところで、正面玄関から声がした。
「警察です。近隣から通報がありまして――」
「火事だっ」
大原はやむなくそれだけを言い残し、スナックをあとにした。
家に帰る途中、スナックの二人を思い出していた。チサが襲われた時点で、すぐにスナックに連絡すべきだった。戻るべきだった。
靖国通りを通って外苑東通りに出た。
二本目のタバコを口にあてがったとき、手が震えていることに気がついた。いつもより丁寧に火をつけ、濃度の薄い煙を吐き出した。
煙は、外苑東通りを走る車たちにまかれ、むなしく消えていった――
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