栃木妖怪研究所

第1話 蛭

 実家から西に数キロ行きますと、一級河川が流れております。

 その辺りが町では一番土地が低い所となり、その川を渡ると田園や森林や農家が続きます。

 そこからは、隣町との界まで、食品雑貨店が一件あるだけで、人家もまばらになります。 何キロも続く広葉樹の森があり、時々森が開けると神社があったり、周りから目立たない様に作られた隠田があったりします。 

 

 一年を通して、森の中は気持ちの良い物です。

 春は芽吹く木々が気持ちよく、色々な花が咲きます。

 夏は虫の苦手な方は駄目かもしれませんが、田舎の子供は虫好きが多く、オオムラサキやタテハチョウなどの蝶やカブトムシやクワガタムシ、コガネムシなどの甲虫類、凄まじい勢いで鳴く色々なセミ達。スズメバチやオニヤンマなど虫たちの世界になります。

 秋になると、一気に紅葉して森が賑やかとなり、虫の声も夏とは全くかわり、コオロギや鈴虫、クツワムシ等が一斉に鳴き始め、寒くなったなと思う様になると虫達の鳴き声も消えて、森は落葉し、光が入って冬の明るい森に変わります。

 冬は下草も笹くらいになってしまうので、森の見晴らしがよくなり、かなり奥の方まで見る事が出来ます。ほぼ毎日晴天が続く冬は、寒くて乾燥した北風が、森の木の葉を吹き飛ばすので、森にいても風を避ける物が無くなります。


 そんなある日。中学生の頃でした。森の道を自転車で走っておりましたら、いつもは行かない北側の森の奥に、何かコンクリート製か、石造りの様な、建物にしてはかなり小さい何かが見えました。

 その日は用事があったので、なんだろう。とは思いましたが、そのまま通過しました。


 数日後、日曜日でした。家でゴロゴロしていたら、不意にあの変な物はなんだろう。と気になりはじめました。


 よし、友達と行ってみよう。と、昼食のカップラーメンを食べながら、幼馴染の同級生に電話を入れました。

「おう。俺だけど。暇か?」

「あ、暇。親とつまらないテレビ見てる。」「あのさ。変な物見つけたんだよ。見に行かね?」

「またかよ?お前が見つけてくる変な物って、ヤバい奴ばかりじゃん。」

「怖いのか?」

「怖くねぇけどさ。今からか?」

「今から。」

「じゃ、3時に行くわ。用事あっから。」

と、いうやり取りがあり、3時に彼は家に来ました。

「急がないと暗くなるから、早く行こうぜ。」と、急ぎ自転車で橋を渡り、私が見かけた森の道に入って行きました。

 それが見えた場所までは、自転車で行き着く事が出来ず、近くの林道に自転車を停めて、森の中に入っていきました。


 すると、その目的の物は、大きな下水管を縦に地面に刺した様な物でした。直径は1メートル位。地面から、1メートル以上は出ている、コンクリートというより陶器の様な物でできている物でした。

 中を覗いてみると、入口から何層にも蜘蛛の巣が張ってあり、大きな女郎蜘蛛が何匹もいます。友達が、

「蜘蛛、邪魔で中見えねぇな。」と、落ちていた木の枝を突っ込んで、蜘蛛の巣を掻き回しました。すると、まるで綿菓子の様に、木の枝に蜘蛛の巣が巻き付き、綺麗に取れてしまいました。

「何か見えるか?」と私が聞きました。

「なーんにも見えない。これ、深いんじゃね?」と、言いながら、友達が持っていた枝を下に落としました。すると、ジャボン!と言う水の音と、ザザザッという、何かが動いた音がします。私が、

「これ、井戸じゃないか?」と言うと、友達は、

「俺もそう思ってた。下は多分水だ。でもなぁ。」

「何だよ。」

「何の為にあるんだ?ちょっと気になるから、その辺に石ないかな。」と言います。「石?どうするの?」

「今な。木の枝を落としたろ。水の音がするまでに2秒以上かかったと思うんだ。物が落ちる速度って9.8m/秒だろ。木の枝だから、空気の抵抗とか、壁に当たったとしても、20メートル以上深いって事だよな?そして大量に蜘蛛の巣が張っていたと言う事は、何物もしばらくは出入りしていない。って事だろ。もう一度、今度は空気の抵抗を受けにくい石を、壁に当たりにくい真ん中辺りで落として、時間を測ってみようと思うんだ。」

「なるほどな。流石理系を目指す豆ちゃん。さすが!」


 友人は、栃木県には結構ある苗字で、大豆生田君と言います。読めない方が多いですよね。これで「オオマミュウダ」と読む方と「オオマメウダ」と読む方がいらっしゃいますが、友達は「オオマミュウダ」君と言います。苗字が長いので、友人も担任の教師も「オオマメ」とか、「マメちゃん」などと読んでいます。当時の私達は、身長は同じぐらいで168センチ位。中学2年では、やや背の高い方でした。

私も彼も痩せ型で、趣味は違うのに会話が合いました。彼はなんでも科学的に考えるのが好きな奴で、気象から地学、工業、建設物、物理、化学、生物、宇宙何でもありの、歩く科学辞典の様な奴でした。

一方私は、歴史、古文書、伝奇伝説、ミリオタで虫オタで模型オタ。一人の時はムーを読んでいるか、歴史書を読んでいるか、プラモデルを作ってばかりいる中学生でした。

全く趣味が違う様で妙に話が合いますので、いつも二人で行動する事が、小学生の頃から続いておりました。


「こんなのでどうだ。」と、私がピンポン球位の石を見つけました。

「お、いいんじゃね。では、落としてよ。あくまでも自由落下だから、投げ入れるなよ。」

「わかった。では。」と、手を伸ばして、豆の合図で石を投下しました。

「1、2、さ」迄行かない位でジャポン。と音がしました。そしてまた、ザザザっと言う音。

「3秒はなかったな。25メートル位下に水があるって事か。」と、豆が言いました。

「それよりさ。毎回、ザザザっての何だ?コウモリでも居るのか?」と私が言うと、

「いや、コウモリじゃないだろ。だって蜘蛛の巣がびっしり張られていたから、仮にコウモリが出入りしてたら、蜘蛛の巣は張れないよな。」

「そうすると、大量にこの暗闇の土管の縁に、カマドウマとかゴキブリとかがへばりついているのか?下は水だろ。餌は共喰いだとしても、ずっと壁面って変だな。」と、私が言いますと、豆が、

「もっと石ぶち込んでみたら、虫か何か出てくるんじゃねえか?」と、彼には珍しく乱暴な事を言います。

「よし。やってみるか。もう夕方だし。」と、二人で小石を集め、

「第一次攻撃隊。ただ今から爆撃します。」などと言って、わあわあ言いながら、次々と石を投げ入れました。中からジャバジャバと音がしていたのですが、直ぐに石も無くなり、さて、帰るか。と目配せした時でした。

 

 その井戸のジャバジャバ音が止まらないのに気づいたのです。二人で顔を見合わせ、

「近寄って中を覗くか。」と言いながら、二人とも一歩も近づけない程、恐怖を感じていました。

 なぜなら、ジャバジャバ音がどんどん上に上がってきた様に聞こえたからです。

 

 そして次の瞬間、真っ黒い、枕位の泥の様な塊が、突然井戸から飛び出し、私の顔目掛けて飛んできました。ギリギリで避けたところ、第二段がまた出て来て、今度は豆をめがけて飛び出しました。豆は顔を擦り避けて、大きな木の後ろに隠れました。

 もうジャバジャバ音はしませんが、また飛び出てくるんじゃないかと、しばらくそれぞれの木の後ろに隠れておりました。


 もう音も何もなく、出て来ないようなので、今のうちに逃げようと、木を回りますと、私達をめがけて飛んできた泥の塊は、潰れて木に張り付いていました。

 

 良くみると、泥ではありません。何か生き物の塊です。ウジャウジャと蠢いています。それは蛭でした。大量の蛭が、真っ黒になって、まるで生麺の様に絡み合い、蠢いているのです。思わず、

「うげ、気持ち悪い!」と私が言って、豆の顔を見ますと、豆の左の頬に何か付いています。真っ黒い5センチ位の蛭です。

「豆、蛭が顔に付いてる!」と、私が叫ぶと、豆が、蛭をむんずと掴んで引き剥がしました。しかし蛭は簡単にはとれません。頭部と尾部に吸盤を持ち、皮膚に吸い付いて、前部の吸盤の真ん中に鋭利な歯を三本持ち、皮膚をY字型に切り裂いて吸血をします。よく釣り人等は、蛭が吸い付くと火のついたタバコを近づけると熱くて逃げますが、私達はタバコなど持っていません。

 無理矢理引き剥がした豆の左頬に、血が垂れておりました。

 

 その時、私達二人は、お互いの悪い癖が出てしまいました。豆は、

「この生物はなんだ?なんで飛び出して来たんだ?どうやって飛び出せたんだ?」という事が気になり、私は、

「これは山蛭じゃないな。チスイビルの様だけど、団子になる習性なんてないよな。しかも井戸から飛び出てくる?何かで採取して、調べてみたい。」と、恐怖はどこへやら。

 

 二人とも、もう日がかなり傾き、西の空がどす黒い赤に変わって来ている事も気にせず、ウニャウニャと蠢く黒い塊を観察しておりました。

 そして日没となった頃でしょうか。蛭達の動きに目的がある様に、塊が段々と二つに別れ始めました。

「なんだろう?」と、見ておりましたら、いきなり二つの塊に別れた蛭の間から、目玉が出て来て、私を睨んだのです。同じく隣でもう一つを観察していた豆も同時だったのでしょう。「ひや!」っと声をあげて、飛び上がりました。


 二人の目が合いました。何も言えませんでしたが、お互いに言葉が届いたのです。

「逃げろ!」

 

 そのまま無我夢中で森を抜け、自転車を夢中で走らせました。後ろから蛭の塊が追って来るというより、あいつに顔を見られた。という事が、物凄い恐ろしい事になるんじゃないか。と思うと、とにかく逃げたい。という気持ちで一杯になっていたのでした。 

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