第25話 ネル

 アタシは我慢することを辞めた。


 眠くなったら寝る

 8時過ぎに起きる

 遊びたくて遊ぶ

 お腹減ったらご飯を作る


 そんな怠惰な生活を繰り返すうち、こういうのも悪くないな。と最近は思い始めている。


 でも、そんなアタシにはひとつだけ、叶えられないと諦めた夢がある。


 我慢すると決めた欲がある。


 それが私の 初恋


 第25話 episode ネル ① 『恋』


 この恋に自覚を持ったのは勝文さんが風邪を引いた日だった。


 トエルちゃんが勝文さんのことが好き。ということは初めて会った日から分かっていたつもりだった。

 アタシはその恋を応援するつもりだった。


「ト、トエルちゃんは勝文さんのこと好きなの?」


 今思うとこんなことを聞いてしまったのは、まだ一縷の希望に欠けていたのかもしれない。


 トエルちゃんが勝文さんが好きだということが決定的になった時。アタシの胸はズキっと痛む感覚がした。


 その時確信した。アタシはトエルちゃんが好きなのだと。


 それまでは友達に抱く感情だと思っていたものが、好きな人に抱く感情であると気づいた。


「……応援してるからね!トエルちゃん!」


 これはアタシがついた初めての嘘だった。


 ◆◇◆◇


 そこからはひたすら我慢の日々だ。

 好きな人が好きな人と結ばれることを願い、協力した。

 彼女達が口移しなんてことをした時はそれはもう胸が張り裂けるくらい苦しかったけれど、我慢し続ける。


 アタシは元々、我慢するのは得意だった。

 この感情も胸にしまって、一人で傷つくことも問題ではなかった。


 でも、あの日から私は、我慢しないことを覚えてしまった。


 この感情を表に出し、襲うことまで考えはじめてしまった。


 一夜だけでもいい。彼に向かった感情をアタシに向けてくれないものかと願った。


 でも、理性はそれを許さない。

 そんなことをしてしまっては誰も幸せにならない。


 幸せは尊いものだ。

 好きな人には幸せになってもらうべきだ。

 たとえ自分と結ばれることはないとしても、好きな人のために動くことは幸せなことなんだ。

 みんなが幸せになることが一番いいことなんだ。


『本当に?』


 そんな言葉が心の中に響いた時、

 アタシはここにいてはいけないのだと悟った。


 ◆◇◆◇


「勝文!勝文!!」


 トエルがノックと同時に扉を開ける。

 ノックの意味は?と問うより先に、トエルは慌てて用件を話しはじめる。


「ネルちゃんが!家出した!!」


「は?」


 ◆◇◆◇


 急いで俺はリビングに向かう。

 先にレインがいたようで神妙な面持ちで座っている。


「おうレイン。マオは?」


「マオくんは寝ているよ。マオくんはネルくんに懐いていたし。まだ子供だ。このことはまだ伝えるべきではないと判断した。」


「そうかわかった。それで?家出したってのは本当か?」


 俺がそう聞くと、レインは一枚の紙を俺に見せてくる


『 天雷家の皆さんへ

 直接伝えることができなくてごめんなさい。

 アタシはこの家を出ていくことにします。

 みなさんに非があるわけではありません。

 全てアタシの問題で、アタシが決めたことです。

 料理に関しては裏面にレシピを書いておいたので"レシピ通り"に作ってください。

 身勝手でごめんなさい。

 みんなと過ごした日々はアタシにとって1番の幸せでした    

 ネル 』


 これを読み、俺は片手で頭を抱える。


「朝起きたらこの手紙がリビングの机にあったの。私も理由がわからないけど家出したっぽくて……」


「おかしいだろ……」


 俺はみんなの事をよく見ていたつもりだった。

 精神が参っていそうなときは、それとなくフォローするように心掛けていたつもりだった。


 ネルの家出はあまりにも唐突のように俺は感じる。だが、こうして振り返ると思い当たる節がある。


 ここ最近のあいつのテンションがいつも以上に高かった。自分を出すようになっていた。


 俺はその事をいい兆候だと考えていた。

 それが間違いだったのか?

 あれはネルの最後のワガママだったとでもいうのか?


 頭の中で後悔の念がぐるぐると回る。


「……あれ?」


 トエルが何かを疑問に思ったようだ。

 今は後悔している場合じゃない。

 目の前のことに意識を向けよう


「家出をするってことは、精神的に何か思うことがあったってことだよね?なら勝文のところにへラッカしてこないのは変じゃない?」


 確かに。盲点だった。こいつらは辛くなると空高くにワープし、俺の元へと落ちてくる。

 正確にいうとマオだけは違ったはずだが、それはいい。


「それに関してはいくつかの可能性がある。一つ目は精神的には何も問題がない可能性。例えば鍛えるために修行に出た。とかだね。」


「二つ目は何かしらの方法でへラッカしなくなったという可能性。これはボクですら方法が見つかっていない以上可能性は薄いと思う。」


「そして三つ目。これが本命だね。ほら。この手紙に全てアタシが悪い。全てアタシが決めたこと。とあるだろう。」


 俺はレインの説明を静かに見守る。


「これはつまり。へラッカ現象は誰かに助けを求めていないと発動しない。という説だ。」


 レインは確信めいた表情で告げる。


「根拠は?」


「はっきりとしたものはない。でも感覚がそう告げている。トエルくんもそうは思わないかい。」


「うん。不思議と納得した。多分これはそういうものなんだってしっくりきた」


 なるほど、へラッカの機能を持つ二人がそう思うということはそうなのだろう。


 へラッカは誰かに助けを求めるための機能である。俺はそう定義付けることにした。


「さて本題に戻ろう。ボク達はネルくんを探しにいくべきか。という話だ。」


「どうして?探す以外の選択肢があるの?」


「いや、へラッカをしないということは、この家出は本人が望んでいる。ということだ。無理に探しにいくことはかえってネルのためにならない危険性がある」


「そうだね。ここは慎重になるべきだ。」


 俺とレインはどうすればネルのためになるのか、必死に頭を悩ませる。


「探しにいけばいいじゃん」


 トエルがそうぽつりと呟く。


「いや俺たちの感情だけで決める問題じゃ」


「そうじゃない!」


 トエルは机を叩き立ち上がる。


「ネルちゃんは自分勝手に家出した!自分のために家出した!!なら、私たちも自分の気持ちに正直になって答えるべきじゃないの!?」


 トエルは激昂した。

 これは、ネルのためを思って怒ったわけではない。

 これは、自分の感情を、ぶつけるために怒ったのだ。


 ネルが俺たちと一緒にいたくないと考えたように、俺たちはネルと一緒にいたいと考えた。

 ネルはその思いを手紙で一方的にぶつけたが、俺たちはこの思いをまだネルに伝えられていない。


 こんなものは不公平だ。俺たちの気持ちもネルに知ってもらいたい。


「そう考えたら俺もムカついてきたな。よし!こうなったら何が何でもネルを探しに行って俺たちの思いをぶつけるぞ!!」


「そうだね。ボクもそう思う。さて。どうしようか。現状彼女の位置を特定する方法が見つかっていない。」


「なに、簡単なことだ。身体能力が人並み外れで、あんなに美人な人間。SNSで話題にならないわけがないだろう?」


「あれ?でもレインが入居した時にはなぜか私たちの情報はネットに転がってないって言ってなかった?」


 トエルは焼肉の時の話を覚えていたようだ。


「あぁ。そのことなんだが、不思議なことにお前らが俺の家に来た日以降の情報なら、ネットにで始めていたんだ」


 俺はそう言って二つのネットニュースの記事を見せる


『不正?めちゃくちゃ当たる長野の宝くじ店について』


『どうなってるの?不思議な機械とゲーム実況をする謎の美人の正体とは!?』


「うわっこんな記事になってたんだ。なんか申し訳ない」


「まぁ。宣伝になってるからいいんじゃないかい。」


「……ビンゴだ。今SNSで 『めっちゃ硬い ギャル』で検索したところ上田で複数の目撃情報を発見した」


「なんか卑猥な検索に聞こえる」


 ネルのスピードを考慮するとさらに遠くに行ってしまう可能性がある。早く行かなくては。


「上田なら松本から2時間もありゃ着く。行くぞ!!」


「待つんだぞ」


 天井からマオが現れる。まずい聞かれていたのか。


「我を仲間外れにしたことは不問とする。我のためを思ってなのは理解できるからな」


 ネルが大人の対応をしてくれる。子供なのに。


「だが、今から貴様らは、ネルに対して、遠慮なく自分の思いをぶつけにいくんだろ?なら、我にも遠慮しないでくれ。我にもネルに伝えたいことがたくさんあるんだ。ついていくんだぞ」


 マオの声はとても凛々しく、魔王であるということを証明するかのようだった。

 きっとそれだけの覚悟があるのだろう


「悪かったな。ついてこい!!いくぞ、いざ上田!!」


「おー!!」

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