第32話 金色の剣

 全力で嫌がる体を意志の力でねじ伏せて、本能的な恐怖を感じるほうへと走っていく。

 途中、逃げる人々とすれ違うけれど、動けずにへたり込んでいる人たちも多く見かけた。

 妖怪の「気」にあてられたのだろう。



 ドッガーッン!!



 大分近づいて来たかと思ったその時、近くの建物が派手な音を立てて崩壊した。

 土埃が舞うその中に、薄っすらと見える姿。


 ヴーグルルゥ


 犬のような唸り声。牛のような巨体の全体に、ハリネズミのような毛がびっしりと生えていて、背中には蝙蝠のような羽根まで生えている。

 学校で何度も習った。この妖怪は恐らく「窮奇きゅうき」。

 最悪なことに、人を食べる種類の、妖怪だった。



 窮奇は私と梓翔がいることに気が付くと、飛び掛かろうとするように、グッと四肢ししに力を入れた。


梓翔ししょう! すい!」


 その私たちの前に、俊華しゅんか蒼蘭そうらんが駆けつけて立ちふさがってくれる。


「梓翔。あの辺りの家に、まだ人間がいる。避難させてくれ」

「だから蒼蘭! 俺は仙具の腕輪を持ってんだよ! お前は何も持ってないんだから、お前のほうが住人を避難させろ。俺が戦う」

「大丈夫だと言っただろう」


 そう言った途端に、蒼蘭の体の輪郭が、グニャグニャと崩れ始めた。

 瞬きしている間に、蒼蘭が八尺はっしゃく――優に大人二人分の大きさはあるかという、虎に変化した。


「はあ!? 蒼蘭お前……その姿」

『俺は人虎じんこだ。生まれながらに仙人だから、心配するな』

「なんだそれ、お前だけずりぃ!!」


 梓翔のその言葉に、虎になった蒼蘭がグルルと笑った気配がした。

 予想していた通り、梓翔は羨ましがりこそすれ、迫害することなんてありえない。

 だけど蒼蘭があれほど正体を明かしたがらなかった気持ちも、今ならば分かる気がした。


 エリートでも……エリートだからこそ、誰かを陥れよう、蹴落とそうとする人も世の中には……大学にも、きっと何人かいるのだろう。

 大学を去っていった飛宇ひうや、先日までの俊華のように。



「俊華! いくらお前が武術の達人でも、普通の剣じゃ戦えないだろう。俺と代われ」


 蒼蘭と役目を交代することを諦めた梓翔は、今度は俊華に代わりに人を助けに行くように言った。

 俊華は無言で、構えた剣に気を通した。全身全霊で。

 立ち上る気が湯気となって見えるほど、剣に気を送り続ける。


「俊華、無理をしないで。一度にそんなに気を流したら、剣が壊れる!」

「そんな柔な剣じゃない」


 一度に大量の気を送り込まれた剣は、剣身が熱く真っ赤になっていた。

 今にも崩れないか、壊れないか、不安になるほどに。


「分かった! 僕の仙具の匕首あいくちを貸すからもう……」


 だから無理するのはもう止めて。そう言おうと思ったその時。


 パリ―ン!!


 と音がして、何かが飛び散ったように見えた。


 ――ああ! ついに剣が壊れて飛び散ってしまった!


 そう思って見てみたら、不思議な事に、俊華の持っている剣は、まだ剣身は欠けることなく、完璧な形で残っている。

 金色の光を放ちながら。


「金色の剣……綺麗」


 俊華の得意な仙気、五行のうち「金」の気を纏った剣。

 私にも分かる。これは既に「仙具」だ。


「これで文句あるか?」

「……いや」

 黄金に光る剣を見ながら、梓翔が言った。

「蒼蘭、俊華、頼んだぞ。俺たちが住人を避難させるまで、足止めするだけで良い!」

『任せろ』

「ふん! 分かっている。命を捨てる気はない。俺は将来仙人になって、国中の妖怪を倒すんだからな!」


 頼もしい二人を信じて、私と梓翔で手分けをして、住人の避難させるべく、走り出した。





 逃げ遅れた人の気を感じながら、一軒一軒巡って、避難をさせる。

 動けない人は、担いで運んだ。仙気が使えるようになった体は、以前に比べて格段に力が強くなっていたので、私にも人一人くらいなら運べた。


 なんとか周辺の人全員の避難を確認した後、再び蒼蘭と俊華の元へと戻る。


 結構な時間が経っていたけれど、窮奇も蒼蘭たちも、細かい怪我はしつつも、まだお互いに致命的な攻撃は受けていない様子だった。

 それよりも一つ、気になる事が――



「まだ仙人様は来ていないの!? おかしくない!?」


 住人を一人残らず避難させている間、これほどの騒ぎが起こっているのに、仙人が一人も駆け付けないなんていうことは、あり得るのだろうか。

 はずれのほうとはいえ、都の街中なのに。


「一体何が起きてんだ……」

 梓翔も渋い顔をしている。


 でも……蒼蘭と俊華を見ると、悲壮感はまるでない。


 逆に活き活きと、まるで舞を踊るように。

 同じように動くこともあれば、バラバラに動いているように見えて、だけどまるで二人で一人の生き物のように見えることも……。

 蒼蘭が「水」の仙気で作り出した、幻影の虎も何匹も飛び交っている。

 窮奇きゅうきは二人の舞と、虎の幻影に翻弄されているようだった。


「演舞の授業の動きだな……」


 梓翔も同じことに気が付いたらしい。

 とっさに出るくらい。相談をしなくても、何も言わずともお互いの呼吸を感じて動けるくらい。

 ――きっと俊華と蒼蘭も、何十回も何百回も、繰り返し練習したんだ。


「援護するぞ、翠」

「うん!」


 俊華と蒼蘭が戦いやすいように、私たちもフォローする。

 梓翔が腕輪から炎の気を放ち、私は匕首で、離れた場所から衝撃派を飛ばす。


 そうやって窮奇の動ける範囲を徐々に狭めていく。

 相談なんて必要なかった。私と梓翔も、何十回、何百回と繰り返した演舞の足運びを、いつの間にかなぞっていた。



 ギャーーー!!



 ついに蒼蘭が変身した虎が、窮奇きゅうきの首元に食らいついて、動きを止める。

 そして俊華がゆっくりと正面から近づいていき、牛のような巨体の窮奇に対峙し、金の剣を構えた。


 私の目には、ただ光が走ったように見えた次の瞬間、窮奇の体は真っ二つに分かれていた。





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